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第12話 もう一度

「うわっ!」  いつも結城様に指定されていたあのホテルを出てすぐ、手配されていたタクシーに乗り込んで僕らは有木さんの部屋へと戻って来た。  タクシーを降りてからは手を繋いで歩き、玄関へ入った途端に抱え上げられた。そしてまたそのままドタドタと家を走り回り、寝室のベッドへと投げ出されてしまう。 「ちょっ……綾人さん、待って! いたっ!」  乱暴にコートを脱がされ、傷にそれが触れた。チクリと痛みが走って、僕が思わず自分の肩を抱くと、綾人さんは急に動きを止めて青ざめてしまった。 「ごめん、痛かったか? その傷をきれいにしてから防水しておこうと思って……ちょっと乱暴だったな。俺も余裕なくて……」  僕が痛いのを喜んでいないと知ってから、痛がらせたのはこれが初めてだった。望んでいないことをずっとしていたと知った綾人さんの心の傷は深くて、あれ以来作戦の準備に集中するという名目で、僕に全く手を出さなくなってしまった。  つまり、ここ最近は痛くされることも、気持ちよくされる事も無かった。その久しぶりの刺激が痛みだったという事実が、僕には少しだけ悲しかった。 「僕のほうこそ、ごめんなさい。大丈夫、ちょっと痛むだけですから。だからそんなに気にしないで下さい」  泣き出しそうな顔で悔やんでいる綾人さんの手を取り、引き寄せた。そして、その手を僕の手で包みながらキスをした。  この手は僕を傷つけたがっていたわけじゃない。ちょっとした勘違いで僕に痛みを与えていただけだった。だから、僕を喜ばせたかっただけ。それがわかってから、触れて欲しくて仕方が無かった。  今はこの手を離すことは絶対にしたくない。今日は絶対に触れていてほしい。 「綾人さん、もう僕を抱いてくれないんですか? もう、触りたくないですか?」  今日は、特に綾人さんにとっての分かれ道になる日だろう。今日抱けるか抱けないかで今後の僕らの関係性が決まるような気がしていた。  僕が睡蓮から蓮に戻るためには、綾人さんの匂いが必要だった。ドアを開けたらすぐに綾人さんに会う必要があって、綾人さんは僕があの部屋から出るまで、ずっとドアの前で待機していた。それも、進行を把握するために、仕掛けられたカメラで状況を確認しながら待っていた。    これが最後で、別の人格とはいえ、自分の好きな人が違う人に抱かれるのを黙って見ていなければならなかった。そういう性癖の人でもない限り、かなり辛い状況だっただろうと思う。  だから余計に僕の傷跡の生々しさに耐えられず、眉を顰めたのだろう。それがわかっているから、僕も不安でしょうがなかった。 ——せっかく自由になれたのに、もう綾人さんに抱いてもらえないかもしれないのか。  その思いを早く払拭したかった。  綾人さんは僕の目を見ると、また眉根を寄せて悲しそうな顔をした。それでも、僕を引き寄せて抱きしめると、僕の顎を引き、深いキスをくれた。 「……んっ」  唇を離してじっと目を見つめられる。見ている綾人さんの目は、安堵の色に満ちていた。嫌悪していたり、責めていたりする気配も無い。ただ、言葉が選べずに困っていることだけは伝わってきた。 「蓮、とにかく手当をしよう。防水シートを貼るから、その後に風呂に入ろう。そこで全部洗い流そう。全部。一緒に、な?」  そう言って、温かくて大きな手で僕の頬を摩ってくれた。その手の温もりは、僕がずっと待っていたもの。触れた瞬間に嬉しさが込み上げてきて、言葉が出なくなった。  代わりにたくさんの涙が溢れてきて、ただ頷くことしかできない。そんな僕を見て、ふっと息を吐いた綾人さんは、肩の傷の洗浄を始めた。 「っ!」  僕が顔を顰めると、綾人さんは僕の唇を軽く啄んだ。傷は残っていて沁みはするけれど、もう血は出ていなかった。洗った水分をガーゼで軽く拭き取って、そこへモイストヒーリング用のパッドを貼る。  肩の傷以外はもうほとんど治りかけていた。肩の傷はバックから挿れられた時に思い切り噛みつかれたものだったので、綾人さんにそれを処置されるのも本当は嫌だった。  本当は、見られるのも嫌だった。 「すぐ見えなくなるから、大丈夫」  そう言って困ったように笑いながら、パッドを貼ってくれた。その上からそっと手で押さえてくれる。 「『この傷、無かったことにしたいから見ないで、あなたが噛んで上書きして下さい。同じことをして下さい』最初にそう言われた時、かなり驚いたんだ。俺にはそんなことは出来ないと思ったし、実際やってて辛かった。蓮が気持ちよさそうだと思ったからやってたのに、勘違いだって知ってから、これからもそんな間違いがあったらどうしようって思って、怖くて触れなくなってしまって……」  綾人さんは、本当に優しい。