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夢のようなその世界で

「はあぁ……」  絞り出すような溜息は目の前に広がる青空と校庭とに吸い込まれていった。  結局あの後、チャイムが鳴って不意を突かれたらしいレイジのスキを突いて逃げ出した。  教室に戻ると同時にアスカに首根っこ掴まれて着替えさせられて校庭に放り出され、今に至る。校庭の端で出番待ちをしているリュートの隣には誰もいない。それもそのはず、アスカは今選手として校庭の中心で歓声を浴びているのだから。どういうわけか今日の体育はバレーボールらしい。スパン、と小気味良い音とボールがバウンドする音とが反響する。  この学校は面白いもので、体育とは別に実習が存在する。体育はそれこそ前世の学校でもあったようなもので球技から体力測定など様々なようだ。実習は剣術や武術などを学ぶ時間。どうやらこの体育の後に実習が控えているようで、まだ少しも動いていない現段階からリュートはげっそりしていた。決して身体を動かすことは苦手じゃないし嫌いでもないのだが、今は爽やかに身体を動かしている気にはなれない。  あの時壁際に追い詰められて跳ね上がった心臓に喝を入れるように胸元の服をぎゅっと握りしめる。自分にその気はない。少なくとも男を好きになる趣味はない…はず、なんだけど。未だに心臓は普段よりも多い心拍数を刻んでいる。 「嘘だろ、俺…」  冗談じゃないぞ、なんて呟く。この世界では同性愛は許容されているのであって、藍色の彼は決して間違っているわけでもなくまたそれに対してうるさくなる自分の心臓も決して怒られるべきではないのだけど、しかし前の世界での記憶があるということとこちらの世界での記憶が抜け落ちているということもあり、はいそうですかと飲み込めるほど自分は出来た人間じゃない。心臓がうるさくなるということはもしかしたら身体はこちらの世界で生まれたからということもあるのだろうが、如何せん気持ちがついてこない。そう簡単に落ちることができるような世界ではなかった。 「リュート!」 「っは!」  いつの間にか目の前にいたアスカに大声を出され、リュートは伏せていた顔を勢いよく持ち上げた。 「次お前のチームだぞ」 「あ、ああ。ごめん、すぐ行くよ」  差し出されたゼッケンに袖を通し、フィールドに踏み込む。チームメイトは何やら不安そうな顔だ。それはそうだ。まだ自分はこのクラスにうまく馴染めていない。女子が一人に、男子が二人か…女生徒は何やらオドオドしているしあまり体育は得意ではなさそうだ。  ホイッスルが鳴り、ゲームが始まった。サーブは相手チーム。最初から容赦なくスピードが込められたボールは迷いなくこちら側のコートへと飛び込んできて――。 「…まっ、危ない!」 「えっ?」  思わず叫び、駆けだした。女生徒の顔面を狙うように真っ直ぐ飛んできたボールは、ギリギリのところでリュートの腕に当たって相手のコートへと戻って行った。無理な体勢で飛び出したせいでボールの勢いを受け止めきれず尻餅をついてしまった。うむ、格好悪い。幸いにも相手チームはボールを拾えなかったらしく一旦ゲームは中断された。 「あの、」  女生徒がおずおずとこちらへ近付く。そんな彼女に笑みを向けて、口を開く。 「大丈夫?怪我はない?」 「は、はい。大丈夫です…」 「おーい、大丈夫かー?続けるぞー」  その後、なんてことなくゲームは続いた。結果は、リュート側のチームの圧勝。なんというか、その、昔からスポーツは得意だったんだよな、うん。なるべく静かに過ごそうと思っていたのに必要以上に目立ってしまったリュートは、汗を拭いながら手を抜けばよかったと後悔していた。アスカも「よっ、得点王!」なんて担いでくるし。しかもさらにその後何やら燃え出したアスカと1on1のデッドヒートを繰り広げることになろうとは予想もしていなかった。  結局授業時間内に決着がつかず、次の体育の時間に持ち越されることになった。 「絶対次で決着付けてやるぜ!」  わざと負ければ良かっただろうが、なんとなくアスカに負けるのは癪なので次も付き合ってやろうと思う。それなりに楽しいし。滝のように流れる汗を拭ってふと校舎の方を見上げた時、二階の中心周辺にふと煌めく藍色が見えた。そこにいるのは勿論。  心臓が跳ねて、思わず目を逸らす。目が合った気がしたが…恐る恐るもう一度校舎を見上げたリュートは机に突っ伏しているらしい藍色が見えてほっと息を吐いた。突っ伏している藍色の彼の頬が紅色に染まっていることなど気付かずに。 「…目、合っちゃった…」 「レイジ・ファレル!授業中に寝るなコラ!」 ――――――――――――――――――――――――――  放課のチャイムが鳴り響く校内。実習の終了を教官から告げられた途端に、生徒たちはばらばらと実習室を出ていく。汗だくになってしまった実習着とインナーを着替え、さっぱりしたところでアスカと共に更衣室を出た。 「リュートすげーな!実技でも俺と張るなんてな」 「何言ってんの?模型撃破数、アスカが184、俺が201。俺の圧勝でしょ」 「なっ、ち、ちげーし!俺、最初めっちゃトイレ行きたかったし!だからだし!」 「ふうん?」 「てめー!次は絶対に…」  納得いかないらしく地団駄を踏むアスカを無視して人がまばらになった実習室を後にしようとドアに手を掛けたその時。 「あっあの!」 「ん?」  声を掛けられて足を止める。ふと振り向くとそこにいたのは体育の時間に庇ったあの女生徒だった。彼女は声をかけた後どうするかを考えていなかったかのようにリュートに声をかけた状態のまま固まっている。 「君はさっきの」 「ヨシノです。ヨシノ・ネーブル。えっと、さっきはありがとう、リュートくん」 「ああ。いいよ、別に。ただボール打っただけだし」 「で、でも…転んじゃいましたよね?大丈夫でしたか?」 「ううん。全然平気。結構丈夫なんだよ、俺」  お礼かお詫びを、と言うヨシノにリュートはやんわりと首を振って微笑んだ。そして緩やかに手を振り、ヨシノと別れてアスカと共に帰路に着く。 「いいのかよ、リュート」 「なにが?」 「あんな美人のお礼を断るなんて…。あーあ!俺も美人のこと助けてお礼されてえな!」 「下心しかない顔してるから助けてもお礼貰えないんじゃないの」 「うるせい」  校舎の重いドアを押し開けると、しっとりとした風が頬を撫でた。湿った匂いがする。先程までこれでもかというほど地上を照り付けていた太陽はどうやら急用ができたらしい。分厚い雲が空を覆うようにそこにいた。地面が濡れていないところを見るとこれから降り出すようだ。 「うわ、嫌な天気だなあ。降り出す前に部屋戻っちゃおうぜ、リュート」  雨の日は思い出す。あの時の色、香り、そして――痛み。もしかしたら夢だったのではないかと考えることがある。だけど、鮮明に思い出せる痛みが決して夢なんかではないと教えてくれる。  あれが夢ではないのなら、何故彼は、ここに?

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