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第2章 罪蜜ツミミツ Criminal Honey Poisonously

      1  その人はカナバさんといった。  たぶんぜったい偽名。檀那さまのご厚意を括弧に入れさせてもらえば、ぼくも偽名みたいなもんだし、別に気にならなかった。 「ちゅう?」  ぼくが答えるのを躊躇っていたら向こうで勝手に中坊ということにしてくれた。ぼくが著しく童顔だからかもしれない。ツツボさんにも言われた。  カナバさんはどう見ても真面目な感じとは程遠い。そもそも真面目だったらぼくみたいなわけのわからない子には声なんかかけないし、午前中から街中をうろうろしていない。今日は平日だから(平日だっけ)学校があれば学校だし、会社があれば会社。  でも大学生だったら。 「なんや食おか?」  ぼくはうなずく。  カナバさんはタコ焼きを買ってくれた。すごく大きなタコ。とても美味しかった。熱かったから時間がかかる。  カナバさんはとっくに食べ終わってコーラを飲んでいる。 「うまいやろ? オレ好きなん、ここ」  ぼくはうなずく。 「なんやきみ、うなずいてばっかやんなあ。声聞かせてえな」 「ごめんなさい」 「なんで謝るん? 可愛えな」  ぼくは俯く。檀那さまのことを思い出してしまった。  ぼくは悪いことをしている。ぼくは罰せられるべきことを行っている。指定された相手以外から物をもらってはいけない。メールだって届いていないのに。  カナバさんは大学生かもしれない。カーキのファー付のトレンチコート。オフホワイトのシャツにジーンズ。体格もよくてぼくより二十センチくらい背が高い。なにかスポーツをやってそうだ。 「家出ぼん?」  ぼくは首を振る。違うっていう意味じゃなくて。 「きいたらあかんかな」 「ごめんなさい」 「まあ、ほんなら行こか」 「あ、あのぼく、おカネ持ってなくて」  公共交通機関に頼れない。 「それで、あの」 「かまへんかまへん。すぐそこや」  歩いて三分くらいのところだった。薄汚れたビルの地下。  階段の両側の壁に怪しい張り紙がいっぱいある。薄暗いからよく見えなかったけど裸の写真だと思う。  変なにおいがする。お酒じゃなくてもうちょっと甘い感じの。  一番下段に褐色レンズのサングラスをかけた金髪の人が座っていて、欠伸をしながらケータイをいじっている。カナバさんはポケットから何かを出す。サングラスの人はそれをちらっと見てイキ、と顎をしゃくった。  明かりが点滅する通路の突き当たりにぼろぼろのドアがある。開けるときに油が切れたような音がした。中も薄暗いし煙い。 「最後やぞ」  カナバさんじゃない声がした。パイプ椅子がぎいぎいと鳴って、いきなり顎をつかまれる。上を向かされたのだ。  その人は飛び出そうなくらいの眼球をぎょろりと動かして、至近距離でぼくを検分する。 「ツラやないで? こっちやこっち」  その大柄の男の人はぼくのお尻を撫でる。ちょうど太い指が当たる。捻じ込まれるみたいな触り方だった。 「ええ、そらもう」 「ウソくさ」  ぼくは硬いマットの上に押し倒される。体育館のステージ下に収納されてる白いマットのにおいがした。それと同じものかもしれない。  大柄の人はぼくの服をぜんぶ剥いで脚を開かせる。脚を男の人の肩に乗せられてずぼずぼと指を挿れられる。指輪みたいなのが当たってすごく痛い。宝石と金属が内壁を擦る。その横でカナバさんがぼくを刺激する。舌とか手とかで、強くもなく弱くもなく。 「出させろや」  大柄の人がそう言うと、カナバさんが咥えた。びゅうびゅうと飛び散る。カナバさんは寸前で口から出したので、精液はぼくのお腹についた。  大柄の人が指で掬う。自分の舌にのせたりぼくの内壁に染み込ませたり。  ぼくはすごく怖くなる。背筋がぞっとなる。 「もうええわ。好きにし」大柄の人は大蛇みたいなものをぶらぶらさせたまま部屋を出て行ってしまった。  カナバさんは服を脱いでぼくの隣に寝転がる。眼前にカナバさんの。 「俺もきもちようなりたいわ。男ならわかるやろ?」  ぼくは反射的にしゃぶりつく。ほの温かい。カナバさんに舐めてもらってるんだと考えただけでぼくは射精した。  カナバさんは体を起こす。  ぼくはカナバさんを見上げる。眼が合う。ぼくはどきどきする。 「きみ、ホンマに初めてなんか?」 「ごめんなさい、その」 「ええよぉ、俺そうゆうの気にならへん」カナバさんがにやにや笑いながらぼくを扱く。 さっき大柄の人がやってたのと同じ体勢で。ぼくのお尻にカナバさんの先が当たっている。  カナバさんは器用にコンドームを嵌めると、ぼくのお尻にぬらぬらの液体を垂らす。冷たい。ぐちゃぐちゃと指で掻き回される。  でも大柄の人よりきもちいい。溶けてく感じ。  カナバさんはよう締め、と言って押し込む。ぼくを激しく突く。ぼくも腰を振る。すごくきもちいい。  大柄の人が戻ってきた。でも特に何もしない。ただぼくがカナバさんに掘られているのを見ているだけで。  ぼくは、部活の後輩が、同じ部のメンバによってたかってマワされてるのを、こっそり盗み見たことがある。ボールの片付けをしていたときに変な音がして、体育館裏の倉庫をのぞいてみたら、その子が全裸で喘いでいた。  白いマット。先輩以外は男バレが全員いたと思う。ただ何もせずけらけら笑ってる人。脇で自分を扱いてる人。その子を拘束している人。言葉攻めしながらケータイで写真を撮ってる人。自分のを無理矢理その子に咥えさせている人。その子の手に自分のを握らせている人。  そして、その子をがんがんと掘りまくっている部長。助けようとは思わなかった。その子の声が、助けて欲しそうな声には聞こえなかったから。  いまのぼくもそんな声を上げてると思う。止めないで欲しい。見てて欲しい。あの子は誰に見てて欲しかったんだろう。男バレの誰かだったらあの場にいたけど。