5 / 7

第4話 旗樽ハタル Hold up Give up

 垣根の戸を動かして石段を下りる。雪が積もってるからゆっくりゆっくり。近づけば近づくほどおんぼろだった。  小屋というより廃墟。  地震なんかに耐えられない。柱が腐っている。緩くカーブした物干しに見覚えのある服がかかっていた。  キサガタさんのシャツだ。こんな日陰に干したって乾かないよ。じっとりと湿っていて冷たい。  トタンのはげた屋根。ささくれだらけの壁。入り口の外観は障子みたいだけど、紙の部分が曇ったプラスティックみたいな薄い板のはめ殺し。ほとんど割れてる。風が吹き込むときにぴゅうぴゅう鳴ってかたかた揺れる。  ぼくは泣きそうだった。どうしてキサガタさんはこんな所に。  ちがう。そうゆうことを思っちゃいけない。キサガタさんは同情されたくないからぼくをここに近づけさせたくなかったんだ。  ぼくは自分の頬をはたく。 「キサガタさん?」  返事はない。  もう一度呼んでも応答が聞こえなかったので、ぼくは意を決して戸を開ける。すごく重い戸。油とか重量とかじゃなくて、ここを開けるのにはすごく重い。  ようやくぼくが通れるくらい隙間を作れた。  閉まらない。どうしても閉めたい。ぼくは力を入れる。爪が剥げそう。  内部はすごく暗い。先輩に連れて行かれた地下なんか比べ物にならない。  闇そのもの。ぼくは眼をこする。  凍りそうな風が吹き込む。しわしわのダンボール。傾いたテーブル。椅子は錆びだらけ。  部屋の隅に白いもの。布団だ。そこに頭。 「キサガタさん!」ぼくは駆け寄る。  かび臭い布団だった。キサガタさんはゆっくり寝返りを打つ。  息が荒い。顔が真っ赤。  熱があることくらい、どんくさいぼくにだってわかる。 「どうしたんですか? 風邪引い」 「だめだよ、こんな所来ちゃ」キサガタさんの声はひどく掠れてキサガタさんじゃなく聞こえた。  ぼくは首を振る。  キサガタさんの手を握る。氷みたいに冷たい手。 「待っててください。いまタオルを」  キサガタさんはぼくの腕をつかむ。首を振る。 「どうしてですか? 熱が」 「すぐ引くよ。だいじょうぶ。だいじょうぶだから、ね? 泣かないで」  ぼくは泣いている。 「檀那さまが僕を呼んでないかな? それが気になって」  ぼくは首を振る。 「もう、いらないのかなあ。呼び出しのこれ、ぜんぜん震えなくて。壊れちゃったみたい。どうしよう。これが動かなくなったら僕なんかただのスクラップだよね」  池に飛び込んだせいだ。雪だるまのときは平気だった。  違う。たぶんそのときから調子が悪かったんだ。ぼくが我が儘言ったから無理して付き合ってくれた。あんな長い間外で雪を触らせて。ぼくはちっとも気づかなかった。  くやしいくやしい。ぼくは自分のコートを脱いでキサガタさんにかける。  キサガタさんは眼を瞑る。 「あったかい。ありがとう、でもきみが風邪引いたら檀那さまが哀しがるよ?」 「ぼくは平気です。平気ですから、キサガタさんが」 「檀那さまはお留守?」 「はい、いまヨシツネさまを捜しに」  キサガタさんが微笑む。すごく優しい顔。 「そっか。また、なんだ。変な人だよね。どうして逃げる必要があるんだろう。檀那さまに捜し、ても、ら」キサガタさんがごほごほと咳き込む。  ぼくは背中をさする。いま気づく。  キサガタさんはシャツしか着てない。ボトムは穴のあいたジーンズ。素足。 「ぼくの部屋に来てください。お願いです。ぼくは」 「部屋が汚れるよ。ありがとう、気持ちだけで充分」  そうだった。ぼくは言ってから後悔した。そんなことは言っちゃいけなかった。これを言われたくないからキサガタさんはここでひとりぽっちで。 「ごめんね、お腹空いてるよね? いま」  キサガタさんが無理に体を起こそうとするから、ぼくはキサガタさんに抱き付いてしまった。キサガタさんはすごく細い。 キサガタさんのにおい。甘い。 「臭いから離れて?」  ぼくは首を振る。 「もう何日も清めてないんだ。絶対臭いはずだよ? ねえ、まきちよくん?」 「くさくなんかありません。ぼくはキサガタさんが好きです。だから、だから」  そんなこといわないで。  ぼくはもっと強くキサガタさんを抱き締める。  キサガタさんの腕がぼくの背中に回される。  ぼくはうれしくなる。  キサガタさんの身体がちょっとだけ温かくなったように感じる。キサガタさんがあったかくなるならぼくの熱なんかぜんぶあげたい。 「僕なんか好きなの?」 「好きです」 「僕なんかちんこもな」  ぼくはキサガタさんの口を塞いだ。柔らかい。  朝食べたフレンチトーストみたいに。 第4章 旗樽ハタル Hold up Give up       1  キサガタさんの肌に触れる。胸の傷痕を舌でなぞる。  キサガタさんが、と声を漏らすたびにぼくはうれしくなる。乳首に歯を立ててみる。 「ねえ、そんなとこやめてよ。なんにもないよ?」  何にもないわけない。キサガタさんの乳首はちゃんと反応してる。片方を舌で、もう片方を指で。  キサガタさんがイヤがるのは、きっとあのホネという男のことを思い出してるからだ。あの男にされたこと。  ぼくは嫉妬する。すごくすごくくやしい。 「聞いた? ぼくの最後のお客さんの」  ぼくはうなずく。  そこから先をキサガタさんが言いづらそうだったのでぼくは口を塞ぐ。舌を入れたらキサガタさんも舌で応えてくれた。  柔らかい。キサガタさんの唾液とぼくの唾液が絡まる。 「そっか、話されたんだね。でもあの話したがらないんだよ? 百戦錬の俺の唯一の汚点、なんだって。面白い人だよね」 「ヨシツネさまはキサガタさんのこと気にしてました。逃げるときの最後のことば、キサによろしゅうな、だったんですよ?」  キサガタさんはちょっとビックリした顔をしてた。  ぼくはうなずく。だって本当のことだから。  ぼくはキサガタさんのジーンズに手をかける。 「ごめん、そっちは」 「見せてくれませんか? あの時はその、眼を逸らしてしてごめんなさい。今度はちゃんと見ますから」 「僕は見ないでって言ってるんだよ? ねえ、それより僕にまきちよくんのしゃぶらせてよ。そっちのほうが」  ぼくは首を振る。それじゃあダメなんだ。