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第7話

 話を整理する気にもなれない。整理するだけの材料がない。彼の叔母と思しき人物の意図も的を射ない。もう一人くらい関係者に話を聞くべきだと思うのだが当てがない。候補としては彼の叔母と思しき人物のお友だちとやらである。もしかしたらあの家にいたのかもしれない。無理にでも訪問していればよかったのだ。  もはや日課となった散歩の際にもう一度あの場所に行ってみる。巨大な門は固く閉ざされていた。彼はここに住んでいたのだろうか。懐いていないといっても叔母の家なら住んでいてもおかしくない。  私はそこはかとない嫉妬に駆られる。門の柱に蹴りを入れてから家路を辿る。気になるのは叔母よりもそのお友だちだ。どうして叔母の愛人なんかが彼を捜さなければいけないのだろうか。やはりそのお友だちとやらと関係があったのだろうか。悔しい。彼は私以外の人間と寝ていたのだ。それが叔母の愛人だったのだ。  午後になって臨時秘書が何の予兆もなく忍び込んできた。訪ねてきたのでもお邪魔したのでもない。本当に忍び込んできたのだ。カギがかかっていなかった窓を探し当てて。 「どこから入ってくるんだ」 「見ての通りかと」  臨時秘書は小型のノートパソコンを抱えていた。それを用いて待ってましたの情報をもたらしてくれるのかと思ったらちっともそんな気配はなかった。彼女は私の家に忍び込むに当たってたまたまノートパソコンを持っていただけだったのだ。或いはそれはお付きか用心棒なのかもしれない。彼女にもしものときがあるとそれは牙をむいて襲い掛かってくるのだ。言動に気をつけようか。 「何か進展があったの?」 「家出じゃないですか」 「どうしてそう思うのさ」 「そういう設定なら御の字ですし」 「御の字?」  臨時秘書は突如脚を崩す。早くも痺れてしまったようだ。痺れるくらいなら最初から正座をしなければいいのに。座布団があると発作的に正座をしてしまう人種なのだろう。 「君はやる気があるのかないのかどっちなの?」 「ありますよ。先生のお望みならば私の全力で当たって砕けてしまいたいという所存です」  私は頭が痛くなってきた。それが天然臨時秘書のせいなのか、これから雨になるという予言的なものなのかいまの段階ではなんとも判断のしようがない。 「信仰というのが肝ですね」 「どういう意味かわかる?」 「辞書をお引きになっては?」  駄目だ。私のなけなしのエネルギィが搾取されている。 「私の電子辞書を貸しましょうか?」 「あの家については?」 「あの家というのは?」 「ヨシツネ君の叔母だかなんだかの家だよ。家というより寺院みたいじゃないかな。よくわからないけど」 「それが信仰では?」 「違うさ。あの人はヨシツネ君が目的じゃないんだ。話聞いてないだろ」  臨時秘書は煮え切らない欠伸をした。 「話を変えよう。学ランは?」 「いいですよね」 「君の趣味はどうでもいいよ。そのくらいは調べてくれたんだろうね」 「ええはい、学ランならお任せください。近隣に三つあります。中学が二つと高校が一つ」  臨時秘書はついにノートパソコンに手を触れた。慣れた手つきでキーボードを叩き何らかの画像を表示させる。ネット上のサイトのようだった。 「まさかとは思うけどこれ」 「私の管理するサイトです。URLは後ほど」 「要らないよ。で、どれ?」 「これです」  絶対に盗撮だ。学ランを着た生徒の写真がわけのわからないコメント付きで並んでいる。私はそのコメントの意味を取らないように写真だけを凝視する。 「これは肖像権とかいろいろ大丈夫なの?」 「よくご覧下さい先生。映っているのは人ではありません。学ランです」 「確かにそうだけど。君は僕のとこ辞めてからこそこそとこういうことをしてたわけ?」 「そんな俄かマニアと一緒にしないで下さい。