ぼくだったら先輩に見て欲しい。せんぱい、と言ってしまいそうになった。  ちがうちがう。  この人はカナバさんなんだ。ぼくは首を振る。  カナバさんはイク、イクと言いながらすごい力でぼくの腰を引き寄せる。ぼくもカナバさんの肩に両腕をまわしてしがみつく。大柄の人の首が動く。ぼくとは反対のほうを向いた。つまらなくなったのかな、と思ったらそうじゃない。  ぎぎぎ。  ドアが開いててそこに、階段の一番下にいたサングラスの人が立っている。カナバさんも気づく。ぼくを抱き締める力が弱まる。  誰も何も言わなかった。言う必要がなかった。  サングラスの人のコメカミに。  銃口が。 「ガッコで習わへんかったんやろか? 人様のもん勝手に盗らはったらどろぼーさんやて」  眠くなりそうなくらいゆったりした声だった。たぶん女の人だと思うけど自信がない。高いような低いような。それにぼくのいる位置からは銃口しか見えない。 「あんさんたちが選べるんはふたつだけ。暗うてじめじめ淋しいとこでさらばい。雪舞ってきらきら綺麗な白銀世界でさらばい。どっちにしましょ?」  カナバさんがぼくから抜こうとしたら、銃の人があかんえ、と言った。 「動かんといてな? ウチ、気ィ短うて。ほな、さっきの答えききましょか」  液体が流れる音がする。サングラスの人が失禁した。  銃がもう一つある。  それがサングラスの人の股間に押し付けられてる。 「いややわあ、汚さんといてね。この子、ウチのお気に入りやさかい。それにウチな、こないな趣味はあらへんの。無視されるんも厭やし、ことば通じへんのも厭やわ。最期にしとくりゃす? どっちがよろしおすか?」 「だ、誰やあんた」  大柄の人の声だったと思う。だけどもうわからない。  大柄の人が床に近づく。倒れた。  銃声がちょっと遅れて聞こえる。  床に液体が広がる。黒い黒い。 「ウチが厭なもん、もひとつ忘れてました。もっさいボン」  サングラスの人が床に放られる。  また銃声。ぼくは眼を瞑る。 「ボンて。結構年ですやん、この人」 「ウチからしましたらみんなボンやわ。勿論あんたもな。さ、決めはって」 「ほんなら雪にしてくれませんか。フルチンで最期なん、むっちゃしんどいわ」  カナバさんが服を着る間、銃の人はカナバさんの後頭部に銃口を当てていた。  ぼくは体についた精液を拭き取る。そっちのかいらし子は服着ましょ、と命令されたからだ。銃の人はもう一つの銃を床に向けている。ぼくは撃たないのだろうか。ぼくなんかにウェットティッシュもくれたし。  明かりはとうとう切れていた。これならさっきいた部屋のほうがまだ明るい。  廊下を進んで階段を上がるまで、誰も何も言わなかった。銃の人がウチやかましのも厭やわ、と言ったせいかもしれない。  地上は眩しい。光が眼に突き刺さる。  雪はさらに積もってる。十センチくらい。  巨峰色の車の後ろに、ブルーベリィ色の車が停まってる。二つとも生クリームがかけられたみたいにボンネットが白くなっていた。後の車からダークスーツの背の高い男の人たちがぞろぞろ降りてきて、カナバさんをブルーベリィの中に押し込む。 「かいらし子はこっちやて」銃の人はすでに銃を持ってなかった。柔和に微笑んでぼくを巨峰の中に導く。  柘榴色の着物に梨色の帯。天女の羽衣みたいなショール。艶のある栗色の髪を後ろで結わえてある。  車の中は何故かバナナのにおいがした。 「あらあかん、着信ありましたえ」  何のことかわからなかったけど、その人はぼくのケータイを耳に当てている。いつの間に。ぼくはコートのポケットを探るけど、そんなことすでに意味がない。 「はばかりさんやね。お元気どすか? ウチ? お蔭さんでぴんぴんしてますえ。うふふぅ。んもう、せーだいおべんちゃらゆわはんといておくりゃす、調子に乗ってまう。顔見せてくれへんかったら、この子食べてしまおかな。せやあ、あんさんええ子やさかい、わかりましゃろ。ほな、さいなら」  どうゆうことだろう。  たぶん、話し相手は。 「ホンマかいらしお子やねえ。ウチも遣いたい」 「あの、すみませんが檀那さまとは」 「ウチのあにさんどす」 「え」 「うふふふ、似てませんでしょ。ええんよ、ウチ正直なん好きやわあ。まきちよクン」  ダメだ。この人は本当に檀那さまの妹さんだ。  同じにおいがする。バナナとかじゃなくて。バナナは違う。ところで、どうしてこの車はバナナのにおいがするんだろう。ダメだダメだちがうちがう。バナナとかそうゆうことはどうでもいい。ぼくは混乱してる。 「あにさんえげつないさかいにね。まきちよクンたちお腹空かせてその辺のクズにほいほい付いてっても知らんふり。せやけどウチは違うんよ。可哀相なお子を助けてあげたい。ホンマにな、ウチが気づいて良かったねえ。せやのうたらまきちよクン、あやしげな映画出演てはりましたえ? お犬さんやらお馬さんやら咥え込んでな。わんわんひひーん」  ぼくは混乱している。 「ああも、ウチは現役引退しましたのに、こないな無理させて。あにさんからぎょーさんボらしてもろてハワイにでも行きましょか。まきちよクンも来よります? ハワイはええよ。日本人はハワイ大好きやもん」  ぼくは首を振る。 「そやのぉ? 残念やわあ。かいらしお子が傍におったらパラダイスや思いますのに」 「あの」 「ウチのこと、奥さまて呼んでな」  奥さまは運転手に何か呟く。ぼくには聞き取れない。異国語のように聞こえた。  すごく綺麗な人だ。  身の振る舞いがどことなく檀那さまに似てる。  ぼくはここでとんでもないことに気がつく。ぼくは檀那さまの言い付けを破った。  言い付けを破ってカナバさんにタコ焼きをご馳走してもらった挙句、大柄の人にお尻をいじられて、カナバさんに嵌められて。  ぼくは何てことをしてしまったんだろう。どうしよう。ぼくは罰を受ける。昨日(昨日だと思う)池に落とされたあの子のように。キサガタさんに燃やされて埋められる。 「どないしたん? がちがち震えたはりますえ? ひやこいどすか?」  