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君がくれたこの世界で

「これ、民家じゃない…図書館だ」  建物に掲げられた看板を見てそう呟く。  当たり前だった。リュートが走っていたのは学園の敷地内なのだから。学園の敷地内で許されている居住スペースは学生向けの寮だけで、親族であれどその地方に住処を構えるのは許容されていない。  そっとドアの隙間から中を覗く。電気も点いていない建物内は暗く、足元すら覚束なさそうだ。しかし何を思ったか、リュートは開いたドアの隙間からするりと身体をすべり込ませて、律儀にも後ろ手でドアを閉めた。学園敷地内の地図にこんな場所あっただろうか?入って正面にある受付カウンターらしい場所には誰もいない。というか、館内には少しも人の気配を感じなかった。  木造の床が軋む音を聴きながら、リュートは並べてある本を眺める。どの背表紙も淡くくすんでいるところを見ると大分古い本ばかりを置いているようだ。しかも神話系のものばかり。というか、まさかここにある本、全部神話関係なんじゃ…。  見覚えのある背表紙の中、ふとリュートは他の本よりも色褪せていて、やたら汚れている本を手に取りそっとページを開いた。 「絵本?」  あまり子供向けではない絵柄でありながら、その形体は確かに絵本だった。ぱらぱらとページを捲る。勇者が魔王退治をするというごく普通の内容だったが、リュートは最後のページで息を飲んだ。  まおうを たいじした ゆうしゃは むらのひとびとに とても かんしゃされました。  うたげ の ちゅうしんにいる ゆうしゃは うれしそうに わらっています。  うたげ の あと むらのひとびとが さわぎつかれて ねてしまった しんや に  ゆうしゃは だれもいなくなった まおうのしろを みあげながら  そっと じぶんの しんぞうに まおうを きりつけた けんを さしました。    そうして ゆうしゃは しあわせそうに わらって そっと いきを ひきとりました。 「なんだよ…これ…?本当に絵本か?」  その時だった。突然背後で本が弾きだされたように床に落ちた。静寂の中突如響いたその音はあまりにも急すぎて、リュートは「っひい?!」なんてこれまた情けない声を出し、勢いよく振り向く。絵本を元に戻して、腰に引っ提げた剣に手を掛けつつそっと本に近付く。再び静寂を取り戻した周囲や天井を見渡したが、相変わらず人どころか生き物の気配すら感じない。ほっと一息吐いてリュートは床に放られた本を手に取った。  少し埃を被っているが、この図書館のラインナップから考えると比較的新しいもののようだ。タイトルのないその本をぱらぱらと捲っていると挿絵のページで手が止まった。挿絵には一番奥の方にまさに神以外の何物にも見えないような神が描かれていて…手前にいるのは、悪魔?なにやら邪悪な顔をしたそれは顔を苦悩に歪ませている。だが、なんか…これ、誰かに似ているような…?首を傾げながらリュートは次のページを捲ったが、そこから続いているのは空白のページだった。 『それはまだ途中なのよ』  ふわりと頬に微かな温度を感じて、それと同時にそう声が聞こえた。 『あら、ごめんなさい。驚かしちゃったかしら。お客様なんて久々だから、つい、ね』  泣きそうになっているリュートの頬を、ルーメはそっと撫でる。止まりかけた心臓をぎゅっと握りしめ、落ち着いた頃合いを見計らってリュートは口を開いた。 「何故精霊が…それも光のルーメが、こんなところに?」 『私たちルーメはここの管理を任されているの。本来は私たちの仕事じゃないのだけれど…まあ行儀の悪い神々の後始末をしないと、この世界がおかしくなってしまうもの、仕方ないわ』  そう言ってマーレはやれやれと首を振った。 『ねえ、我らが愛するメシア。ちょっと私の話し相手になってくれない?あまりにも人が来ないから暇していたところなの。だめかしら』 「いいよ。その代わりといってはなんだけど、俺の話も聞いてくれないかな。精霊のきみになら相談出来る気がするんだ」 『勿論よ!愛するメシアの相談役になれるんだなんて光栄だわ。すぐにお茶を用意するわね』  ルーメはくるくるとリュートの周りをまわり、最後に頬にキスをしてから小さく光を散らしながら消えた。再び暗さを取り戻した図書館の中は、なんだかひんやりとしていて、リュートはそっと両腕をさすった。  やがて戻って来たルーメに案内されたのは階段を上った、二階。バルコニーのような場所に、きっちりとテーブルセットがされている。 『どうぞ、座って?』 「…失礼します」 『ふふ。そんなに固くならないで。それじゃあさっそく話を聞いてもらおうかしら。神話ってあるでしょう。あれ、実は神々が自分で書いてるのよ』  ルーメは紅茶を啜りながらため息交じりにそう言った。手のひら程の身長しかない彼女が持っている紅茶とティーカップはとても小さく、可愛らしい。