それじゃいつもと同じ。  ぼくはいつもいつもキサガタさんにしゃぶってもらうだけで。だから今度はぼくがキサガタさんを。 「や」めて、とキサガタさんが声を上げる。  だけどぼくは無視して、フックを外してジッパを下ろす。下着はなくオムツだった。  ぼくは内股に舌を這わす。  キサガタさんのを思い浮かべてそこに手を当ててみる。  キサガタさんのはすごく綺麗。うっとり見蕩れてしまうほどの。ぼくはキサガタさんに触れる。やわやわと扱く。そうすれば段々硬くなってきて。  そこまでやってようやくぼくは、キサガタさんの肩が震えてるのに気づく。キサガタさんはしゃくりあげてた。  見られたくなかった。見ないで。  ぼくはその言葉の本当の意味を噛みしめてすごく申し訳なくなる。  ぼくも泣きそうになる。ぼくはこんなことするべきじゃなかったんだ。  元に戻そうとすると、キサガタさんがぼくの手を止めた。 「ごめん、ごめんね。そういう意味じゃないんだ。そうじゃなくて、ごめん。僕の下半身なんか見る価値もないのに、きみは。だからやめないで。本当は誰かに見て欲しかったの。僕がどんなことされたのか知って欲しかった。その最初の人がまきちよくんで、僕はすごくうれしいよ。ありがとう」  ぼくはキサガタさんを抱き締める。つらかったんだ。ずっとひとりぽっちで。  こんな暗くて寒いところで。だれかに知ってもらいたいけど、知られたら嫌いになられてしまう。それをずっと気にして。ぼくは痛いほどよくわかる。  ぼくだってそうだ。ぼくもずっとひとりぽっち。  キサガタさんといっしょ。 「だいすきです」 「僕も好きだよ、まきちよくん」  ぼくらはもう一度キスをする。  深く長く。息が苦しくなって頭がぼうっとなるまで。  ぼくはもう一度キサガタさんの脚の間に入る。脚を広げるときキサガタさんはすごく恥ずかしそうだったけど、ぼくにはそれがたまらなく可愛かった。  ペニスのあったところに舌を這わす。キサガタさんが声を上げる。キサガタさんはもう完全に勃起してる。 「出したくなったら出してください」 「うん」  キサガタさんは射精する。どくん。  ぼくはキサガタさんの精液をすべて口の中で受け止める。ごくん。キサガタさんのペニスはまだぴくぴく痙攣してる。ぼくはもう一度しゃぶりつく。キサガタさんの声が高くなる。  ぼくはキサガタさんのアナルに指を当てる。 「あ、そっちは」 「汚くなんかありませんよ」  キサガタさんはちょっぴり哀しそうな顔をして唇を噛む。アナルには太いバイブが嵌ってる。故障中の。ゆっくりずらす。キサガタさんの呼吸に合わせてゆっくり。  もうすぐで抜ける。キサガタさんが声を上げる。  そのまま少し時間を置く。キサガタさんがまたしゃくりあげてるから。アナルを見られるのはもっとつらいと思う。ぼくはキサガタさんの手を握ってた。熱を取り戻してる。  額にも手を当てる。こっちは元から熱かった。 「気にしてくれてるの?」 「あの、熱が」 「風邪が感染っちゃったらごめんね。僕が看病するから許して」  キサガタさんは枕元をごそごそと探る。小さいプラスティックのボトル。ぼくはこれが何をするものなのかわかる。キサガタさんがこれをぼくに渡したってことが、何を意味するのかもわかる。  キサガタさんは微笑む。 「ずっと待ってたのかもしれない。きみみたいな子が助けに来てくれるのを。お願いしていい?」  ぼくはうなずく。キサガタさんの脚を広げてそこにボトルの中身を垂らす。  冷たい。  でもキサガタさんは何も言わない。顔もゆがめない。  ぼくはそれをたっぷり使ってキサガタさんのアナルをほぐす。ゆっくり、ゆっくり。本当はほぐさなくてもぼくの小さなペニスなんかつるりと挿りそう。ぼくも何も言わない。ここで泣いちゃいけない。  キサガタさんが気持ちよさそうな声を上げる。ぼくはうれしいんだから。 「これ、遣って」  キサガタさんはぼくにコンドームをくれたけど、ぼくは使い方がわからない。そう言ったら、キサガタさんがぷっと吹き出した。 「なんで笑うんですか?」 「ごめんごめん。だってきみ、一人や二人じゃないでしょ? 変だなあって」 「ぼくの初めてはヨシツネさまだったんです。セスイケさまに勧められてその、つい付けずにやっちゃって」 「怒られた?」 「はい、殺されそうになりました。中出ししちゃったから、二回も」  キサガタさんが哀しそうな顔をしたように見えた。 「あ、あの、ぼく何か」 「ううん、なんでもないよ。僕なんかがヨシツネさまに嫉妬するなんて身分違いだよね。いいの、僕のお尻汚いから、付けて」  そんな言い方をされると。  キサガタさんはふらふらの体を起こしてぼくのペニスにコンドームを嵌めてくれた。本当はヨシツネさまのときみたいにやりたい、でも。  急にキサガタさんが立ち上がる。裸のまま奥の戸に消える。  どうしたんだろう。ぼくはまた何か悪いことを。  そこは入り口の戸よりがっしりしてる気がする。少なくとも穴が空いてない。ちょっと迷ってからノックする。  キサガタさんの声がした。入っていいよ、て。  そこはトイレだった。  キサガタさんが便座に座ってる。ちょうど向かい合う。  水洗でほっとした。 「ごめんね、きみの手汚したくなくて」 「ここは?」 「檀那さまが身体は清潔にって仰ってくださって。思えばそれが僕にかけてくださった最後の御言葉だったな。こっちがバス。服はね、お屋敷でお勤めするときだけ着替えるの。調理場の隣に衣裳部屋があるんだよ? 知らないよね」  ぼくは何も言えなくなる。 「そんな顔しないで。あ、ごめんね。せっかく」  キサガタさんは便座に腰掛けたままぼくのペニスに触る。ぼくはちょっと恥ずかしくなる。コンドームが初めてだったから。  トイレにはウォシュレットが付いてるみたいだった。キサガタさんは便座脇のスイッチをいじってアナルを洗浄する。何度も何度も。キサガタさんのアナルはぜんぜん汚くないのに。 「ねえ、まきちよくん。僕のお願い聞いてくれる?」  ぼくはどきりとする。  キサガタさんの顔が赤い。でもそれは熱があるからで。  ちがうちがう。  ぼくはまぼろしとして首を振る。 「お風呂でやって欲しいんだ。