足元から熱風が噴き出る。でもぼくは身体の芯が冷え切っているから、いくら外部から暖めようと思っても不可能だ。  ぼくは悪いことをした。  悪いなんてもんじゃない。ぼくは檀那さまに叛逆した。反旗を翻した。歯向かった。 「あにさんに殺られる思うてびくびくしてはるんやったら心配要りませんえ。ウチがきつーくゆうてあげますさかいに。あにさんが優しうしはってたらこないなことにならんかったんえ、てな。せやから泣かんといてな。かいらしお顔が台無しやわ」  ぼくは泣いているらしい。わからない。涙が出てるのか出てないのかも。生きてるのか死んでるのかすらわからない。  檀那さまに嫌われたら。  ぼくは生きていけない。  またホテル。ツツボさんのときよりももっと高級そうな。エントランスに若くてカッコいい男の人がずらりと並んでて、奥さまが車から降りると同時に一斉に頭を下げた。  すごい光景だった。  ぼくはまた場違い。いくら外見を取り繕ったって中身が伴ってないからすぐに見破られる。  身体からはまだ精液のにおいがしてるし。どんなに拭き取ったってシャワーを浴びたってにおいというのは消えない。ぼくは見透かされている。誰ともわからない人々に。  裏切った。叛逆罪だ。  死んでお詫びしろ。  エレベータに乗って上へ上へ。降りたところがすでに部屋だった。奥さまの優しい心遣いでぼくはシャワーを浴びる。  すごく広いバスルームで落ち着かない。水の音が厭に響くし、床とか壁とかぴかぴかで大きな鏡にぼくの全身が映ってる。  乳首の周りが赤くなってた。カナバさんが吸ってくれた証。カナバさん。  ぼくは鏡の前で自慰をした。我慢できなかった。カナバさん。奥さまがその扉の向こうにいたって、もうどうでもよかった。  檀那さまも来られるのだろうか。  檀那さまになら見ていただきたい。先輩にも見てもらいたかった。  ぼくは生きている価値がない。死ぬしかない。それなら何をしてもいいや、という気になってくる。  遺言。檀那さまの手でとどめを差してください。お願いします。       2  何日経ったのだろう。何週間でも何ヶ月でも同じ。何年だって変わらない。  ぼくは罰を受けている。  暗くてじめじめした洞窟の中。寒いのか暑いのか、痛いのか気持ちいのか。麻痺している。  岩がごつごつ。雫がぽたぽた。  たまにキサガタさんらしき人が食べ物を持ってきてくれるけど、それが本当にキサガタさんなのか、違う人なのか、それともキサガタさんは本当に真実として事実としてぼくのところに来ているのか、わからない。まぼろしかもしれない。ぼくがひとりぽっちで淋しいから、そうゆう想像をしているのかもしれない。  食べ物だってそうだ。罰を受けているはずのぼくなんかにどうして食べ物を持ってくるのだろう。やっぱりおかしい。ぼくなんか餓死して当然だ。  つまりこれはぼくの想像。  想像で食べた気になってるだけなのだ。パンとか牛乳とか。  奥さまは、ぼくがバスルームから出るとうふふふ、と笑いながら帰ってしまった。  檀那さまはしばらく黙っていたけど、ぼくがいるのを確認されると、ぼくの下腹部を思いっきり蹴った。  下腹部だけじゃない。頭とか背中とか、手を踏んづけて脚を踏んづけて、鼻血を出させ、涙を流させ、耳鳴りを引き起こさせ、口から涎を流させるまで、ぼくを繰り返し繰り返し蹴ってくださった。骨も折れたと思う。  痛み。熱。鬱血。  ぼくの意識が遠くなりかけると、檀那さまは絶妙なタイミングでぼくを怒鳴りつけた。鼓膜が破れても構わなかった。檀那さまのお声で破れるのなら本望だ。  檀那さまは怒っている。ぼくなんかのために腹を立てられている。なんて勿体のない。  気づいたらお屋敷の庭にいた。たぶん庭だ。池らしき輪郭がぼんやり。  眼がよく見えない。眼球が嵌め込まれているのかすらわからない。音もよく聞こえない。耳たぶはあるだろうか。鼻とか指とか。  檀那さまはぼくに教えてくださった。  カナバさんが死んだ、と。  奥さまが処分したってことは銃で。雪の上に赤い血を散らして亡くなったんだろうか。カナバさんは望みどおり雪に還ったのだ。  ぼくは哀しくも嬉しくもなかった。  もう会えないと思ってたから、ぼくは雪の魔法に感謝してる。  ぼくはとっくに気づいてた。カナバさんは先輩だ。外見も内面もだいぶ変わってたけどすぐにわかった。  タコ焼きでわかった。笑い方でわかった。喋り方で話し方で。歩き方とか攻め口とかしゃぶり方とか性器の形とか、嵌めてもらったときに涙が出そうだった。  先輩が気づかなくてよかった。ぼくは先輩の記憶からすっかり抜け落ちてた。  それでもよかった。  ぼくは初めて先輩に抱いてもらった。  あの日、  ぼくの後輩がマワされてるのを盗み見た日の次の日、先輩がぼくに鎌をかけてきた。昨日の片付けの後、さっさと家に帰ったか。  ぼくは答えられなかった。何て言っても間違いのような気がして。  そしたら先輩は、ちょっと来い、と言ってぼくを体育館裏の倉庫に連れて行った。ぼくは怖かった半面期待していた。ぼくもあの子のようにみんなにマワしてもらえるのだろうか。今度はぼくがターゲットになるのだろうか。でもそうじゃなかった。  先輩はぼくに土下座した。頼むから黙っててくれ、あれは俺がやらせたんだ、だからあれがバレると推薦切られるから、て。  ぼくは何も言えなかった。だってぼくは見たとも見てないとも言ってなかったんだから。ぼくは知りません、と言った。でも先輩はぼくが目撃したと思い込んでいる。話は一歩通行だった。  ぼくは、その日の部活をサボった。頭が痛い、と嘘をついて。でも本当はそうじゃなくて、ぼくが不在なら昨日と同じことが起こると思ったから。  読みは当たる。ぼくは昨日のようにこっそり体育館裏の倉庫をのぞきに行った。  今回は先輩も参加してた。先輩が昨日いなかったのは、自分がいなくても部内の統率がとれるか確かめたかったから。