私のワイフワークは学ランから始まってブレザで終わるわけで」  他にも響くものがあるらしい。もうどうでもよくなってきた。頭はさらにずきずきしてくる。 「ありませんか?」 「ぼやけててわからないよ。実物とか」  そこまで言って後悔した。臨時秘書は急に立ち上がって窓から飛び出していった。止めるべきだったのだ。道を歩いている学ランの生徒を拉致してくるのかもしれない。犯罪抑止のためカギをかけようかと思った矢先に臨時秘書が戻ってきた。今度は大きなスーツケースを引きずっている。 「どこまで行ってきたの?」 「私の車です。万が一のために持って来てよかったです」  スーツケースの中には学ランが三着入っていた。臨時秘書はそれをいそいそと取り出し勝手に畳の上に展示し始める。  しかし私はこれらのコアな収集物品よりも彼女が車を運転できるということのほうが衝撃的だった。彼女が運転席でハンドルやらステアリングやらを握っている様が想像できない。しかもどこに駐車したのだろう。私は車を持っていないから家に駐車場はないし、この辺りは道が狭く一方通行が多いから駐車禁止になっているはずだが。レッカ移動になっていたら私のせいになったりして。 「どれですか?」 「違いがわからないんだけど」 「違いますよ。ほらこれはここのデザインが」 「いい。ちょっと黙っててくれないか」  必死に記憶の断片を手繰り寄せる。彼はいつも学ランを羽織っていた。それは実在する学校のものだと。しかし何度映像を再生させても学ランということとその色が黒だったということくらいしか思い出せない。私は学ランなんか見ていなかったのだ。私が見ていたのは彼の周辺ではなく彼そのもの。 「学ランて勝手に作ったりできる?」 「勝手に作るほうが多いですよ」 「君は詳しいの、そういうの」 「私は作ったり着たりするのではなくて観賞のほうが主ですからね。でもわざわざコスプレして先生のところを訪問されるとはなかなかわかってますね彼は」  全力で頭痛を訴えることによって臨時秘書を追い出すことに成功した。二度と来るなと言えないところが私の甘いところだと思う。  臨時秘書のことは嫌いなわけではない。彼女の発している周波数がもの珍しいだけなのかもしれないが、とにかく厭ではない。事務所兼仕事場にいたときも彼女のおかげで退屈しなかった。  あの仕事はもうしない。絶対にしたくない。  人捜し、と思う。こんなことならあの時電話番号なりアドレスなりを聞いておけばよかった。意地を張ると碌なことがない。  畳の上に寝転がる。天井の染みを数えながら頭蓋骨の軋みを感じる。頭痛を和らげれば何か浮かぶかもしれない。多少不快になるくらいは覚悟する。台所に行って頭痛薬と水を流し込む。少し眠ったほうがいい。  起きてから一番最初に視界に入ったのは、天井でも自分の手でもなく知らない男だった。これなら臨時秘書のほうが数億倍マシだろう。彼女は終末論的に気が利かないが正体については未知ではない。  私はわざと眼を合わさないように焦点をぼやかしていた。遠くを見るつもりで近くを見るのだ。その逆に、近くを見るつもりで遠くを見たって構わない。その時はたまたま遠くを見るつもりで近くを見ていただけ。 「勝手に上がってしまい申し訳ございません」 「どこから入ったんでしょうか」  男が指したのは案の定縁側の窓だった。寝る前にカギを確認する習慣をつけようか。  私は体を起こして適当に髪を整える。男は微動だにせずに正座している。背中に物差しが入っているのだ。或いは鉄板。バーベキュでもするつもりなのか人の家の庭で。 「奥様のご希望で一度ご挨拶にと伺った次第です」  男は完璧な仕草で名刺を差し出す。手品のようだった。瞬きしていたので手の中から出てきたように見えた。私はそれを一瞬だけ見るふりをしてテーブルの上に置く。捨ててもよかったのだがゴミ箱が思いのほか遠かった。