淹れてもらった温かい紅茶を飲みながらリュートは静かに彼女の話を聞いていた。 『どれもこれも誰が強いとか誰が一番美しいとかどんな悪者を退治したかとか…自慢話ばっかりじゃない?』 「確かに、よく考えてみれば…」  ふわりと鼻孔を通り抜ける茶葉の甘い香りが心地よい。 『あれは全部神々が自分の自慢話を壮大に脚色して書いたものなの。神なんてそんなものよ。皆自分の見場を作るので精一杯。彼らは結局作るだけ作っておいて、飽きたら私たち精霊に丸投げよ。主様も怒ればいいのに』 「この間会ったフィアンマも言っていたんだけど、主様って誰?それにメシアって」 『ああ…まだ会っていないのね。主様っていうのは大精霊様のことよ。私たちの、そうね、母親みたいなお方かしら』  ま、人じゃないから"お方"っていう表現もおかしいけれど、なんてルーメは紅茶をお代わりしながら言う。 『トランプで勝っただけで神話書いちゃう神もいるし本当嫌になっちゃう。なんで主様は何も言わないのかしら』 「そんなにろくでなし揃いなのか、神って」 『ろくでなしよ。どいつもこいつも。…ああ、でも、ついこの間まではそんな神のなかでも神様らしいのが一人いたのよね。天界追放されちゃったみたいだけど』 「…え?」 『さっき貴方が見ていた挿絵、その話だったのよ。追放された子はまるで悪魔のように描かれていたけれど、優しくて素敵な神様だったのに。確か、異世界の人間を殺した罪だとかで追放されたって書いてあったわ。どうせこれも脚色でしょうけれど』  そう言うとルーメはぱち、と指を鳴らした。するとどこからか紙が擦れる音がして、本棚の隙間からふわりと先ほどリュートが手に取り読んでいた本が光を微かに帯びながらひとりでにこちらへ飛んできているのがみえた。本は優し気なスピードでテーブルの上に乗ると、挿絵のページを開いて止まる。 『この挿絵、白黒でわかりにくいけれど…追放されてしまった彼は藍色の綺麗な髪と宝石のような金色の瞳を持っていてね。とても素敵だったのよ。たまに大精霊様にも挨拶に来てくれたりしたからよく覚えているわ。神々といるのはつまらないなんて言って、遊びに行った世界のお話をよく聞かせてくれたの』  藍色の髪、金色の瞳――いや、まさかそんな。 『名前はそう…レイジ』 ――――――――――――――――――――――――――――― 「やっと見つけた…!リュート!」  図書館を出たところで、そう声を掛けられると同時に腕を掴まれた。振り向くと濡れ鼠のようになったレイジが息を切らしてそこにいた。  途端、雨を浴びながら自分の顔を覗き込んでいた記憶の中の彼と重なり、やはり目の前にいる彼はあの時交差点で助けた藍色の彼なのだろうなと勝手に納得する。そして先ほどのルーメの話が本当ならば…いや、精霊は嘘を吐かない。本当だと信じていいだろう。そうなると目の前の彼は。 「お前…ほんっと、心配、したんだぞ…っ」  腕を掴むレイジの手はまるで氷のようにに冷え切っている。一体どれだけ長い間探し回っていたのだろう。 「あの時みたいに…また、誰かを庇って死んでるんじゃないかって…」 「…ッ?!」  膝に手を当てるレイジの表情は見えない。今、彼は何と言った? 「れ、レイジ…あの時って…?」 「へ?…ん?あの時ってなんだろ、いつだ?」  レイジが顔を上げたところで思わず覗き込んでいたリュートは思ったよりも近いお互いの距離に驚く。が、腕を掴まれているため離れることは叶わなかった。 「いつかはわかんないけど、やっぱり俺…リュートとはどっかで会ったことある気がするんだよな」 「…奇遇だね、俺もだよ、レイジ」 「えっ本当か?どこで会ったか教えてくれよ!」 「残念だけど場所は覚えていないな。ただ」 「ただ?」 「雨が降っていたことだけは覚えているよ」  リュートの言葉にレイジは首を傾げる。やはり覚えていないようだ。ルーメにあれだけ愚痴を言わせるのだから神という存在はどれだけ杜撰なのだろうと思っていたが、どうやらそれほどポンコツでもないらしい。ただ、ふとした瞬間にあふれ出てしまうレベルには緩い封印の仕方をしたようだ。 「次は飛び出すなよ、レイジ」  もう先ほどまでの、まるでこの世界にたった一人取り残されてしまったような不安や寂しさはない。ただ、目の前にいる"命の恩人"と仲良くしてやろうとリュートは微笑んだ。 『"禁忌を犯したその神があまりにも命乞いをするものだから、他の神は罪を犯した神の記憶を封印し、その存在を下界へと落とした"…ね。随分とまあ派手に着飾ったものよね。封印も満足にできないくせに。…お願いね、我らが愛するメシア。もうこの世界は、貴方にしか救えない』  人が居なくなった館内、そっと本を元に戻しながらルーメの言葉は誰に届くともなく静寂に溶けていった。

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