部長は先輩の言いなりだ。男バレの実質の権力者は副部長である先輩だった。  先輩は昨日と同じことをやって見せろ、と部内メンバを動かせた。たぶん昨日の流れのままを再現するなら、副部長が後輩の子を嵌めた後に先輩が下半身を露出する。  ぼくは釘付けだった。先輩が嵌めた瞬間その子の声が一際高くなった。すごく気持ちいいのだ。マワされてる子がうらやましい。先輩は何故その子を選んだのだろう。その子が好みだったんだろうか。  いいな。ぼくじゃダメなんだ。  あとで風の噂が知らせてくれたんだけど、先輩がぼくのいないときにああゆうことをしてたのは、ぼくを巻き込みたくなかったかららしい。  ぼくはウソだろうと思った。部長も含め先輩以外の部のメンバは、ぼくを先輩のお気に入りだと思ってた。  ウソだよ。ぼくを不登校から脱させてくれたのは他ならぬ先輩だけど、それは別に先輩が学校でぼくと会いたいからわざわざ呼びに来てくれたわけじゃない。  先輩は暇だったんだ。  暇潰しの一環としてぼくの背中をちょっと押してくれただけなんだ。ぼくはそう主張したかったけどすでに先輩の代は卒業していたから黙ってることにした。そんなこと、いまさら意味がない。  やっぱりぼくは先輩に相手にされていなかった。  でもぼくは雪の魔法で何年かぶりに先輩に再会できて、先輩に嵌めてもらって先輩のを舐めさせてもらえた。  死にそうなくらいうれしい。  檀那さまにも見捨てられたいま、ぼくはこの世に留まる意味がない。キサガタさんでもいいや。次にまぼろしとして現れてくれたときでいい。  ぼくを殺していって欲しい。  もわもわと声が反響する。  誰か来る。  ぼくが願ったからぼくのまぼろしかもしれないけど。  黒黒黒。懐中電灯の明かり。 「ここでええよ。早う帰り」 「鍵を閉めるまでが仕事ですから」 「あーあーホンマ忠実にクソ真面目やね。うっとうしな」  鍵が閉まる音。 「お飲み物はこちらに置いておきます」 「いらんいらん。そんなん持って帰りや。催したなるわ」  片方はキサガタさんだ。だけどもうひとりがわからない。ぼくのまぼろしだとしたらぼくの知ってる人ってことになるけど、ぼくはその声に聞き覚えがない。  すっごく早口で世界中のあらゆる現象に対してイライラしてる。ことばを伝達手段として用いるんじゃなくて、発して吐き捨ててそこで終わり。そもそも何も言うつもりはない。誰かが何かを言うからそれを鎮圧させるために仕方なく。そんな感じの喋り方だった。 「それでは失礼致します」  足音が近づく。 「だいじょうぶ? これ、今日の食事だよ」  鍵が開いた。 「可哀相に。もう少しだからね。もう少し大人しくしてたら檀那さまもきっとお許しになられるから」  ぼくはうなずく。  鍵が閉まった。 「ごめんね。じゃあね」  足音が遠ざかる。  ぼくは体を起こす。  パンと牛乳。ミカンもあった。ミカンはたぶんキサガタさんが勝手に持ってきたものだ。パンと牛乳すらキサガタさんの独断かもしれない。  そんな、ぼくのためにわざわざ。  こんなことしたらキサガタさんだってただじゃ済まないのに。スクラップにされちゃうよ。ただの金属の塊に戻されちゃうよ。 「そこにおるの誰なん? 新入り?」  ぼくは心臓が止まるかと思った。まぼろしの人がぼくに話しかけてる。  ぼくは息を潜める。  ぼくのいる場所からはそのまぼろしの人が収容されてる牢屋が見えない。でも向こうからは見えてるのかもしれない。わからない。暗い暗い。 「まあええわ。俺、ヨシツネゆうの。檀那さまとか呼ばれて天狗んなっとるアホに眼ェ付けられて春売り歩いとる哀れな少年ね。お前とおんなじかな」  ぼくは黙る。  檀那さまになんてことを。 「お前が檀那さま教入ってこーべ垂れるんは勝手やけど俺の思想まで強制せんといて」  ぼくは黙る。  檀那さまを茶化してるようにしか。 「折檻窟ぶち込まれるくらいやさかい、どないな悪いことしたん? どうせ暇やしね、悪いこと自慢せえへん?」  何てことを言うんだろう。罰当たりにもほどが。 「お前が参加せえへんなら俺一人でやろか。やかましゆわれても止めへんよ。単なる独り言やさかいに」  そう但し書きをして、ヨシツネとやらはすごく早口でべらべら喋りだした。ぼくが聞きとれないくらい速かった。でもその端々さえ拾えば、この人がとんでもない人だということがはっきりわかる。ぼくは失神しそうだった。  ヨシツネとやらはぼくのやったことを何百回も何千回も実施している。  窃盗。叛逆。逃亡。  まるで檀那さまに歯向かうために生きているような。 「俺な、カネさえくれはったら何でもするん。俺の身体ん夢中になっとるクソじじいの資産ちゅうちゅう吸い上げてな、気づいたらなあんもなかったゆうて。せーだい傑作やわ。せやけど俺がどないに稼いでもぜえんぶどっかのゲボに盗られてまう。それが我慢ならへんの。ちょおっともろうただけやったのにね。あんのゲボ気ィに触るとすぐここぶち込んで。そんなんしおったって対応改善せえへん限り俺も改めへんよ。まあ、俺がおらへんと、すーぐ赤字んなってあたふたするさかいに? 時間の問題やね。もうマンネリの極みやわ」  ぼくは既視感を覚える。  この人は、誰かに似ている。だれだろう。 「で、お前はなにしおったん?」 「檀那さまに指定された以外の人と、その」 「ほお、新入りのくせにようやるなあ。根性あるね」  滲み出る超越。高貴な自我。  これは檀那さまだ。  ぼくは檀那さまと話をしている。あまりにも絶望したせいで、ぼくだけのまぼろしとしての檀那さまを思い描いている。 「その根性讃えてええこと教えたるね。早う逃げ」  声色が変わった。檀那さまじゃない。  ちがうちがう。  違う。この人はヨシツネとかゆう別人。  一気に魔法が解ける。 「人殺したのと違う?」 「え」 「ああ違うたん? すまんね。ここに連れてこられるんは、たいていそんなんばっからしゅうてな。そか、例外もおるんか。