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君が生きたその世界を

 額にぬるい温度を感じて、目を覚ました。覚醒しきっていないまま数回瞬きをして周囲を見回す。身体を起こそうとしたが力がうまく入らずそれは未遂に終わった。  夢を見ていたような気がする。だけど、どんな夢だっただろうか?残っているのは謎の不安感と、背筋を走る寒気だけだった。 「リュート。起きたのか」  そう言いながらドアを開けて部屋に入ってきたのはレイジだった。彼の手にある洗面器の中で透き通った水がちゃぷんと音を立てる。 「全く。雨の中ダッシュした後も全く体調崩さないから強いのかと思ったら…何でもないときにいきなり倒れるんだもんな」  彼は不満そうにそう言い、リュートの額に置かれたタオルを持ち上げ、洗面器に突っ込んだ。 「…レイジ?お前、馬鹿なのに授業でなくていいのか?……へぶっ」  しっかりと絞ったタオルを額に叩きつけられリュートは情けなく呻く。そんな彼を見てレイジはからからと笑った。随分ころころと表情が変わる奴だ。 「そんだけの口利けるなら大丈夫だな。気分は?」 「頭痛い」 「はは。リュートは少しくらい馬鹿になった方がいい。小突いてやろうか?」 「治ったら覚えとけよ」  殆ど力の入っていない握りこぶしをレイジの肩に押し付ける。その時、ふと意識が途切れる瞬間に聞いた言葉を思い出した。 「ねえ…レイジ、"廃棄組"って」  そう言うと彼は顔を顰める。それは嫌悪というよりかは、心配しているかのような顔だった。 「聞こえてたのか」 「…ギリギリね」  少し自信なさげにそう言うとレイジはそうか、と呟き、ベッド脇に座り込んだ。頭をがしがしと掻いて、長いため息を零す。そうしてから彼はゆっくりと口を開いた。 「この学園ってさ、入学にも授業を受けるのにも金掛からないだろ?」  リュートがこくり、と頷いたのを見てレイジは続ける。心なしか話すのを渋っているようだ。 「ましてや入学に何の規制もないし入学そのものが任意だ。入っちゃえば飯も出るし寮だってある。だからさ、いるんだよ。子供を捨ててく親が」 「捨てて、いく?」 「正確には置いていく、っていうのかな。クラスにも何人かいるんだ。休みの日にしばらくぶりに実家帰ったら、家がなくなってたとか、家はあるけどもぬけの殻だったとか」  彼は話しながら落ち着きなくそわそわと動いている。今すぐにこの場を飛び出して走り出したいとでもいうように何度も足を組み替え、目線も泳いでいた。 「レイジ、その…レイジも、なんだよね」 「俺は目の前で置いて行かれた…らしい。覚えてないんだ。その、幼すぎたから」  そう言いながら彼がふいと顔を上げたかと思うと、急に眉を下げたままふにゃりと笑い、リュートの髪をぐちゃぐちゃと撫でる。 「ほら。そんな顔するだろうから言いたくなかったんだよ」 「ごめん」 「謝らなくていい。いつかは話そうと思ってた。……予想よりもずっと早かったけどな。さあ、もう寝ろ。辛そうな顔してる。色んな意味でな」  レイジはもう一度優しくリュートの髪を梳くと立ち上がり、すっかりぬるくなった水が入った洗面器を持ち上げた。たぷん、と水音が鳴り――その水は案外呆気なく部屋の床にぶちまけられる。後で掃除をするのは自分だと気付いているのかいないのか、洗面器を抱えていたレイジの腕を引いたのは弱々しく力を失ったリュートの指先だった。 「寂しいんでしょ?そういう顔してる。いつだってそうだった。あの屋上で振り向いたときも…すっごく寂しそうな顔してた。気付いてないでしょ」 「はは、知らなかった。アンタの前では必死に格好つけてたんだけど」  洗面器はがらがらと音を立てながら床を転がり、壁にぶつかる。カーペットを敷いていなくて良かったなんてまたあとで思うのだろう。 「居ていいよ、ここに。移ったら俺が看病してあげる」  力ない吐息に舌足らずな言葉を乗せる様にそう言うとレイジは一瞬身を固くさせ、次にリュートの視界に飛び込んできたのは真っ白い天井と舞い上がる埃、それから。 「病人相手にナニするつもり?レイジくん」 「自分が病人だって自覚してるなら、俺がアンタを狙ってる男だってことも自覚するべきだったな、リュート」  そうレイジは言うが、リュートの手首を絡めとる手にはあまり力は入っていない。 「抵抗しないのか?なあ…リュート」  まるで懇願するかのように言うレイジの手を取り、手の甲を指の腹でなぞる。期待を、願いを…裏切る様に。 「抵抗なんて、してほしくないくせに」 「あんまり煽るな。どうなっても知らないぞ」 「へえ、どうなっちゃうのかな。ま、病人が寝てる時に襲えないような男の出来ることなんて高が知れてるけど」 「リュート、お願いだ。俺は…本気で好きなんだよ、アンタのこと。嫌われたくないんだ」  そう言うレイジを跳ね除ける様にリュートは口角を妖しく持ち上げる。それに弾かれるようにレイジは唾液を飲み込み、勢いそのままリュートの汗ばむ白い首筋に噛みついた。 「んぅ…ッ!」  背筋を走る痛みに耐える様にレイジの服を握りしめる。数秒の痛みの後、首筋にじんわりと広がっていた温度が離れていき、天井しかなかった視界に悲痛そうなレイジの顔が映り込んだ。 「…同情なんかいらない」  はっと息を飲んだ。レイジは少しの躊躇もなくリュートの拘束を解き、ベッドを降りると部屋のドアノブに手を掛ける。 「待っ…レイジ、俺…ッそんなつもりじゃ…!」 「大人しく寝るんだぞ、ハニー。じゃあな」 「レイジっ…!」  ばたん、と。扉が閉まる音すら伸ばした手をすり抜け、逃げる様に消え入った。

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