折って紙飛行機にしてもそこまでは飛ばせない。 「ご大層な仕事ですね」 「いえ、先生ほどではございません。先生のご活躍は」 「挨拶はいいから。ヨシツネ君の話だよね」 「はい。私共でも只今全力で捜しておりますがまだ」  ダークスーツの男はきびきびとした口調でわたくし、と発音した。駅に行けば少なくとも十人は似た外見の男を見かける。表情が不変で会話がしにくい。その他大勢、というプレートを首からかけている一般大衆を模している。 「催促でしょうか」 「いえ、奥様の希望で」 「だから、その奥様がわざわざ僕のところにあなたを派遣したということはそういうことでしょう。捜せったって無理ですよ。あなた方のほうがずっと手掛かりも多い」 「率直に申しますと、ヨシツネ様は奥様を好いておられません。確かに親権は奥様にありますが、ヨシツネ様はお屋敷に踏み込まれたことは一切ありません。言いにくいのですがその、毎日違う家を転々となさっていたようで」 「その流れで僕のところに来た、と。だから把握している最後の足取りの僕になら捜せるんじゃないかってことだろうか」 「その通りです。何か手掛かりなど」 「あったらとっくに見つけてるよ。僕はすごく不愉快なんだ。どうしてかわかってもらえてるかな」 「眠っておられたところを訪問したのは本当に申しわけありませんでした。しかし私たちは一刻も早くヨシツネ様を」 「そう考えるんだったら僕に何らかの情報を残してくれないだろうか。僕が彼について知ってるのはその偽名みたいな名前とおカネ好きだってことくらいで」  ダークスーツでメガネをかけた男は咳払いをした。場面転換の合図だったらいいのだが。 「それは出来ません。出来る限り話すな、と奥様にくれぐれも申し付けられておりまして」  私は溜息をついた。男は瞬きもしない。 「あなたたちは捜す気があるんですか。ヨシツネ君については何も言えない。だけど僕に捜せ。無理だよ。人捜しのプロ、警察やそれこそ探偵にでも頼めば?」 「あの集団に見つけられるようだったら私たちも苦労はしません。ヨシツネ様は完璧なのです。それは先生が一番よくご存知でしょう。実は県内にいるのかすら怪しいのです」 「それはいないでしょうね。ここ県じゃないんですから」  ジョークのつもりだったが男は笑わない。彼らの辞書には笑うという動詞が掲載されていないのだろう。または、たまにふとしたきっかけで人語が通じなくなるか。後者に臨時秘書の今月分の給料を賭けてしまえ。 「ヨシツネ君は家出をしたかったんじゃないですか。あなた方から離れたくて。だから僕にカネを要求した。そういう仮説はもう棄却ですか」 「先生は家出とお考えですか?」 「僕の秘書の説だよ。面白かったから披露してみただけ。結構的を射ているんじゃないかな。引き取られた叔母が嫌い。勿論その般化であなた方の組織も嫌い。おカネを欲してた理由だって家出資金だとしたら納得がいく」  男は沈黙した。だが沈黙というよりは切断だった。急いで予備電源に切り替えているに違いない。こっちのコードをあっち、あっちのコードをこっちに、といった具合に。 「ではどこに行かれたのでしょう」 「だからそれをあなた方が血眼になっても突き止めるべきだろうに。奥様の信仰が盗まれたそうですね。まずいんじゃないですか」 「協力していただけませんか。先生のお力ならば」 「僕はあれは辞めたんだ。その辺の事情は当事者の僕なんかよりあなたたちのほうが熟知しているはずだけどね」  どうもあの奥様といいこの派遣男といい、私の頭痛を和らげるのが得意である。トルマリンでも身に付けているのだろうか。或いは身体の構成物質がトルマリンか。 「帰ってくれないかな。迷惑なんだ」 「奥様からのご伝言を忘れておりました。先生がヨシツネ様を見つけられた暁には」 「親権なんか要らないよ。僕は彼と親子になりたいわけじゃないんだ。