僕が漏らしちゃった場合、すぐに洗えるから」  ぼくはうなずく。  向かって右側がバスだった。ぼくがいつも使ってる殿の浴室より狭いけど充分。ぼくは服を脱いでガラス戸を締める。  キサガタさんはバスタブに背中をつけて座る。さっきのボトルと同じものを手渡される。 「いっぱいあるんですね」 「淋しいからね。ごめんね、面倒だけど」  ぼくは首を振る。さっきと同じようにキサガタさんのアナルに粘液を垂らす。浴室に音が響いてずごくエッチだった。  僕のペニスはがちがちに勃起してる。キサガタさんはぼくのペニスを扱いてくれる。きもちい。  キサガタさんと眼が合う。ぼくはキサガタさんの腰を上げてゆっくり挿入する。キサガタさんがぼくにしがみつく。キサガタさんの声がとろけてくる。  ぼくはキサガタさんの声しか聞こえなくなる。ぼくは射精した。キサガタさんもきっと射精する。  ずっと抱き合っていたかったけど、ぼくのペニスが柔らかくなってしまった。  キサガタさんは微笑んでくれる。  すごくすごく幸せそうな顔で。だからぼくも幸せ。 「何年ぶりだろう。もう絶対だれも僕のがばがばのお尻なんか。締め付けれなくてごめんね。壁のないゆるゆるの袋に入れてるみたいな感じだったでしょ?」  ぼくは首を振る。そんなわけない。  キサガタさんは勃起したし、ぼくのペニスもぎゅうぎゅう圧迫されて痛いくらいだった。いままでの中で一番きもちい。檀那さまのよりもツツボさんのよりもカナバさんのよりもみほろしさまのよりもヨシツネさまのよりも。ぼくはそう答える。  キサガタさんは泣いてしまった。今日は泣かせてばかりいる。  ぼくは申し訳なくなる。  ごめんなさいキサガタさん。  いっしょにお風呂に入る。身体の洗いっこも。キスもする。  キサガタさんはぼくのペニスをしゃぶる。ぼくは射精する。キサガタさんは精液を飲み込む。おいしいと言ってくれる。  タオル(タオルに決まってる)で体を拭いて服を着る。キサガタさんは薄着だからぼくのコートを着てもらった。  キサガタさんはポケットの膨らみに気づく。 「なあに? ぬいぐるみ?」 「あ、それヨシツネさまに買ってもらったんです、昨日水族館連れてってもらって。ヨシツネさまはそのサメがお気に入りで」 「へえ、可愛いね。本当にサメ?」  あげてもよかったんだけど、それはなんとなく違うと思った。  檀那さまに見つかったらとか、せっかくヨシツネさまに買ってもらったのにとか、自分で買ったものじゃないとかじゃなくて、邪魔になる。  これが、邪魔になるってことなんだ。  ぼくはヨシツネさまのことを思い出す。いまごろどうしているだろう。逃げれたのかな。それとも洞窟。  それとも。 「水族館て行ったことありますか?」 「どうだったかなあ。ないと思うよ」 「ぼくも昨日初めてで」 「どうだった? 面白かった?」 「はい、あんなに近くでお魚見たことなかったので。でもヨシツネさまのほうがはしゃいでて。見学に来てた幼稚園の子より楽しそうでした」  キサガタさんが笑う。ぼくも笑う。 「そっか。きみが面白いっていうなら僕も行きたくなってきたなあ。このサメもいるんだよね?」 「すっごく大きいですよ。ぼくなんか一飲みです。あれ、違うかな。草食かも」 「サメにもいろいろいるんだね。きみはベジタリアンザメ?」  キサガタさんがぬいぐるみに話し掛ける。  ベジタリアンザメはうなずく。よくぞわかった、みたいな素振りをする。正体がばれたベジタリアンザメはコートのポケットに隠れる。恥ずかしがりやなのだ。 「ねえ、まきちよくんのことも聞かせてよ。あ、もちろん話したくないなら構わないんだけど」  ここに来る前。  あんまり思い出せない。高校に通ってたと思うけど、高校の場所とか建物とか先生とか友だちとか、ぜんぜん思い浮かべられない。ぼくの頭が悪いからだ。だからきちんと思い出せない。せっかくキサガタさんがぼくのこと訊いてくれてるのに。 「ご、ごめんなさい」 「いいよ。僕もきみに話せるようなこと、思いつけないよ。なんでだろうね。僕のこともっと知ってほしいのに。自己紹介苦手だからかな」  キサガタさんはぼくに時刻を尋ねる。  そうだ、時計。 「あ、あの、ぼく、ここに来たときに時計をしてたはずなんですけど、知りませんか?」 「お部屋じゃないなら僕はわからないけど、どうして? 大事なものなの?」 「お父さんに買ってもらったのなんです。だから、もしどこかで見かけたら、あの」 「じゃあこれから探しにいこうよ。僕もそろそろお勤めだから」  太陽がきらきら照ってたけど、この小屋は日陰にあるからすごく寒い。小屋の周りだけ雪が溶けてない。ここに雪だるまをつくったら長い間残るだろうな。  ぼくはコートを着て部屋に戻る。  ぼくの服は、キサガタさんは着ちゃいけないことになってる。時間差でキサガタさんが調理場に向かう。服を着替える。  檀那さまは今日ここにお帰りになられるのだろうか。今日は檀那さまのお顔を見なくてもいいやという気がしてくる。駅からお屋敷までずっと一緒だったからかもしれない。  ぼくの部屋にあるのは、お布団とちゃぶ台と座布団とたんす。電気ストーブ。制服のポケットと鞄も逆さにしたけど出てこない。  ぼくの時計。脱衣場に行ったけど見つからない。  シャワーの音。誰か入ってるのかな。でもカゴは空っぽ。曇りガラスだから薄っすら影が見える。  ぼくはどきどきする。キサガタさんもどきどきしてくれてたのかな。ガラガラ。 「あ」  知らない子だった。ぼくを見るなり浴室に引っ込んでしまう。裸。 「ごめんなさい。あの、ぼく、そんなつもりじゃなくて」  透き通るような金髪。ぼくはそれしか憶えていない。だから裸なんて見てない。  どうしよう。勘違いされてるのかな。  その子が顔だけ出してくれる。 「お手間かけますなあ。タオルいただけませんでしょか」 「あ、はい」  洗濯機の横の棚がバスタオル置き場。ぼくは眼を瞑って手渡す。 「あれ? 部屋じゃなかったの?」  キサガタさんの声だ。ぼくは眼を開けてしまう。ハーフジップの白いセータにベージュのパンツ。髪が濡れたまま。そういえばぼくの髪も濡れてる。  キサガタさんがにっこり笑って籐の椅子に導いてくれる。ドライヤ。 