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背中合わせの二人は
可哀想だと言われながら育った。まだ二桁にもなっていない子供に、果たして大人たちはどんな感情でその言葉を溺れるほどに浴びせたのだろう。だが自分を可哀想だと思ったことは一度もなかった。食べ物もある、温かいベッドもある。同じような境遇の仲間もいる。だから大丈夫だと思っていた。…信じていた。言い聞かせていたんだ。一人じゃない。寂しくなんてないと。
成長して、学校に行って…中等部に入ったあたりからだった。教室の雰囲気が甘たるくなり、色めき立つ。異性を意識し始める年齢。たとえ一時だけだとしても、いつかは別れが来るのだとしても。偽りだとしても。目に見える愛を得てみたかった。周りの真似をして何人かと付き合ってみたりもしたが、それでも満たされることはなかった。求めていたものを得られることはなく、むしろ虚無ばかりを得ていた。結局長くは続かなくて、ほとんど何もしないまま終わった関係ばかりだった。
そのうち、自分が何を欲しがっているのかすら良くわからなくなった。追い求めていたはずなのに。喉から手が出るほど欲していたはずなのに。いつの間にか別に欲しくなくなっていた。
彼に――リュートに出会うまでは。
屋上に現れた彼の髪が、空に向かって伸びる新緑のようで。見とれていた、いや、魅とれていた。こちらを求める様に見つめる緑色の瞳は陽の光を浴びて宝石のように輝く様に、白く繊細そうな肌が何かを追うかのように空を掴んでいる様に。求められたいと思った。彼に必要とされたいと思った。
そこからはなんとか彼の記憶に残ろうと必死だった。何度か殴られた記憶も残っているが、それすら愛おしかった。押しに弱くてグイグイ来られたら抵抗できないところも、優しい性格のせいか頼まれたら断れないところも、恥ずかしがり屋なところも。共に過ごせば過ごす程に彼の事しか考えられなくなっていく。
彼の部屋から逃げる様に出てきて、廊下を歩く今でさえ、すぐに戻って抱きしめて平謝りしたいくらいだ。だけど、なんでだろう。彼の顔を見るのが怖い。
今までは気にしていなかった。彼の隣を歩くことも、彼をからかうことも、彼と競うことも何にも考えずに日々を過ごしていた。
『廃棄組には用はねえよ』
ほんの数日共に過ごしただけだが彼がそんな人間ではないとわかっていたはず。でも、疑ってしまった。彼が同情で自分の相手をしているのではないかと。思わず出てしまった言葉を訂正もできないまま彼に背を向けて逃げてしまった。違うと彼は否定していたのに。待ってと言っていたのに。
…嫌われてしまっただろうか。二度と会うことはできないのだろうか。
ぽっかりと空いてしまった穴は致命傷だったようで、俺はどうしようもないほどの苦しみに喘ぎながら自室で拗ねる様に眠りについた。
―――――――――――――――――――――――――――――
「もうすぐ剣術大会だな、リュート!」
ばん、とアスカが机を叩いてそう言う。いつか見た景色だななんて思いながらリュートは適当に相槌を打った。数日前からこの話題がざわつきはじめているが、リュートはそんなことどうでも良いくらいに沈んでいた。
結局風邪が完治してから二週間ほど経つが、あれ以降レイジと会っていない。風邪が治ってから他クラスのレイジを何度か訪ねたのだが、彼はこちらを見つけると逃げる様に去ってしまうのだ。実力行使も考えたが、できれば後腐れなしでこれまでのように過ごしたい。
でも、とため息を零す。当たり前なのかもしれない。あの時は普段の仕返しとしか思っていなかったのは確かだが、同情されていると相手に取らせるには十分すぎた。それだけのことをやってしまった。しかも自分は名家の息子という肩書きを持っているということを忘れて。あんな話をされた後、普段は冷たくあしらっている相手に突然挑発的な態度を取ったら誰だって同情されていると思うだろう。思慮が足りなかった。
「もう会えないのかな…」
机に突っ伏し、呟く。彼のいない日常はなんだか寒かった。
「おいっ聞いてるのかリュート!」
「あ?あー、聞いてる聞いてる。今日の朝ご飯も美味しかったって話だろ」
「ちっがーう!剣術大会、絶対負けないからなって話だよ!」
子供のように駄々を捏ねながらアスカは騒ぎ立てる。びっとリュートに人差し指を向け、睨みつけた。
「いつもはコケにされて終わるが、今回ばかりは違う!俺はお前を倒し、高みに上って見せる!」
「おー。がんばれー」
「てっめー!絶対勝つからな!覚えとけよ!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐアスカを適当にあしらって、昼休みが終わらないうちにリュートはふらりと屋上に向かった。あの日からほぼ毎日もしかしたらと考えながら屋上に来ているが、一度も彼と会えていない。はあ、とため息を零しながら屋上の柵に体重を預けて、今にも泣き出しそうな仄暗い灰色の空を見上げた。
「…泣きたいのはこっちだよ」
届きもしない泣き言を空に向かって吐き出した。それが口火を切ったのか、ぽつぽつと少しずつ雨が降り始める。濡れていく髪と湿気を含んでいく制服を気にすることもなくリュートはただ冷たくぶつかってくる雨を受けていた。もう一度風邪を引いたら、来てくれるんじゃないかなんて似合いもしない乙女チックな考えが脳裏を過る。