傷つけたくないと思っているから、きっとこのままだと離れて行ってしまうだろう。  でも、僕は嫌だ。ここまで誰かを手放したくないと思ったことがない。諦めたくないと思ったことがない。ずっと一緒にいてもらわないと困るとさえ思っていた。 「僕たち、理解あるふりをする癖がついてるだけです。全部確認するようにしましょう?『気持ちよさそうだけど、痛いのが好きなの?』 って訊けば良かったんですし、僕だって綾人さんに『痛めつけるのが好きなんですか?』って訊けば良かったんです。黙って離れていくのだけは嫌です。それなら、ぶつかり合って二度と顔も見たくないって思うまで嫌な人のイメージで上書きしていってください! そうじゃないなら、離れていかないで! 今更僕を一人にしないで! 守ってくれるんでしょう? 僕を孤独から守ってよ!……早く今までの僕を洗い流して、綾人さんのものにしてください!」  綾人さんの服を握りしめて、僕は叫んだ。 「うわっ!」  僕のその言葉を聞いた綾人さんは、僕を抱き抱えてベッドを降りた。そしてそのままバスルームへと駆け込んだ。 「ちょ……なんでそんなに全部突然なんですかああ! 怖いんだってば!」  ベビードールをポイポイと剥ぎ取られ、それを床へと投げ捨てられ、いつの間に張られたのか、浴槽にいっぱいのお湯の中へと僕をドボンと落とした。 「ぎゃー! ちょっと……何する……んっ!」  一緒になって飛び込んできた綾人さんは、お湯ごと僕を抱き竦めた。二人の間に入り込んだ温もりが、その隙間を縫って逃げ出す。そしてそれがいなくなった場所を埋めるように、ピッタリと体を張り付け合って、噛み付くようなキスをした。  熱くなった舌がお互いの唇の奥へと入り込み、二人でひたすらに追いかけあった。 「あう、ん、はあっ」  激しく絡み合わせた舌を綾人さんに捉えられ、強く吸われると体が甘く痺れた。ぶるぶると震え、喜びの色に目が染まる。その目で綾人さんを見つめると、向かい合ったまま膝の上に抱き抱えられた。  僕が綾人さんの首に両手を回すと、綾人さんの手が僕の中心に触れた。そのまま優しく行き来を繰り返す手の感触で、お湯がとろとろになっていることに気がついた。 「あっ……気持ち、これ、お湯……」 「こういうバスソルトがあるんだよって後藤さんがくれた。葵たちも使ってるらしいよ。やらしいよね、あの人たち」  ニュルニュルと響く音が、耳まで刺激する。思わず身を捩って浸っていると、後ろからも甘い刺激が入り込んできた。 「ふあっ! あ、だめ、一緒、だめっ!」  後孔から奥へと入ってくる刺激に、思わずゆらゆらと腰が揺れる。とろけたお湯がちゅぷっと音を立てて、また耳への刺激が増えた。   「んんんっ!」 「蓮、その顔もっと見たい。こっち向いて、顔逸らさないで」  そう言われて必死に顔を前に向けると、綾人さんと目があった。綾人さんの目が欲に濡れて、じっと僕を見ていた。その目がだんだん近づく。気持ちよさに頭がぼうっとしていた僕は、それをただ見ていた。 「はあんっ! あっ! だめ、い、く、から……あああっ!」  カプリと軽く胸を喰まれた。痛めつける噛みつきではなく、歯を立てずに優しく、甘く刺激され、口内に収まった部分を舌で舐られ、吸われる。  前も、後ろも、胸も愛され、もう頭の中は気持ちいという言葉しか無い状態になっていた。顎を上げ、ひたすらに喘いだ。 「蓮、かわいい……愛してるよ」 「あっ、あっ……ぼく……も、っあああ!」  誤解して離れたまま、ずっと抱き合えなくなっていた僕たち。大きな勘違いを正して、大きな問題を解決して、やっと今、抱き合えた。  僕のナカに入って喜びの涙を流している綾人さんを、ぎゅっと抱きしめた。そして、僕は綾人さんから与えられる快楽によって幸せを取り戻す。 「もう、痛い思いはしなくていい。ただ俺に愛されて。俺のことを愛して。それだけでいいよ」 「ん、あっ、は、いっ! は、いいいいっ!」  綾人さんは、返事をする余裕も無い僕を見て、一瞬子供のような笑顔を見せた。そして、そのあとはその笑顔に似つかわしく無いほどの猛烈な抽送を繰り返した。 「あああっ! 綾人さっ……も、だめ……え!」  体の芯から支えを失うほど、大きな波に飲み込まれた。それは僕を幸せの海の底へと溺れさせてくれた。 「蓮、やっと俺だけの連になった」  そう呟く綾人さんの声が嬉しい。嬉しくて涙が溢れた。 ——もう二度と離れない。  涙を拭う力も残らないほど愛された僕は、心の中でそう固く誓った。

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