「あの、お返しにぼくがキサガタさんの乾かしていいですか?」 「いいの? じゃあおことばに甘えようかな」  キサガタさんの髪はすごく細い。きらきらしてる。ぼくの頭に生えてるのと同じものとは到底思えない。  そういえば、あの子がいつの間にかいなくなってた。服を着に行ったのかな。  ぼくは部屋に時計がなかったことを話す。 「そっか、それでこっちに。でもここにもないんだよね? どんな時計なの?」 「ベルトは黒で、革の。アナログで丸くて、文字盤がグレイで数字がイタリア語の」 「イタリア語? お洒落だね」  庵に戻るとさっきの子がいた。  ぼくは急いで頭を下げる。だってのぞきみたいなことしちゃったから。 「あ、あの、さっきはごめんなさい」 「僕さんこそ挨拶もせんと」  ぼくは奥さまを思い浮かべる。ゆったりテンポがそっくり。表情もすごく柔らか。  つられてぼくもほんわりなってしまったけど、キサガタさんは真剣そうな顔を崩さない。脱衣場でばったり会ったときのことを説明してもキサガタさんは黙ってじっとしているだけ。あいづちも打ってくれない。 「はあ、申し遅れましたなあ。僕さん、ならしふどす。どうぞよろしゅうおたのもうします」 「ぼ、ぼくはまきちよです。よろしくお願いします」  ならしふさんはキサガタさんのいる方向をちらりと見る。「檀那はんおりゃれへんのやろか」 「申し訳御座いません」 「困りましたなあ。僕さん、檀那はんに会おう思て」  もしかして、  ならしふさま、のほうがいいのだろうか。  キサガタさんがこんなに恐縮するなんて、檀那さま以外に見たことない。きっと檀那さまと同じくらい偉い人なんだ。  それに倣ってぼくも気を引き締めようと思ったら、ならしふさまが表情を緩める。つられてぼくもはんにゃりしてしまう。 「まきちよクン、お部屋よろしおすか?」  やっぱりキサガタさんはぴくりともしない。  ぼくはならしふさまに座布団を勧めてストーブをつける。障子を閉めるときにもう一度確認したけど、ぼくは声をかけられなかった。  ならしふさまがぼくの脚に触れてる。やわやわ撫でてだんだん上に。内股で止まってもう片方の手がぼくの腰に。 「どないしたん? オモロイもんあらはったんの?」 「いえ、ごめんなさい。その」  ぼくは声が出なくなる。  ならしふさまの温かい吐息が首に。 「はあ、雪。ここお山やさかいに綺麗に残ってるんやね。ええなあ、みんなで仲良う雪見しましょか」       2  大きな人が用意してくれた温かいお茶を飲みながら、お座敷でお池を眺める。  おまんじゅうが甘くて美味しい。柔らかい皮の中にこしあんがたっぷり。ならしふさまは自分の分をぼくにくれた。 「え、でも、これは」 「僕さん甘いもん苦手なんも。しょっぱいもん欲しなあ」  て、ならしふさまが言った途端、見慣れない人が縁側から飛び出していった。あっという間に戻ってきて、ならしふさまに紙袋を差し出す。おせんべいだった。醤油色の硬そうなおせんべい。  ならしふさまはそれを齧りながらお庭を見つめる。 「鯉さんぐうぐう冬眠でしょか。おらへんね」  て、ならしふさまが言った途端、さっき飛び出していった人と違う、やっぱり見慣れない人が縁側から飛び出していってお池の淵に立つ。そんなに乗り出したら落ちちゃうよ。  ぼちゃん。  ほら、落ちちゃった。でも満面の笑顔でならしふさまに手を振る。 「ほう、そか、ねむねむやろし、邪魔せんうちに引き返しいや」  お屋敷警備の大きな人はどっちかというと地味なスーツだけど、ならしふさまのお付のみたいな人はすごく派手なスーツ。シャツも柄付きだし。  みんなで仲良う、てゆったのに、キサガタさんは呼ばれなかった。どうしてだろう。仲間外しかな。  ぼくはそれが気になって庵のほうをちらちら。お庭の松の背が高くて見えないのに。もし、いまも静止したままだったらどうしよう。熱だってまだ引いてない。 「キサ呼ばれへんですまんしゃいね」  ぼくはすごくビックリしてお茶が変なところに入ってしまった。咳き込む。  ならしふさまはぼくの背中をさすってくれる。 「檀那はんから聞きましてん。キサ風邪ぴきちゃんやさかいに、お外雪見させたらかわいそえ」  ぼくは恥ずかしくなる。ならしふさまが仲間外しなんて、そんなひどいことするわけない。謝りたかったけど、なんか頭がぽうっとしてふらふら。  もしかしてキサガタさんの風邪が感染ったのかな。 「せーだい顔赤うなってます。まきちよクンも風邪ぴきちゃんでしょか?」  ぼくは首を振る。ならしふさまに心配をかけちゃいけない。  ひんやり。ならしふさまがぼくの額を撫でてくれた。その手がぼくのネクタイを緩める。ボタンを外す。ベルトを。 「あつつの熱は冷やしましょ。僕さん、ええこと知ってます。服脱いでくりゃれ?」  ぽかぽかしてぼんやり。ならしふさまはお付の人から何かを受け取る。なんだろう。じゃらじゃらゆってる。  じゃらじゃら?   ぼくの首がひんやり。手首も足首も。でも顔はあっつい。  じゃらじゃらはなあに? 「雪の上お散歩さんでさむさむなりゃりますえ。はあ、忘れもんしょったわあ。わんちゃんはしっぽあるのと思いますね」  お尻が熱い。ぼくは声を上げてしまう。何かがぼくのアナルに挿ってくる。奥に奥に。  きもちいい。もっともっとほしい。 「さあさ、お散歩さんしましょね、わんわん」  身体が引っ張られる。わんわん?   縁側から外に出てお池が見える。手と足がひんやりするけど身体がぽかぽかだから平気。  足がいっぱい。ならしふさまのはあっちだからこっちのはだれの? ならしふさまのお付の人かな。いっしょにお散歩してくれる。  ぼくはうれしくなる。  お池を一周してお座敷に戻ってきた。縁側の手前でおすわり、てゆわれた。 「はあ、あかん。わんわんのお座りは違いますでしゃろ。おててはこっち、あんよもこっち。しっぽ上げましょね」  これは四つん這いじゃないの?   お座りってゆうのはお尻を下につけるんじゃないの?   あつい。お尻が熱い。  雪につけたいよ。そうすればひんやり。ぼくのアナルから何かが抜けた。ずるり。そしてまたぬるぬる。そのうちひんやり。がちゃがちゃ。 「めんこいお尻丸見えしゃんやわ。即ひやこいさせますさかいにね」  お付の人が雪をつかむ。