「ごめん…レイジ…」
その時だった。
「また風邪を引く気か?もうお預けはごめんだぞ、リュート・ディーゼルツェ」
屋上に現れたのは望んでいた彼じゃなくて、彼の過去を知るきっかけとなった人物だった。逆恨みもいいところだが、この間売られた喧嘩の事と言い、今回レイジと会えなくなったことと言い、ギルガメッシュがリュートの目の前に現れたタイミングは最悪だった。当人にとっては最高だったかもしれないが。
リュートはこの間の仕返しとばかりに剣を引き抜き、少しの躊躇もなく彼に向かって薙いだ。
「おっと…なんだよ、機嫌悪いな。そんなに王子様と会えないのが寂しいのか?噂になってるぞ。何しろお前は名家の息子、相手は廃棄組…一緒にいるだけでも大問題だったというのに、急に離れたんだから尚更な」
「…いいから剣抜きなよ。相手してやるっつってんの」
「はっ。相手"してやる"か。まあお前の気性じゃお姫様には程遠いしな。別れて正解かもな?」
彼がそう言い終わる前にリュートは全体重を込めて彼の腹部に右足を投げつける。だが蹴ったのは空気だけで、狙った的はというと空中で剣を抜きリュートに振り下ろした。それを弾き、隙を突いて切っ先を突きだすもやはり布にすら触れず空ばかりを切る。
先日戦った時も思ったが、彼は素直に強い。持て余してしまいそうな程のパワーを正しく使いこなせている。力がありながらも力任せではないその戦い方は悔しいが馬力のないリュートには不可能だ。
だが逆を言えば軽い故に発揮されるスピードはリュートの持ち味だ。柔らかい彼の身体は持ち主の意のままにしなり、ひらひらと舞うように戦場を駆ける。攻撃一つ一つは決して重くはないが、素早く着実に、そして貪欲にダメージを稼ぐ。ウエイトのない彼だからこそできる戦い方。
雨が地を這う音、彼らが動く度に跳ねる水滴、飽和するほど水を含んだ制服。正反対ともいえる戦法のぶつかり合いが繰り広げられる屋上はまるでダンスホールのようで。
結局、勝敗が付かないまま遠くで昼休み終了の鐘が鳴った。
「…はは…バケモノかよ、お前」
ギルガメッシュが肩で息をしながら吐き捨てる様にいう。
「そりゃどーも」
皮肉を投げ返すリュートの息も荒い。自分の持てる全てを出し切るほど本気で戦ったのも恐らく初めてだ。案外消耗するもんなんだな、なんて酸素の足りない頭で呑気に考える。
「まだ戦る?」
「…いや、残念ながらまた決着はお預けのようだ」
「はあ?何言っ――?!」
ギルガメッシュはリュートが言い終わるのを待たず、剣身を鞘に収めるとリュートの腕を掴んで物陰に引きずり込んだ。
「な、なにす…」
「静かにしろ」
「んむっ?!」
ドアから隠れる様に物陰の端で押し潰されそうになりながら縮こまる。その瞬間に重い扉が蝶番を軋ませながら動き出し、続いて思わず飛び出してしまいそうな程の威圧感を孕んだ怒号が屋上に響き渡った。
「くぉら!てめぇら授業サボってなにし…て……あれ?誰もいねえじゃんか」
体育担当の教師の声だ。だがすぐに蝶番が軋む音が再び聞こえ、分厚い扉の向こうへと彼の声は吸い込まれるように消えていった。すると怯んでいた雨音も戻ってくる。数秒雨に打たれながら屋上から自分たち以外の気配が消えたことを確認すると、ギルガメッシュはリュートの口を塞いでいた手を放す。
「…っふは…はっ…はあ…死ぬかと思った……」
やっと酸素の供給が始まったリュートは何度もしっとりと湿った空気を肺一杯に吸い込んだ。
「この程度で死んだら俺はお前に圧勝しているよ」
そう言いながら彼は小さく笑みを零す。その様子がなんだかおかしくてリュートも思わず笑みを零した。先程まで鎬を削って本気で潰しあっていたとは到底思えない光景だったが、不思議としっくりくる。なんだろう、あれだ。前世で観た、河川敷で殴り合ったライバルが最終的に仲良くなるドラマ…あんな感じ?拳ではなく真剣を向け合った半ば殺し合いのような喧嘩だったが。
「…放っておけば良かったのに。なんで一緒に隠れたんだ?」
雨の中、もうすっかり湿りきった屋上に堂々と腰を下ろしたままリュートはそう言った。
「サボりがバレて謹慎なんかになられたら剣術大会で戦えないだろう」
「なんだ、そんなこと?」
「俺にとっては重要なことだ」
そう言うが早いかギルガメッシュは立ち上がり、リュートに人差し指を向ける。
「俺はお前に勝つ。絶対に」
「生まれたことを後悔するくらいに?」
おちょくるようにそう言うと向けられていた人差し指はそっと曲げられ、ギルガメッシュはそれを勢いをつけてリュートの額に向けて思い切り弾いた。べち、と良い音が鳴る。
「いってぇ…デコピンてお前……」
「はは。今までの攻撃の中で一番手応えがあった。…またな、リュート。せいぜい鍛えておけよ」
「…ギルこそね」
「ああ、それから」
屋上を去ろうとしていたギルは重い扉に手を掛けたところでぴたりと足を止め、振り向いた。そしてにやりと笑う。
「王子様とも仲直りしておけよ。本気のお前と戦いたいからな」
そう言って彼は厚い扉の奥へと消えていった。
雨はまだ、止みそうになかった。
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