それにその条件はもう聞いてる。断ったつもりだけどそういうふうに伝わってないみたいだね」  男はメガネのフレームを少し上げた。左手を上着のポケットの中に入れたがなかなか出そうとしない。左手に何らかの機能的故障が発生してそれを水面下でこっそり直しているみたいだった。 「ヨシツネ様のお父上は生きております」 「その情報がなんだろう」 「私たちが考えた最も有力な仮説がそれなのです。しかし私たちはアプローチする術を持たない。そこで先生にそれを依頼したく参った次第です」 「どうしてそれを一番先に言わないの?」 「失礼ながら様子を見させていただきました。先生がどれほどヨシツネ様にその、執着していらっしゃるのかを測っていたのです。重ねてお詫び申し上げます」  男は仰々しく頭を下げる。左手はまだ出さない。 「そういうのはすごく不愉快だ。フェアじゃないし」 「お言葉ですが先生、私たちが目指しているのは公平ではありません。利益でもございません」 「公平も利益も求めていない組織なんて碌なもんじゃないね。さっきの話はお断りします。帰ってください」  私は座布団を枕に横になる。眼も瞑ってやった。  しかし男はいっこうに移動する気配がない。それどころか頭の上のほうでがさごそ音を立てられていて耳障り極まりない。 「参考までに資料を置いていきます。三日以内に出発なされないのであれば回収に参ります」 「いま回収してくれて構わないけど」 「もう一度来るための口実です。それと先生、あの門は歴史的にも文化的にも相当の価値がございますので丁重に扱っていただきたく思います。それでは長々と失礼致しました」  返事をする気にもなれない。男は来たときと同じく縁側から出て行った。遠くで車のエンジン音が聞こえたような気になってから私はむっくりと起き上がって名刺を破り捨てた。火を点けてやりたかったのだが火事が怖いのでやめた。  置き去りにされたのは真っ黒のファイルだった。スクラップブックというよりはレシピノートのような雰囲気だ。挟まっていた紙は既視感ばりばりの地図の切れ端。黒い油性マジックの荒々しい線が道順を示している。ファイルごと置いていく意味はなかったと思う。挟まっていたのはただそれだけだった。逆さにして振っても何も落ちてこない。  もしかしたらこのファイルには発信機が仕掛けられているのかもしれない。その可能性はかなり高い。門の入り口にも監視カメラがあったのだ。私の情けない蹴りが見られていた。じろじろ観察されていたのはひどく気分が悪い。  さっきのダークスーツ男は何者だろう。私は脳の九割以上でそれについて仮説検定をしていたため、残りの一割以下で男と話をしていたにすぎない。あの如何わしい名刺を鵜呑みにするなら奥様とやらの側近のひとりということになるが何となく納得がいかない。いっそ奥様の愛人であり血眼になって彼を捜しているのは他ならぬ私だ、と言ってくれたほうがすっきりした。きっとそうに違いない。向こう一週間は落ち込むような呪文を捻じ込んでやればよかった。  破られた地図が切り取った地面は隣県のものだった。彼の叔母率いるダークスーツ男たちの組織の推理が合っていたとして、彼は彼の父親の元に何をしに行ったというのだろう。  私の勘はそこにいないと囁いている。頭痛がしないので信用に値する。若者が結婚の許しを得に行くわけではないのだから彼の父親、それも縁を切った父親に会いに行くことはあり得ないと思う。おそらく私を彼の父親に会わせることが目的なのだ。彼の捜索は元より二の次であり、副次的要因である。見つかったらいいな、的な捜索意識だから見つかるものも見つからない。  本当に、心から、虫唾が走って全身がかゆくなるほど不服だが、私は次の日電車に乗った。

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