なんやろ? あんのゲボのすることはようわからへんな」  人を殺した? ぼくが?  殺してるじゃないか。  ツツボさんも大柄の人もサングラスの人もカナバさん、いや先輩もみんな。  死んでる。  ぼくが殺したんじゃないの?  見抜かれている。ぜんぶ。  ヨシツネとかゆう人にはわかっている。ぼくがどんなことをしてきたのか。誰を破滅へと追いやったか。どれだけのカネをふんだくったか。 「よ、ヨシツネさまは」 「さま? さん、でええよ。なに? 俺はだあれも殺してへんよ」  ぼくは何も言えなくなる。  もしかしたら、もしかしたらヨシツネさんも仲間かと思ったのに。  ちがう。この人は違う。  だってこの人からは、檀那さまのにおいがする。  檀那さまだけじゃない。奥さまのにおいも。檀那さまと奥さまと、両方のにおいがする。まったく同じ強さで、まったく同じ配分で。  誰なんだろう。  この、ヨシツネさんという人は。 「せやった。名前、聞いてへんかったね」 「まきちよです」 「そか、まきちよ。ここ出たない?」 「いいえ」 「無理せんでええよ。だあれも聞いてへんさかいに」 「いいえ、ぼくは満足です」  帰ったって誰もいない。あの家にはもうぼくしかいない。ひとりぽっちはイヤだ。なんでもする。ぼくは何でもします。  だから、檀那さまのそばに。 「せやったらなんで眼ェ付けられたんかなあ」 「わかりません。学校に行こうと思って外に出たら黒い車が停まってて」 「ほお、誘拐ゆうこと? こらまた運悪いな。あんのゲボとうとう血ィに迷うて無作為にやらせとるんかな」 「あの、ヨシツネさんは」 「俺? さあな、どないやったかな」 「ぼくみたいに、でしょうか」 「まあそんなとこやね。お互い不幸のずんどこやな」ヨシツネさんはああオモロ、とゆって笑う。  ちっとも面白い話題じゃないのに。 「元気出し? きっと、ええこともあるよ」  やっとわかる。  ヨシツネさんはぼくなんかを元気づけてくれたのだ。笑ったのだってそうゆう意図が。  ぼくはうなずく。  見えないけど、向こうには見えてるだろうから。 「訊いていいですか?」 「俺が不快にならんようなことやったらね」 「え」 「冗談やて。ええよ、ゆうてみ?」 「ヨシツネさんはいつからここで、その」 「さあな。えっらい前やさかいに。忘れたわ」 「ぼくが来るずっと前ですか?」 「まきちよは?」 「ぼくは、たぶん最近です。この冬くらいから」 「そか。俺はまあ中堅かな。キサのが長いえ」 「キサガタさんですか?」 「あいつむっちゃ古株なのと違うん? 俺がこないなとこ連行される前からおったよ」  そうなんだ。ぼくはちょっとビックリした。  キサガタさんは、すごく若く見えたからちっともそんなこと思わなかったけど。 「お前攫うたの、黒うてでっかいにーちゃんなのと違う?」 「え、あ、はい」 「それな、昔はあんのゲボにへいこらしながら現役で春売っとったんやけど年食って商品価値がのうなってきたからお庭番に回したん。ほっとんどただ働きやぞ? あんのゲボへの忠誠心でやっとるだけ、ゆう世にも哀しい話。ここでのうのうしおったら神経までしゃぶり尽くされるえ? 逃げ?」 「出来ません」  世界中から非難されてるみたいな沈黙だった。  ぼくはミカンを転がす。 「俺は逃げるえ? まあ、失敗してもうたからここ容れられとるんやけど。次に赤字んなったときが最後やね。カネぼってさよならやわ」 「逃げられるんですか?」 「逃げるえ。逃げたる」 「不可能ですよ。檀那さまに逆らってその、池に」 「池ェ? ああ、あいつな。かーいそに、なかなかええ子やったのにね。ちょい早うお庭番回されたわ」 「え」 「なんや死んだ思うてたん? みすみす殺さへんよ、まだいろいろ遣えるさかいに」  燃やされてない?  埋められてない? 「あのゲボ、池ぽちゃようやるん。春夏秋冬気温水温お構いなしで好きみたいやわ。趣味悪うて敵わんな。んで、反省すんまでこんの折檻窟容れられて、大人しゅうなったとこでお庭番教育されるん」  生きてる?   そんな、じゃあ。 「キサガタさんは」  あの子を助けた。 「キサはゲボの奴隷やさかいにな。料理洗濯掃除買出し庭いじり。んで俺を抜いたここの春売り少年の世話。ウエからシモまでなあんでも。さすがに死体処理はせえへん思うけど、どないやろ。わからんな、ゲボがゆうたらするかな。まきちよ、キサの体見おった?」 「いえ、ないですけど」 「そか、まあ、ないならええけど。オススメできひんな。痛た痛たしゅうて眼も当てられんわ」  キサガタさんがぼくの髪の毛と体を洗ってくれたときのことを思い出す。服は着たままだった。あれは体の傷を隠すため?   でも腕も脚も特になにも。 「あいつ、いつもええタイミングでゲボんとこ来るやろ?なんでや思う? ロボットみたいな奴や思われへん?ゲボの思考ぴぴぴて察して駆けつけるなんてな。タネ明かしたったら簡単。あいつ、ケツにごっついもん挿れとるん。ゲボが用あるときにスイッチ押して。ただそれだけのことや。せやけどゲボはなあんも思うてへん。ごっつい張り形振るわせてちりちり呼び出し鈴の代わりやさかいに。まきちよ、お前キサにしゃぶられたのと違う? ええなあ、ゆうて」  ぼくはうなずく。  何となく口に出したくなかった。 「キサが許されとるんはそこまでなん。あくまで春売り少年のシモの世話。少年ゆうんは若いさかいに、刻一刻と溜まってくるん。あんま溜めるんもようないし、脳でイクこと憶えてしもて派遣しおったときに遣いもんにならんかったら本末転倒。せやったらケツに挿れおったらええけど、肝心のキサのケツはごっついもん嵌っとる。せやから尺八やったりケツに指突っ込んだりするしかあらへんの」  ぼくはうなずけない。  ウソだとも思えないし、ホントだとも思えない。 「ついでやからもうちょい教えたるな。ゲボはここ以外にぎょーさん屋敷持っとるん。春売り少年飼ってぼろ儲け。ゲボは踏ん反りかえっとるだけでええ。