雪合戦かな?   でも違う。手の平にのせてぼくの後ろに立つ。  冷たい。ぼくは声を上げてしまう。  もしかして、アナルに雪が入ってるのかな。ならしふさまはお座敷の縁側でぼくを見てくれてる。  あつい。熱いよ。アナルも熱いけど身体はもっと熱い。  お尻だけじゃなくて背中に雪をかけてくれればいいのに。 「あいあい、雪溶け水の季節やも」  お付の人がぼくを持ち上げる。脚を高く上げてぼくのペニスをならしふさまに見せ付けるみたいな姿勢にされる。  冷たい水がぼくのアナルからぼとぼと。入ってるのは何だろう。すーすーする。穴が空いたまま固定されてるみたいな。  雪を挿れられて、溶けた水じゃばじゃば。それを何度も何度も繰り返される。アナルの感覚がなくなるまで。  だけど身体はまだ熱い。ペニスはもっと熱い。 「さむさむひやこうなりゃりゃったかんね? こっちおいでやす」  ぼくは縁側に放られる。腕が高く上げられたまま固定される。脚も閉じられない。ぼくは縁側の柱に括りつけられてる。  ならしふさまがぼくのアナルに入ってるものをいじる。がちゃがちゃ。金属? 「ほんならわんわん診察しましょね。どないしはりましたじゃろお尻? ぴんくでえっちくてびしょびしょでおすけどなあ。ナニしはりましたんの? お水遊び?」  ぼくは何をされてるのかようやくわかった。顔から火が出そうなくらい恥ずかしい。  ぼくは首輪をつけられてならしふさまにリードを引かれて裸のまま四つん這いで池を一周してしまった。散歩は散歩でもイヌの散歩。手首にも足首も拘束されてぼくはなにも抵抗できない。それに、頭も身体もペニスもアナルも熱いからまったくことばが出てこない。  ならしふさまは屈んだ姿勢でぼくのアナルをのぞいている。長い金属の棒でアナルをぺたぺた触られる。ペニスに触ってほしいのに。アナルだって入り口のところしか当たらない。  お付の人が四角い容器を泡立てながら運んでくる。泡だらけ。それをペニスの周りに塗られる。  ならしふさまは金属の棒でぼくの乳首をつついてた。ぼくはおしっこしたくなってくる。どうしよう。裸で外に出たから冷えたんだ。それにアナルに大量の雪。いまだって裸で縁側の柱に縛られてる。  おしっこ、て意識した途端、もっとおしっこしたくなってしまった。ペニスがぴくぴくしてる。おしっこしたいよ。 「わんわんぼーぼーしませんさかいに、つるつるしましょね」  ならしふさまは剃刀でぼくの毛を剃る。刃がぼくのペニスに当たるたびにぼくはおしっこしたくなる。我慢できないよ。  泡がアナルに入ってくる。すごく変な感じ。ダメだよ漏らしちゃ。お座敷を汚しちゃダメ。ダメだってわかってるんだけどでも。  急に腕の拘束が解かれる。お付の人たちに抱えられてお庭に置かれる。大きな人がバケツを持って待ってた。ぼくは脚を開かれた姿勢のまま股間にぬるま湯をかけられる。ぼくは漏らしてしまった。  ならしふさまが縁側から外に出る。持っていた鉄の棒でぼくのアナルをほじくり返す。 「ええですよ、きれいきれいしましょねえ。まだ出りゃくれ?」  ならしふさまがつんつんつつくから、ぼくはまた漏らしてしまった。みんな見てる前で。すごく恥ずかしいのに。我慢できなかった。ならしふさまもお付の人もお屋敷警備の大きな人もじっくり見ていた。  だってぼくは毛を剃られたばっかでペニスの根元もアナルの入り口も丸見え。入り口だけじゃない。金属のせいでぼくのアナルは奥まで。  ぼくは射精した。その瞬間、ならしふさまの顔色が変わる。 「なんでしゃろ、この白うもん」  ぞくりとするほど鋭い目つき。声色もかなり低くて怖い。手に持ってる永い金属の棒でぼくのお尻をぶつ。お仕置きだ。ぼくが射精したから。  痛いなんて思っちゃいけない。ぼくは悪いことをしたんだから。 「わんわんはびんびんになりまへんでしょ? 愛玩動物やも、めんこいだけ。わかってますか?」 「は、はい」  またぶたれた。 「わんわんは喋らはりませんえ?」  新しいバケツが運ばれてくる。ぬるま湯。今度は顔にかけられた。きっと罰だ。お湯をかけてくださったのも、さっきみたいに大きな人じゃなくてならしふさまが自ら。  ぼくはお礼を言う。わん。  お付の人たちによって、もう一度縁側につながれる。ぼくはわんわんだから宙に浮いた姿勢で脚を広げたまま吊るされても平気。そんなに高い位置じゃないし、みんなが見てくれてるし。 「診察の続きしましょね。ぴんくちゃんでひくひくしとりゃすよ」  ならしふさまはぼくのアナルから金属を引き抜いた。ぼくは声を上げる。わん。  長い間固定されてたのでぱっくり穴が空いている。すごく興奮したけどなんとか我慢できた。ぱっくりの穴にず太い注射器を注入される。ぼくのアナルから茶色い液体が流れ出して地面に落ちる。ぽたぽた。  注射器はぜんぶで三本使われた。つーと水が滴る。 「きれいなったんでしょかね。確かめまっしょさ」  またあの金属だ。アナルを大きく広げられると、残っていた水がぜんぶ流れた。おしっこみたい、じゃなくて本当にぼくはお尻からおしっこしたのだ。ペニスが硬くなる。  ならしふさまはそれに気がついて、ぼくのお尻をぶつ。頬もぶたれた。ぼくはもっと勃起してしまう。ならしふさま鋭い目つきでぼくを睨むと、金属を引き抜いて注射器より太いバイブを挿入した。  ぼくは声を上げる。わん。  みんな見てる。じろじろ。お付の人の股間が膨らんでる気がする。 「締まりないわんわんのお尻に栓しりゃっしゃろ。ちんちんはお元気しませんえ? わんわん他にいませんでしょ? ご主人さまの僕さんに欲情しはったらあきませんえ。獣姦ゆいましてな、いろいろぐちゃぐちゃあかんのん。わかりますか?」  ぼくは返事する。わん。 「めんこいねんね。お腹すきまっしゃろね? みるくちゃんごくごくさせましょ」  お付の人がぼくの顔の前で立ち止まる。二人同時にジッパを下ろすとびんびんに勃起したペニスがぴょいって飛び出る。そして黙ったまま扱いてぼくの顔に精液をかける。ひとりだけでも口から溢れそうな量なのに、それを二人も。  ぼくは必死で舐め取った。ペニスもしゃぶりたかったんだけどすれすれで舌が届かない。 