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彼が居たはずの世界は
『話を訊いてくれてありがとう、メシア。すっきりしたわ。さあ、今度は貴方の番よ。相談があるのよね?聞かせて頂戴?』
『…メシア。怒らないで欲しいのだけれどね、そんな悩みは些細な事よ』
『貴方は自分の中の記憶が前世のものだということ知っているのよね。だけど、その記憶が本物かどうかは確信がない。この世界では気が付いたら17歳になっているし、確かに不安になるのはわかるわ』
『安心して。貴方の記憶は本物よ。夢なんかじゃない』
『けれど、私たちがどれだけ貴方にそう言って聞かせたとしても結局証明はできないから貴方を本当の意味で納得させることは不可能なの』
『17年間の空白を証明できないから、今の自分が本当にリュート・ディーゼルツェなのかわからなくなってしまうのよね』
『これもね、私たちには証明できないわ。残念だけれど』
『でも、思い出して。そうやって悩んでいるのも、苦しんでいるのも、貴方なのよ。貴方にリュート・ディーゼルツェって名前があるだけ。例えば違う名前で違う家系に産まれていたとしても貴方は貴方なの。名前というのは個人には必要なものだけれど、結局はステータスでしかないのよ』
『堂々となさい。貴方は神を、命を犠牲にして守ったの』
『自分の存在意義程度でくよくよしちゃだめよ。貴方がここに居ること以上の存在意義はないのだから』
精霊というのは根本的に人間とは作りが違うのだろうと、リュートは教官の話を聞き流しながら何ともなしに思っていた。あの日以降、精霊に激励を受けた以降不安や寂しさが押し寄せることはなくなり、アスカやレイジに纏わりつかれながらそれなりに楽しく騒がしい日々を過ごしている。
今日もまたそんな日なのだろうと寮の玄関を出て、登校していた時のことだった。突然目の前を銀色の何かが風を切って通り過ぎたのは。
「ッ…?!」
咄嗟に足を止めたリュートに向けられていたのは鋭い視線と――鋭い、切っ先。
「腐っても名家のお坊ちゃんと言ったところか」
鋭い視線の持ち主は刺さるような冷たい声でそう言った。切っ先と黒く淀んだ瞳とは未だ向けられたまま、それどころか下げる気はなさそうだ。
「単刀直入に言う。俺はお前が嫌いだ、リュート・ディーゼルツェ」
「君は、」
「ギルガメッシュ・リーヴァイア。覚えなくていい。名前というブランドに胡坐を掻いて偉そうな顔をしているような名家の連中に名など呼ばれたくないからな」
その言葉にリュートは目を見開き――そして。
きぃん、と。耳を劈くような音がその場に響き、ギルガメッシュが握っていた剣は少し離れた地面に刺さっていた。
「…お前の家では人に刃物を向けてはいけないと教えてくれなかったのか?」
「そんな教えに覚えはないな。それに」
自分の首元に宛てられた刃物に臆することなく、ギルガメッシュは黒く濁った瞳を細める。そんな彼に対抗するかのようにリュートは口角を上げた。
「"気に入らない奴に刃物を向けてはいけない"とも教わってないんだ。残念ながら」
「野蛮な家だな」
「ふん、そっちこそ」
静かに刃物を下げて、リュートは顎で傍らに落ちた剣を指す。
「取りなよ、ギルガメッシュ」
「産まれてきたことを後悔させてやる、リュート」
そう言うが早いか、ギルガメッシュは地面に刺さった剣を引き抜き、勢いよく薙いだ。それを受け流して足を払う。ギルガメッシュは一瞬体勢を崩したが、後方に飛びのき体勢を直した。一瞬発生した隙を詰めるように距離を縮め、躊躇なく刃先を突きだす。
が、刃先は肉ではなく空に深く突き刺さった。同時に腹部に重い痛みが落ちてきて、あまり体重の重くないリュートは背後に吹き飛んだ。
「っがは…!」
鈍痛に耐え、空中で体勢を立て直し剣を地面に突き刺して何とか止まる。唇を噛んで痛みに耐え、顔を上げると、黒く濁った瞳と目が合った。彼は頬に走った傷を拭い、目を細める。
「…痛ぇな」
「は、ざまあみろ…っぐ…」
その時、突然まるで鈍器で殴られたかのような痛みが頭部に走り、視界が揺れた。嘔吐感に押し潰されるかのように地面に膝を着く。やばい、と揺れる脳で考えた次の瞬間。
「どぉぉぉらァッ!」
刃物同士が激しくぶつかる音が聞こえると同時に、目の前で藍色が光を浴びた。
「大丈夫かリュート!」
「れ、いじ…?」
ぐらつく視界の中、自分よりも高い位置にある背中を見上げ、手を伸ばす。指先がさらりと髪を梳き――意識はぷつんと途切れた。
「おい、しっかりしろ!リュート!おい!」
レイジは糸を失った操り人形のようにがくんと項垂れたリュートを支え顔を覗き込む。蒸気した頬を携えた彼は荒い呼吸を続けていた。それを見たギルガメッシュは剣を鞘に戻し、踵を返す。
「ってめえ!待ちやがれ!」
「"廃棄組"に用はねえよ……そいつに言っとけ。治ったらまた来るってな」
―――――――――――――――――――――――――――――――
ふ、と。目の前に広がった光景に目を瞬かせる。
「おはよう、――」
がばりと体を起こす。耳元に響いた声を手繰って視線を動かすと自分が寝かされているベッド脇に女性が座っていることに気が付いた。
「ふふ。どうしたのよ、まるで幽霊でも見たような顔して」
「かあ…さん……?」
「そうよ?どうしたの、熱に浮かされちゃった?」
ぽかんとしているリュートの額を撫でながら母は微笑む。
「貴方、雨の中走り出したんですって?風邪引くに決まってるじゃない。次は気を付けなさいね」
「…はい」
頷きながらリュートは視線を逸らした。
本当に彼女は"自分の母親"なのだろうか?だって、だって…こんなに、"ただの母親"なわけがない。
こちらを見ながら微笑む彼女は誰がどう見たとしても紛うことなき母親に見えるだろう。だが、そう、"誰の母親にも見えないが、誰かの母親に見える"―――恐ろしいくらいに平凡なのだ、目の前の"母"は。何の前触れもなく母だと名乗られたらそうなのだと信じ切ってしまいそうな、まるで模範解答のような母。しかし、同時にこの人が自分の母親ではないという可能性も決して捨てきれない。
いや、待て。何故自分は母親の顔を覚えていないんだ?…そもそも、だ。前世、俺は、どんな顔をしていた?
「ね、え…かあ、さん」
「ん?なあに?」
「俺の名前…呼んでみて」
「あらあら。変な子ね。いいわよ、あなたは」
名を呼ばれないまま、彼の意識は奈落へと沈んだ。
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