たまに成績のええ子んとこ行ってケツ構ってやればな。せやから勘違いせんといてね。ゲボはまきちよだけを見とるんやない。お前は大量に飼うとる家畜ん中の一匹なん。金の卵産むニワトリはそら可愛がるよ? せやけど産まななったニワトリはチキンにして今日のご馳走。肉焼かれて骨しゃぶられて神経イカれてもあのゲボの役に立ちたいんやったらいつまでもここにおったらええ。俺は止めへん。好きにし」  それからすぐに寝息が聞こえた。ヨシツネさんは眠ってしまったらしい。  ぼくはミカンをむいて一房だけ口に入れる。  すっぱい。泣きそうなくらい酸っぱかった。  ぼくはどうすればいいんだろう。  どうする勇気もないくせに。       3  再び頭がぼんやりし始めた頃、キサガタさんはぼくを迎えに来てくれた。檀那さまのお許しが出た、と言って笑ってくれた。  ヨシツネさんも一緒に洞窟の外に出る。ヨシツネさんは終始文句を言っていた。マンネリにもほどがあるえ、て。  きらきら眩しい。一面雪景色だった。  真っ白。  山も木も川も水も。ぼくの息も白い。  ぼくが罰を受けている間に吹雪いていた、とキサガタさんが教えてくれた。冷たい空気がぼくの肺を満たす。頭の頂上がひんやりする。爪先の感覚がなくなる。  寒い。  そうか、これが寒いということだ。  がちがち震えていたらキサガタさんが自分の着ていたコートをぼくにかけてくれた。キサガタさんはグレイのタートルネックのカットソだけになってしまう。対してぼくはウールのセータ。  当然ぼくは首を振ったんだけど、キサガタさんは風邪引いちゃうよ、と言ってボタンを留めてくれた。コートの生地はぺらぺらだったけどすごくあったかい。 「ほーほー、俺は風邪っぴきでもええんやね?」 「すみません。檀那さまの」 「あーもーやかまし。黙っといて」  白く輝く日光の下でヨシツネさんを見てぼくはビックリした。  色の薄い髪。雪のように澄んだ肌。世界のすべてを見通す鋭利な眼。  白いシャツの上に真っ黒い学ランを羽織っている。ボトムは学ランとお揃いのスラックス。小柄でぼくよりだいぶ身長が低いけどその存在感は並でない。一度見たら忘れられないくらい強烈で深い。  檀那さまかと思った。  檀那さまの若い頃のお写真が具現化したらこうなるだろうな、と思った。そのくらいそっくりで。  もしかして。いや、まさか。それはない、と思う。  考えたくないだけだろうか。わからない。  ヨシツネさんの後姿を見てると泣きたくなる。頭を下げたくなる。 「早ようしい。寒いわ」 「ご、ごめんなさい」  氷でてかてかの岩場を抜けるとき、ぼくは何度も転びそうになってキサガタさんの手を煩わせた。ヨシツネさんもどんくさいぼくを急かす。いつもなら氷くらい平気なのに。  どうやら沸き水がこの岩場を伝って、その最中に凍ってしまったらしい。とするとどこかに源流があるはず。  大きな岩から湧き出る清水は半分くらい凍っていた。ちょろちょろと流れ出てる。  ヨシツネさんはそれを口に含んですぐにつめた、と吐き出した。 「うわ、口凍るえ、これ」  試しにぼくも触ってみる。指の先っぽで。  すごく冷たい。  一瞬で爪が凍ってしまったみたいなまぼろしを見た。  清水の岩から左右に小径があって、左側はくねくねとした緩やかな坂道、右側は急な石段だったけど、ヨシツネさんは通わず右の石段を行く。キサガタさんもそっちに行ったのでぼくもそれに倣う。  息が上がる。白い息。  石段自体はそんなに長くないんだけど、すごく急だったり寒かったりぼくに体力がなかったり。キサガタさんが何度も止まってぼくを待っててくれた。 「ゆっくりでいいよ。怪我しないように」 「ごめんなさい」  ヨシツネさんはすでに上りきってぼくたちを見下ろしている。庵の裏の垣根が見える。  そうか。  あの時キサガタさんは、池に落ちた子をここから洞窟に連れて行ったんだ。  ようやくわかる。憶えてないけど、きっとぼくもこのルートで洞窟に収容された。誰が運んだのだろう。キサガタさんかな。  池は凍っていなかった。表面に薄っすら氷があるけどそれだけ。すぐに溶ける。  ヨシツネさんが庭に敷いてあるつやつやした丸石を投げ込む。  割れた。 「おーおー、かーいそになあ。鯉がビックリしおるやないか、ツネ」 「おーおー、かーいそになあ。老眼がとうとう酷うなって幻覚が見えるようにならはったん?」  池のそばに池を眺められるお座敷がある。庵の縁側から池を見ようとするときに壁になってしまうお庭のさらに向こう側。  縁側で胡座をかいている檀那さま。紺の着物に黒みがかかった羽織。  ぼくは頭を下げた。キサガタさんはとっくにやっている。 「シャワー浴びたら来るんやで? ええな」 「ほんなら浴びるのやめとくわ。ええな?」  檀那さまがげらげらお笑いになる。  ぼくは自分の靴だけ見ている。 「ケツ洗えゆうとるんや。なんで俺があのあばずれんとこにおるヒモのしょっぼいサオ咥えおったケツに嵌めなあかんねん。わからんのか? あ?」  池に何か落ちた。  ぼくは恐る恐る視線を上げる。  ケータイが沈んでいくところだった。 「なんの真似や?」 「ショーコ隠滅やね」  キサガタさんが池に飛び込む。ケータイを拾って岸に上がる。  顔が真っ蒼だった。息も尋常じゃない。  ぼくは動けない。 「あーめんど。部品取替えな」 「この際抜いたったらええのに。もう1リットルペットも緩いのと違う?」ヨシツネさんはそう言うと門からさっさと出て行ってしまった。  でもすぐに捕まる。大きな人たちが素早く駆けていってヨシツネさんを拘束する。多勢に無勢。ヨシツネさんは抵抗するけど全然意味がない。足だって宙に浮いている。  そうして玄関から殿に担ぎこまれる。浴室に運ばれたんだと思う。  檀那さまはお座敷から裏に回って殿にお入りになる。ぼくは一度も眼を合わせられなかった。その代わりに、肩で息をしているキサガタさんを見てしまう。 「だいじょうぶ。