「おいしそやね? ご主人さまの僕さんのみるくもごきゅごきゅしたいでしゃろ?」  ぼくが返事をしようと思ったらバイブが動き出した。振動でも回転でもない。奥に奥に突かれてる。  返事が出来なかったのをならしふさまが咎める。 「ご主人さまは僕さんじゃありませんのですか? なんでえご主人さまの僕さんのみるくが飲みたないんどすの?」  バイブの動きがさらに強くなる。ぼくは頭が真っ白になる寸前でこっちに呼び戻された。  松の合間からだれかがのぞいてる。あれはキサガタさんだ。ぼくにはわかる。どこから見られてたんだろう。  でもぜんぜんイヤじゃない。キサガタさんにならもっともっと見てほしい。穴が空くほど見て欲しい。  つい大きな声を上げてしまった。  ならしふさまがぼくを叩く。  あ、あ、もう。  ぼくは射精する。 「わんわんはみるく出されへんよ、にせもんわんわ!」  音が遠くなる。  気づいたら、ぼくはひとりぽっちでお座敷の縁側に縛られてた。裸のまま四つん這いでお庭を向いて柱に抱きついている。アナルには何か嵌ってると思うけどこの体勢だと確かめられない。  だれもいなくなってる。お庭にもお座敷にもだれも。  声を出してみたけどなんの返事もない。おいてけぼり。  ぼくはお庭を見てみる。  お庭でぬるま湯をかけられたのに、その跡が残ってない。雪も溶けてないし、道具も落ちてない。  無理してお座敷のほうを振り返る。ちゃぶ台の上に何もない。確かにぼくはならしふさまと一緒にお茶を飲んでお菓子を食べたのに。ここで脱いだはずのぼくの服もない。ぼくは泣きたくなる。  もしかしてぜんぶ夢だったの?  じゃあどこからが夢でどこからが現実? ならしふさまは? キサガタさんに好きだってゆってもらえたのは?   わからない。ぜんぜんわからない。  なんて頭が悪いんだろう。だからお父さんに嫌われて捨てられたんだ。  せっかく買ってもらった時計もなくしちゃった。ぼくなんていらないんだ。いなくなったほうがいいんだ。お父さん。  何か聞こえる。  まぼろしの音でもいい。耳を澄ませる。泣いてる場合じゃない。  会いたいよキサガタさんキサガタさんキサガタさんキサガタさんキサガタさん。 「壊れはったぱーつはお取り替えまっしょね。ろぼっとさんはお水に弱いの知ってますやろ? ばーじょん古うならはったかな」 「あ、あ、あ」  キサガタさん? 「ここ、ぶるぶる呼び出し機ぃのほか誰やら挿らはりましたん? ぺちゃぺちゃにゅるにゅるでしゃよ」  かすれた喘ぎ声。  これは。 「電池さんぶち切れはったんかいな。充電しましょ思いますけども、もしぃ?」  キサガタさんだよね? 「立ってくれへんかのねえ、立つゆう字ぃあら勘違いしてはりまっしゃれえ。すたんどあっぷ。えれくとやあらひぇんよ、て聞こえませにぇんね」  ざかざかざ。ぼくは顔を上げる。 「なあにやっとるの? ひっとりSM露出緊縛? うわ、てーもーまで」  白いシャツに真っ黒い学ラン。ぼくはビックリして大声を上げそうになった。でもそれは発されない。  ぼくは口を塞がれる。ヨシツネさまは静かにしい、て息だけで言ってぼくの縄を解いてくれる。 「あ、あの」 「どうもこうもあるか。ぜんぶお前のせいやさかいにな。髄の液まで呪うたるわ」  ヨシツネさまはタオルと服を放る。さっきまでぼくが着てたはずの服じゃなかった。ぼくの部屋のたんすに入ってるはずの。 「おやおやホームシックかいな、ツネ」 「おやおやストーカかいな、檀那サマ」  ぼくは呼吸が止まりそうになる。  薄っすら赤のかかった紫の着物に、濃い抹茶色の羽織。池の周りの小径を檀那さまが歩いて。お散歩。  ちがうちがうそうじゃなくて、ヨシツネさまはとっくに見つかって。  遠くでキサガタさんの声。  ぼくは首を振る。 「ええか?力抜きや」  そうゆうと、ヨシツネさまは、ぼくのアナルから何かを引き抜いてお座敷の縁の下に転がす。ちょっとどきどきしたけどちっとも痛くなかった。  キサガタさんの声はお屋敷中に聞こえてる。 「なんやらいかがわしもんが妙ちきなことしとるえ」 「檻逃げ出したイタチ追っかけて留守しおるとな、如何わしいもんが幅利かしょる。気になるんやったら耳つぶしたるで?」檀那さまはついにヨシツネさまの正面に。  大きな手でヨシツネさまの顎をつかんで。 「ちゅーしよか?」 「アホゆうな、虫歯が厭なん、みゅーたんす。あ、五七五」  本当にキスするのかと思った。でも檀那さまはぎりぎりの至近距離で止めてる。  ぼくはタオルで身体を拭って服を着る。ヨシツネさまがぼくなんかのために持ってきてくれたんだから。 「聞き忘れたことあってな。まきちよの腕時計、どないなった?」 「はあ? なんのことや」 「質ィ、のわけないなあ。捨てた? それもない。せやったら答えは一つ、お前ね」  檀那さまがげらげら笑い出す。お腹を抱えて。ぼくはあの時のことを思い出す。ツツボさんのところから帰ってきたあの日の。  でもどうしてヨシツネさまがぼくの時計を。 「大人しう返すんやったら、折檻窟でもお前のしょっぼいサオでもなんでもぶち込んだったらええよ。お望みやったらナマも許すえ?」 「よう知らん間に憎らしほど可愛えことゆうてくれるようになったなツネ。せやけどまきちよの時計? そんなもんのためにわざわざ戻りおったんか。アホやでアホお。ああオモロ。気ぃ狂いそうやわぼけぇ」  ぼくはジャケットのポケットの膨らみに気づく。  ベジタリアンザメ。どうして?   これは白いダッフルコートの中に。 「まきちよ、時計。黒うて革ベルトの、アナログで丸うて、文字盤グレイで数字イタリア語なのと違う?」 「え、どうして」  ヨシツネさまが振り返ってにやりと笑う。  口の両端だけを上げて。「さあ、なんでやろね」 「ツネ、俺にわかるように話せや。まきちよの時計がなんやて? 腕時計くらいなんぼでも買うたるわ」 「あんまやかましとどんぱち愛好会会長のてーはんぱつ来よるえ? まきちよ、お前ホンマに腕時計してたん? えっらい前に失くしたのと違うん?」 「なんでそんなこというんですか?」 「早とちりせんといて。俺は責めとるんやない。お前の腕にはないはずやけどな」  よくわからない。なくした? ぼくの時計はぼくの腕にない?   