侍女はドリーと名乗った。まだ十八歳の女の子だ。こんな子に手を上げるなんて、サミュエルは自分のことながら腹が立ったのだった。 　就寝直前になって、部屋を訪ねてきたのはセオドアだった。といっても自分のナニーの後ろに隠れながらなのだが。 「パーティーのときに、サ、サミュエルさまにプレゼントをお渡しできなかったようで」 　セオドアのナニーも怯えているようだった。 「ありがとう、こっちにおいでよ、セオドア」 　セオドアはおどおどしながら、サミュエルのそばに寄ると、ずいと青い何かを突きつけた。それは、青い鳥の羽を集めたブローチだった。 「うわ！　すごいな！　自分で集めて作ったのか？」 　セオドアはこくりと無言でうなずく。生まれつきなのか表情が分かりにくいセオドアだが、頬に赤みが差していた。 「みすぼらしいと怒られるのが怖くてお渡しするのを諦めていらっしゃったのですが、今日テディベアに喜ばれているサミュエルさまをご覧になって、やっぱり渡したいとおっしゃいまして……」 　セオドアのナニーが説明してくれる。 　サミュエルは目頭が熱くなった。こんなにいじめられ続けてきたのに、まだ自分を慕ってプレゼントを手作りしてくれていたなんて。 　青い羽根のブローチをそっと受け取って、胸元に当ててみた。 「似合う？　セオ」 　セオとは、セオドアの愛称だ。親は彼をそう呼んでいたが、サミュエルは一度だって呼ばなかった。 　セオドアは宝石のような目を丸くして、こくこくとうなずいた。 　姿鏡を見る。全く似ていないが、容姿の整った兄弟がこちらを見ていた。 「大切にするね」 　頭を撫でようと手を近づけると、セオドアが身体を縮めてギュッと目を閉じた。叩かれると思ったのだ。よく考えると、セオドアは自分に対してほとんど言葉を発しなかった。かつてサミュエルが「お前の声なんか聞きたくない」と話しかけるたびに罵声を返していたからだ。 　心にも身体にも、自分のせいで深い傷を負わせてしまっていた。こんなに小さくて可愛い弟なのに――。 　サミュエルは手を下ろし「もう暴力は振るわないから」と告げた。そっとセオドアの手を握る。 「僕は生まれ変わるよ、約束する」 　セオドアは不思議そうにサミュエルの誓いを見つめていた。そしてサミュエルのまわりでくんくんと匂いを嗅いで、不思議そうに首をかしげる。石けんの香りでも気になるのだろうか。 　今は伝わらなくても、自分が変わることで分かってもらえればいい、そう思った。 　ふと、前世でひとりぼっちにしてしまった祖父を思う。子どもに先立たれ、孫にまで死なれた祖父は立ち直れるだろうか――。水害の少し前に住み込みで働き始めた見習いの少年が支えてくれるといいのだが。突然「ここで働きたいんです」と祖父ご指名で訪ねてきた彼のことを、祖父ももう一人の孫のように可愛がっていた。 　それから五年、王都にあるサウスモーランド公爵邸内の庭には、なぜか農園が広がっていた。 「セオ！　見てくれ、この大きな芋虫！」 　畑の中から顔を出したサミュエルは、弟に元気いっぱいの芋虫をつまんで見せた。 　そばにある練武広場で剣を振るっていたセオドアは、こちらをちらりと見て「今季一番の大きさだね」と話を合わせながら汗を拭った。 「いや～無農薬は大変だな！　でも手間かけるぶん、いい野菜ができるからなあ」 　児玉敬人だった前世の記憶を思い出し、心を入れ替えたサミュエルは、それから農業の研究に邁進するようになった。農家だったものの、手が出せなかった無農薬栽培が、この世界なら主流だからだ。 　最近、農薬を開発する事業家などが出てきたが、サミュエルは人体に影響がないかの厳しい試験を課すべきだと父親に進言し、サウスモーランド公爵領では厳しい規制が行われるようになった。 　他の領地で農薬による健康被害や水質汚染が問題になっているなか、公爵領は前世の知識のおかげで防げている。王都にある公爵邸の農園も、サウスモーランド公爵領から土を持ってきた。領地と同じ条件で栽培しなければ最善の策は見つけ出せないからだ。 「土も良質でいい領地なんだけど、あとは水だなあ」 　飲料水は井戸水、農業用水は雨とため池に頼っているため、少雨だと作物の生育に悪影響を及ぼす。 　うーん、と腕を組んで悩んでいると、顔を手巾でごしごしと拭われた。 「泥だらけ」 　十一歳になったセオドアはすっかり背も伸びて、十五歳の自分と数センチしか変わらない背丈になった。 　もとから天使のように愛らしかったが、今はずいぶんと少年らしい顔つきになっていて、子どもながらすれ違う人が見とれるほどだ。 　サミュエルはというと、意地悪な性格はなりを潜め、朗らかで少し大雑把で、植物や虫が大好きな少年に育ったため、いじめられ続けた使用人たちも、もちろんセオドアも、すっかり心を開いてくれるようになっていた。 　しかし、一度流れた悪評は払拭されることなく、身近な人々以外はいまだサミュエルを〝意地悪が服を着た貴族〟だと思っている。 　そのせいか、十五歳になる前に受けた第二性の検査でオメガだと判明しても、サミュエルに縁談が持ちかけられることはなかった。血のつながりはなくとも公爵家の一員。縁戚になりたい貴族は星の数ほどいるはずなのに、だ。 　多くの貴族が十六～十九歳で社交界に出るが、そうなったらどんな目を向けられるのか想像するだけで恐ろしい。デビュタントを棄権できないものかなどと考えるのだった。 　社交界に関心が一切なく、土いじりばかりに夢中になっている変わり者のサミュエルによくしてくれる友人が、第一王子のエセルバートだった。 「サミュエル！」 　セオドアに顔を拭われていると、執事に案内されたエセルバートがこちらに歩み寄る。弟から小さな舌打ちが聞こえたのは気のせいだろうか。 「エセルバート殿下、ようこそ。こんな恰好ですみません」 　動きやすいシンプルなブラウスとパンツ姿なので、貴族風の挨拶をしても滑稽だ。 　エセルバートは肩まで伸ばした銀髪をさらりとかきあげて「そんな姿も素敵だよ」と一流のお世辞を言ってくれた。細めたアンバーの瞳が日光を反射して、琥珀のように輝いている。さすが王子様、どこから見ても美しく品がある。 　十二歳のとき、サミュエルは一つ年上のエセルバートの〝遊び相手〟に選ばれた。王子王女の遊び相手には、高位の貴族令息から年齢の近い者が選ばれるが、性悪で有名だったサミュエルは当然候補には挙がっていなかった。 　が、サミュエルが園芸が好きで畑を耕す変わった趣味があることなどが国王陛下の耳に入り、面白半分で呼ばれ、定期的に王宮に出入りするようになったのだ。 　今でもたまに王宮に出向いているが、こうして時間を見つけてはエセルバートの方から遊びに来てくれるのだ。 「殿下、今トウモロコシを収穫するところだったんです。茹でて一緒に食べませんか？」 「トウモロコシを茹でて食べる……？」 　料理の「り」も知らない王子は、トウモロコシをそもそもどうやって食べるものか知らないようだ。 「採れたてがびっくりするほど美味しいんですよ！　な、セオ？」 　セオは面白くなさそうに、こくりとうなずく。エセルバートが屋敷にやってくるといつもこんな態度になるのだ。不興を買ったらたまったものではないと、いつもひやひやする。