平気だよ」  平気なわけない。唇が人間の色をしていない。肌に血の気がない。  雪みたいに。  キサガタさんはゆっくり立ち上がってふらふらしながら殿に向かう。調理場に入るとキサガタさんは水で手を洗った。お湯も出るはずなのにキサガタさんは赤い方の蛇口に触ろうともしない。  そして服を脱いで、明らかに雑巾にしか見えないぼろぼろの布を湿らせて体を拭く。ぼくは手伝いたかったけど言い出せなかった。  ヨシツネさんの言ったとおり、キサガタさんの上半身は傷痕だらけで。  火傷。切り傷。鞭で打ったようなミミズ腫れ。人間の肌に付けられるありとあらゆる傷痕がそこにあった。穴も空いている。肉が抉り取られている。下半身はもっと酷い。  ぼくは眼を伏せてしまう。  何も見たくなかった。 「ビックリしたでしょ? ありがとう。もう部屋に戻りなよ」  ぼくは下を向いたまま動けない。  だってキサガタさんは。 「きみには見られたくなかったな。ごめんね。気持ち悪いよね」  切り取られている。  人の腕より太いものが捻り込まれている。 「僕はね、すでに遣いものにならないんだよ。こんなにされるまで気づかなくて。おかしいよね、フツーちんこ切り取られてたら気づくよね? お尻だってもう自分の力で排泄コントロールが出来ないんだ。尿も便も垂れ流れてくる。檀那さまに教えてもらってようやくわかったんだ。僕は死ぬしかない。死んで保険金なりでお詫びをすることしか残されていなかったんだ。だって檀那さまの指定された男にこんなにされるまでのうのうと生きてたんだから。でも檀那さまはその男を葬られた上に、こうやって僕なんかをロボットにして遣って下さっている。嬉しいよ。たまにまきちよくんみたいな可愛い子のもしゃぶれるし、精液も飲めるし。だから僕は電池が切れるまで檀那さまのお側で仕えさせてもらえればそれで」  キサガタさんはズボンだけ履くと、濡れた服を抱えて外に出る。庵の裏側に回りぼくの部屋の裏まで来て足を止める。  垣根が動いて、そこから下に石段が続いていた。小屋。 「ここから先は来ないで」 「でも」  キサガタさんはゆっくり首を振る。  ぼくは貸してもらっていたコートをキサガタさんの肩にかける。キサガタさんが微笑む。口がありがと、と動いてそのまま石段を下りていった。垣根は元に戻る。  あの小屋がキサガタさんの部屋なんだろうか。ぼくのいる位置から中くらいの石を落としたらぜったいぺしゃんこになる。風だって雪だってぴゅうぴゅう吹き込んでくるだろうに。  ぼくの部屋とこんなにも近いのに、全然気がつかなかった。部屋の東側からは山しか見えないと思ってた。  ぼくは何も考えられなくなる。  キサガタさんには。  何もない。  部屋に戻ると大きな人が浴室に、と呼びにきた。檀那さまのご意向。  浴室はまだ湯気が残っていた。ヨシツネさんがさっきまでここにいた。ここで無理矢理お尻を洗わされていた。  バスタブに湯を溜めていると喘ぎ声が聞こえた。  艶のある甘い声。悲鳴にも近い激しい吐息。檀那さまのお部屋のほうから。  ぼくは耳を塞ぐ。誰の声かすぐにわかったから。ぼくは何も聞こえないふりをする。お湯に潜って無音の世界に。  ぼくはもうわかっている。ヨシツネさんと檀那さまの関係が。ぼくみたいな家畜の一匹には絶対入り込めない繋がりが、あの方たちにはある。  やっぱりヨシツネさんは、さん付けで呼ばれるような方じゃない。  ヨシツネさまだ。  檀那さまがさま、と呼ばれるのだからそのご子息だってさまと呼ばれるべき。  ぼくが家畜のブタだったら、ヨシツネさまはなんだろう。  金の卵を産むニワトリ。檀那さまのお気に入り。檀那さまが大嫌いな奥さまのヒモに嵌められたとしても、お尻を洗浄させてまで貫きたい相手。逃亡なんか許すはずない。  ヨシツネさまは檀那さまに愛されている。  喘ぎ声はまだ消えない。ぼくの耳にこびりついている。タオルで水滴を拭って服を着てもまだ残っている。ドライヤは音を消してくれたけどそんなの一瞬にすぎなくて。  着物はぼく一人で着れないからキサガタさんが買ってくれた服。Vネックの黒のセータに白のシャツ。黒のジーンズ。  廊下に出たらもっと大きく聞こえた。  ぼくは自分の部屋に逃げ込む。障子を閉めて布団の中。ぼくのこの格好がヨシツネさまの着ていた学ランと色の取り合わせが同じことに気づく。  冷たい。寒い。  ストーブをつける気が起きない。ぼくなんか凍死すればいい。投資する価値がないことくらい、とっくに透視されている。  しばらくして大きな人が僕を呼びに来た。檀那さまのお部屋へ。ぼくはマリオネットのように廊下を進む。  いつもならキサガタさんの役目なのに。キサガタさんが来なかったのはきっと。  殿の一番西側の部屋。  ぼくは失礼します、と頭を下げたままお部屋に入る。膝をつけたまま。ここでヨシツネさまがさっきまで。  檀那さまの足が見える。白い足袋。 「反省したんやて?」 「申し訳御座いませんでした。ぼくは生きている価値もありません」 「価値のあるなしは俺が決めることや。まきちよ、儲け損なうた分はこれから取り戻したらええ。次から気ィつけてね」 「はい」 「顔上げ」  どれほどの月日が経ったのだろう。檀那さまはとても神々しく見えた。  反逆罪で死刑になるべきだったぼくなんかに、笑いかけてくださる。  それなのにぼくは、ちょっとお腹が空いただけで、先輩に会えたうれしさに釣られて。  もうどうだっていい。最初からぼくなんか家畜のブタだ。ヨシツネさまが金の卵を産むニワトリだって、檀那さまの大事なご子息だって何も構わない。  檀那さまのためにお力になれるのなら、ぼくは何だって喜んで。 「ごめんなさい、ぼく、ぼくは」 「泣くくらいやったらカネ持ってきぃ。せやった、肝心の用事忘れとったわ。まきちよ、ほな行こか」  檀那さまのお部屋を出て右に折れると通路がある。すのこを渡った先にあるのが離れ。  ぼくはどきどきする。  だって檀那さまと一緒だから。