そんなの当たり前だ。ぼくの時計はなくなったんだから。  でもいまのヨシツネさまの言い方は、まるで最初からなかったみたいな。  キサガタさんの声。ぼくは耳を塞ぎたい。だけどキサガタさんの声なら聞いていたい。  本当にキサガタさんの? 「とーちゃん、死んだゆうてたな。いつ往ななったん?」ヨシツネさまが聞く。 「だいぶ前です」 「せやからそれいつ?」 「わかりません」 「わからへんわけない思うえ? 自分のとーちゃんの命日くらい」 「わからないんです。ぼくが知らないときに」 「隠さへんでもええよ。俺、お前のとーちゃんに会うたことあるさかいに」  檀那さまがケータイを耳に当てる。ぼそぼそ何か言ってからヨシツネさまに投げたけど、ヨシツネさまは見ずに切った。  ぼくは混乱する。なんでヨシツネさまがぼくのお父さんに?   いつ? どこで? なんで?   ぼくのお父さんは亡くなって。 「池ぽちゃしおったらここで犯そ思たわ。大人しうなったなあ」 「俺、テレクラ始めたお覚えな」ヨシツネさまが膝を付く。発言の途中。手から落ちたケータイが転がる。  檀那さまがヨシツネさまのお腹を蹴った。  雪の上。踏む。  ヨシツネさまはうつ伏せのまま動かない。  蹴る蹴る。頭と背中。砂利砂利。  雪雪。  こえ。  池の周りの大きな石に背中が衝突。前髪をつかんで顔を。檀那さまはヨシツネさまのシャツを引き裂いた。ボタンが飛ぶ。  雪の上。石の上。池の中。  白い肌に直に。  キサガタさん、いまだけは来ないで。いまだけは。  もうちょっとしてから来てくれればぼくは平気。  だいじょうぶ。  檀那さまはヨシツネさまの袖をぐいっと引っ張り上げて髪を耳にかける。  べろり。  耳の穴を舐めた。 「ええ夢見るんやで? クリスマスプレゼントやさかいにな」  ヨシツネさまが咳き込むより早く、大きな人たちが来て逆さまに担ぐ。赤黒い鼻血。爪が剥げてる。眼が開かないみたいだった。瞼がぴくぴく。手と足がだらりと垂れ下がってて、薄い色の綺麗な髪が雪でぐちゃぐちゃ。  洞窟に運ばれるのだ。折檻窟。  池の向こう岸。ぼくはキサガタさんを見てる。  キサガタさんはぼくを見てる?   首輪にリード。つながれた四つん這いの裸。ぼくは眼を逸らしちゃいけない。  檀那さまが羽織の内側に手を入れる。  ぼちゃん。  髪が浮かび上がる。透き通るような金髪。 「そいつ、名前なんやったっけな?」  檀那さまが縁側に腰掛ける。  ばしゃばしゃ。  ぼくはキサガタさんを見つめる。  ばしゃばしゃ。キサガタさんはぼくを見てない。  ごぼごぼ。  縁側に何かが投げ入れられる。ぶくぶく。 「まきちよくん、知ってる?」  ぼくの時計。血だらけ。       3  天井の抜け穴は山の頂上につながっている。  牢屋の定義が閉じ込めておくことだとしたら、折檻窟は牢屋ではない。囚人が逃げ出すことを前提として作られている。  では何のためにこんなものがあるのか。  見せしめか。  でも見せる相手がいない。従わないイコール別部署への異動だから。  枯れ果てた雑草が茂る山道を下ると、黒い車が門の前に止まったのが見えた。  そろそろ来るとは思ったが。  遅い。  さっきおっさんから聞いた日付けがあっているとするなら、まだ年は明けていない。年が明けたからどうということもないが、あの日から何日経過したのか数えることができる。  吐き気がする。  全身が気持ち悪くてしょうがない。 「ええ夢見てはったんやて?」  脱衣場につながる戸が開いていて、そこから話しかけられている。  無視して髪を洗っていたらシャワーをかけられた。ちょうど泡立ちが悪かったところだ。最低三回は洗わないと汚れが落ちそうにない。  皮肉でおおきにと言ったら、なんや懐かしなぁと笑われた。 「相変わらずで安心したわ。せや、久々に一緒に入ったろか?親子水入らず」 「別に親子と違うやろ?ごっこやん。ごっこ遊びに付き合ってやるほど暇と違うさかいにな」 「さあなぁ、ほんまもんかもしれへんよ」  なかなか泡立たないからイライラしてきた。折檻窟にいた日イコール風呂に入ってない日。浴槽のほうから湯が飛んでくる。  どこから出したのか水鉄砲。黄色いアヒルに罪はないので無視する。  相手にすると付け上がるタイプだ。 「むっちゃ懐かしやろ? 憶えたはる?」 「でやろ。忘れたわ」  絶対やると思った。鼻に向かって水鉄砲。  手で遮った。 「さっすが反射神経はばっちりやね。実技は免除にしたろかな」 「そもそも試験ゆうんはなんなん?」 「どこかの誰かさんの裏工作が実った結果やさかいに。ああ、ヨシダさんにも感謝しはってね」 「なんであんな低反発」 「あんな天使おらへんよ。ツネが知らへんだけやで」 「前々から思うとったんやけど、お前趣味ようないな」 「ヨシダさんの良さは誰にもわからへんよ」  身体をぺたぺた触られる。首、肩、腰、内股。  いつもの定期点検だ。  脱衣場につながる戸が少しだけ開いている。すーすー隙間風が入るのはそのせいか。 「試験の時間やけど」影がのぞいた。「ああ、来とったんか。はばかりさんで」 「まいど精が出はってよろしおすな。試験官が来よらんでどないするん? あとは任せて寝てはったらええよ」 「採点が甘なるやろ? 俺も」 「引っ込めゆうとるんや。聞こえへんかったんかな」  いつもは威張り散らしているゲボも、こいつには敵わない。  権力的にはこっちのほうが上だ。 「ほな、あとは頼んます」ゲボはそそくさといなくなった。 「すっかり貫禄つかはったやん」ダサは満足そうに笑う。「お手本やさかいに。よお見とったらええよ」 「ああはなりたないな」  試験はすぐに終わった。  ダサが試験をやった、という事実だけがあればいいのだろう。  結果は後日。  ダサがまだ何か言いたげな雰囲気を醸し出していたが、無視して服着て逃げた。  といっても、敷地の外には出られない。シャツに学ラン羽織っただけじゃ寒くて逃亡も不可能。そうでなくとも逃亡はしばらく出来ない。  少なくとも、結果を手にするまでは。  庭を見る限り雪はほとんど溶けている。庵の縁側でうろうろしてたらキサに見つかった。  黒いエプロンをかけて掃除機を引きずってる。眼が合うとにこっと笑う。