檀那さまの大きな背中を見ながら歩けるなんて。  檀那さまは障子の前でぼくの頬を撫でてくださった。檀那さまの大きな手がぼくなんかの頬に。 「ホンマ可愛えな。失礼しますよ」檀那さまはぼくの頬に右手を添えながら障子を開ける。  ぼくは畳の上に釘付けになる。  さっきの喘ぎ声は檀那さまの部屋からじゃなかった。  檀那さまはお着物を着替えていない。紺の着物に黒っぽい羽織そのままだ。シャワーを浴びられたあとは絶対に着替えるのに。  なんで気づかなかったんだろう。  檀那さまはぼくに笑いかける。口の片端だけを上げて。  蒼白い肌。ぼくはキサガタさんを思い出す。だけどこれはキサガタさんじゃない。  ぼくは首を振る。  ヨシツネさまが仰向けに倒れている。眼は虚ろ、口から舌がのぞいていて、息を吸う途中で力尽きたみたいな開き具合だった。四肢がだらりと弛緩していて、身体のあちこちが白い粘液まみれ。畳に染みが飛び散っている。  ぼくはようやく精液特有のあのにおいを感じ取る。眼の前の光景があまりにすごすぎて嗅覚が封印されていたのだ。  ぴくぴく痙攣して尿道の奥までカテーテルが通っている。そのチューブは奇怪な色の液体が満ちていて、それが行き着く先はよくわからなかった。辿ることを憚られる管。  脚がぼくらのいる方に向かって大きく開かれていたので結合部がよく見えた。黒くて太いものが嵌ってる。 「やっぱツネは最高やわ。こないにいじめてもまだ元気びんびん。ほら見てみい。儂を噛もうとしよる」  部屋中央のちゃぶ台に、白い長襦袢だけを羽織ったおじいさんが座っている。ヨシツネさまの口に指を入れて檀那さまににやにや笑いかける。頭から顎ヒゲまで真っ白。でもヒゲよりも頭髪のほうが圧倒的に多い。  ヨシツネさまの口に入れたり出したりした指をぺろりと舐めてぼくを見る。  ぼくは背筋が凍りつく。 「えっと、なんやったかな。新入りの」 「まきちよと申します」僕は反射的に頭を下げる。  檀那さまは、ぼくの背中を押して部屋の中に入れると障子を閉めてしまった。 「なんやつまらんな。自慢の商品もうちょい観察していかへんのか?」 「遠慮させてもらいますわ。どっかのエロじじと違うてやることぎょーさん控えとって」 「ふん、相変わらずの錬金術かいな」 「エリクシルには興味ありまへん。俺が欲しいんはカネですわ」 「ようゆう。まあせいぜいくたばらんように」 「御こそ。ええ年こいて性欲過多ですわ。お薬はほどほどに、前立腺にご自愛を」  障子に映っていた影が消える。檀那さまが移動された。  ぼくは動けない。  刺さるような視線。 「いちいち嫌味なやっちゃなあ。せっかくこないに可愛え子指名しおっても台無しや。まきちよ、ゆうたかな。服着たままでええからここ座り」  おじいさんは自分の膝をぽんぽんと叩く。ぼくは一礼してそこに座らせてもらう。お尻に硬いものが当たる。 「儂のことは、セスイケ様、ゆうて。ええか? セスイケ様やで?」 「はい、セスイケさまですね」 「せやせや。素直な子おやねえ。こっちも素直かいな」  ぼくは声を上げてしまう。  セスイケさまがぼくの股間を鷲づかみにして引きずり出した。骨と皮みたいな手できゅうきゅうと扱かれると、ぼくはすぐに勃起してしまう。 「ちいさあてかわええチンポコやなあ。チェリィちゃんかいな?」 「は、はい」 「そんなら儂がオトコにしたるえ。ちょお待ちい」  セスイケさまはぼくをちゃぶ台に下ろして、ヨシツネさまの脚を引っ張る。  ぼくは下を向いてしまう。  セスイケさまはなんや恥ずかしいんかあ、とニヤニヤお笑いになって、ヨシツネさまに嵌めてあった黒くて太いものをずるりと引き抜く。奥まで見えてしまうくらい型が空いていたけど、徐々に元に戻る。  ぼくが予想したとおりどろどろと精液が溢れ出てくる。すごい量だった。 「あの、畳が」 「ええよそんなん、儂が弁償したる。いっそ離れごと建て直そかいな。もうぼろいしな。それよかこっちおいで。チンポコ隠さんでええよ」  ぼくはヨシツネさまの脚の間に座る。  ヨシツネさまはぼくを見ていない。ぼくの後ろのセスイケさまを捉えているような気がする。虚ろな眼だけど。 「ツネのケツマンはええぞ。どないに掘ってもきゅうきゅう締めはる。やってみ?」 「え」 「え、やのうて。ほら、チンポコここに当てて」  セスイケさまの手伝いもあって、つるりと挿ってしまった。ぼくはどうすればいいのかわからない。全方向から強く握られてるような感じ。  ぼくはこんなことをしていいのだろうか。  だって相手は檀那さまの。 「奥まで挿ったかいな? そしたらな、腰振ってみぃ? 儂も手伝うたるね。押して押して、せや、押しまくる」  ぼくは頭が真っ白になってくるのを感じる。  すごい。ヨシツネさまは本当にすごい。ぼくはあっという間に射精してしまう。勿論、ヨシツネさまのナカに。外に出すタイミングがわからなかった。 「おめでとーさん、これでまきちよもオトコやな。立派なオトコになったんやで? 喜びい。抜けてまうからちょお力入れてな? ほい、腰上げて」  ぼくが腰を浮かせた瞬間、セスイケさまはぼくのズボンと下着を一気に脱がせ、ぼくにぬめぬめの液体を塗りつけて捻じ込んだ。  ぼくは声を上げる。先輩に嵌めてもらったときのことを思い出してしまう。 「三連ケツや。ケツやで? わははは、オモロイなあ」  セスイケさまはぼくをがんがん突き上げる。その勢いでぼくはヨシツネさまをがんがん突き上げる。  ヨシツネさまがだんだん勃起してきた。ぼくはそれをつかむ。  熱い。 「お前のケツマンもええなあ。最高やわ。ええよ、ほら、イケ」  びくんびくんとセスイケさまが震える。ぼくのナカに温かいものが放たれる。  ヨシツネさまはイッただろうか。わからない。  ぼくは力が抜ける。  そこから先は、よくわからない。

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