もしかしたら見つけてほしかったのかもしれない。  話があったから。 「片付けか」 「はい」キサが頷いた。  庵には四つの部屋がある。キサはその一番左端の部屋から出てきたところだった。障子の隙間から見えた部屋の様子はからっぽ。あらゆる事象が終わってしまった跡。  単にのぼせただけなのか、あまり寒さを感じない。寒いのが苦手だというのに。  暑いのも嫌いだが、寒いのはもっと嫌いだ。この地域の寒さはさらに嫌い。身体の芯を選択的に冷やす。そうゆう寒さが厭なのだ。 「あの方は」 「さあな、長居はせぇへんやろ」  キサは居心地の悪そうな顔をした。  キサは、ダサに嫌われている。と思っている。 「お元気でしたか」 「会いたないんやろ? こっちには来ィひんよ。安心したって」  殿の調理場の隣が雑庫。キサはそこに掃除機を仕舞って調理場に入る。  お茶を淹れてくれた。温かい番茶。 「おなか減ってませんか?」 「てきとーでええよ。腹に溜まりそなもん頼むわ」  廊下で足音。奴が復活したらしい。  相当疲れたのだろう。これから部屋で惰眠を貪る気だ。今日の雑用はキャンセルかもしれない。  ざまあ。 「どこまで知っとった?」  キサが手を止めて振り返る。  まな板の上に。 「ヨシツネさまならおわかりかと」  テーブルの上のミカンを失敬する。ミカンは小さいほうが美味い。酸っぱくなければミカンではない。甘いミカンなんか。 「なあ、ホンマは」 「珍しいですね。そうゆうこと、訊かないのに。もっさいって」 「せやね、すまんかったな」  いい匂いがしてきた。キサは手際がいい。  折檻窟にいた日イコールまともに食事を採ってない日。腹すら鳴らない。 「水族館て」 「ああ、なに? 行きたかったん?」 「一人で行ったら面白くないですよね」 「さあ、でやろ。俺はひとりのほうが気楽やわ」  買ってやったサメのぬいぐるみストラップはどうなっただろうか。捨てられたとしても特に気にならないが、当人の意に反してそうゆうことになってたら多少厭かもしれない。  そもそも欲していただろうか。買ってやって無理矢理与えただけだった気がしないでもない。  キサがいないと思ったら奥の扉から出てきた。そっちは確か衣裳部屋。 「僕が預かってたんです。どうしたらいいでしょうか」  サメのぬいぐるみ。きちんとストラップとして使用されている。キサのケータイ。  買って押し付けられた本人はただの一度もストラップとして使用していなかった。まさかストラップだなんて思わなかったのかもしれない。なまじ本体のケータイよりも大きい。 「ようかっぱらったな。もうお前にやるわ」 「このサメ、お好きなんですよね?」 「あーええの。俺、ホンモンが欲しだけやさかいに」  キサはにこっと笑ってストラップを隠しにいく。  衣裳部屋までガサ入れされないとは思うが、小屋にも折檻窟にすら行かないくらいだ。処分されたらその時はそのとき。また買ってきてもいいしそれっきりでも構わない。  ミカンが美味い。ついつい手が伸びる。  喉が渇いているのだ、きっと。 「いなくなっちゃうんですか?」 「なんで?」  純粋にビックリした。突然そんなこといわれたというのもあるし、キサがちょっと哀しそうな顔に見えた。  いや、後者はいつものことだった。キサはたいてい哀しそうな顔をしてる。にこっと笑うときだってやたらにもの哀しい。かえって切ない。 「そろそろかなって」 「まあ受験資格はあるみたいやね。せやけど受かるかどうかはわからへんよ。試験官がいやらしほどのどケチやさかいに」  きのこの炊き込みご飯。豚汁。鶏の唐揚げ。小松菜と厚揚げの煮物。  せっかくだからと誘ったらキサは向かいに座った。でも手はつけない。 「怒らないんですね」 「怒って欲しんやったら、ゲボんとこの大事ぃな掛け軸破ったったらええよ。あ、ろーかの絵でもええかな。しょーしんしょーめいホンモンやさかいに。焼き芋しよか」 「ヨシツネさまは」 「願い下げやね。俺な、ホンマに腹立つと口利けななるん。まあそうゆうこと」  キサが掠れた声でごめんなさい、と言ったけど聞こえないふりをした。謝る相手が違う。そんなことキサだってわかってるはず。単に懺悔する対象が欲しいだけ。  それはもっと願い下げ。その辺に転がってる石にでも聴いてもらえばいい。 「ヨシツネさまがいなくなったら淋しいな」 「んで、俺のこと好きとかゆうたらぶっ殺すえ?」  キサは困ったような顔をして俯く。  豚汁の鍋をのぞいたらまだ大量にあった。それに気づいたキサが席を立ったが阻止した。そのくらい出来る。ついでに炊き込みご飯ももらうことにする。  キサは残念そうな顔で腰掛ける。「なんでもお見通しですね」 「そら誰にでもゆうたらバレるわな」 「それで、さっきの話に戻るんですね」 「もう訊かへんよ。もっさい」 「好きな人って一人じゃないとダメなのかな」  キサは冷蔵庫を開けてプリンを出す。果物とヨーグルトを和えてガラスの容器に盛り付ける。  プリンアラモード。 「いらんよ」 「こうゆう甘いの、お嫌いでしたよね」  キサはそれを盆にのせて廊下に出る。行き先はなんとなくわかる。  三杯めに挑戦してる最中に帰ってきた。盆だけもって。眼を合わせないところからして、思うようにいかなかったのだろう。もしくは、作って持っていくという動作が目的だったのかもしれない。  好感度。ご機嫌取り。だとすると、プリンアラモードはガラスの容器ごと。 「僕とは寝てくれないんですか」 「意味がようわからへんけど」 「だって、僕だけ触ってもくれないから」キサはすぐ横に立っている。 「やりたいだけなのと違う? たまたま手近な男が俺ゆうだけで」 「じゃあキスしてくだ」  睨むつもりで見上げる。キサは半泣きだった。半分だけ泣いてるけど、残りの半分でどんな感情を表現してるのかわかりたくなかった。  遙か昔からとっくにわかっている。本命が思うようにならないならそこに流れるのが筋だ。そんなに似てるのか。違う個体だろ。遺伝子か。顔が同じなら構わないのか。  ちがうのだ。キサは淋しいだけ。  いちいち応じては。 「勝手にし」  この甘さに吐き気がする。  キサの口はカラメルの味がした。

ともだちにシェアしよう!