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第11話
「約束どおり、颯さんには触れません。でもちょっと匂い嗅がせてもらってもいいですか?」
「えっ、におっ……あっ……!」
諒大が颯の首筋に顔を寄せてくる。深呼吸をするみたいに匂いを嗅がれてめちゃくちゃ恥ずかしい。
「懐かしい匂いがする……」
諒大の言う、懐かしい匂いとはなんだろう。まさかおばあちゃんちの匂いとかだったらすごく嫌だ。
「も、いいですか……」
「うーん……あと少し……」
諒大はスンスンと匂いを嗅いでいる。
これは颯にとっても辛い。諒大が近いから、颯も颯でアルファの諒大のフェロモンを感じる。これを浴びるたびに諒大に抱きつきたい衝動に駆られてしまうからだ。
ほんの数秒だったと思う。でもその時間がすごく長く感じた。もう耐えきれない、と思ったとき、匂いを嗅ぐのをやめた諒大が颯の耳元で囁いた。
——早く俺を好きになって。
「おやすみなさいっ、颯さん!」
諒大はサッと颯から身体を離し、可愛らしく片手を振って颯のアパートのドアを閉めた。
疾風のように、あっという間にいなくなってしまった。
「な、なに今の……」
颯は玄関のドアを見つめたまま、呆然とする。
たしかに諒大は颯に触れなかった。だが颯の気持ちがグラグラと揺らいでいる。
やっぱり、諒大に惹かれていく。諒大と恋人同士になれたら、さらにその先まで進めたら、なんて浅はかなことを考えてしまう。
(ダメだ……ダメだよ。諒大さんのことは好きになっちゃダメなんだ……)
冷静になれ、冷静になれと、颯はいつものように自分に呪文をかける。
あんな素敵なアルファが運命の番を理由に自分を愛してくれるわけがない。こんなみすぼらしいオメガが諒大の隣にいたら諒大が笑われる。
「諒大さん……」
こんなに優しくて誠実そうに見えるのに、実は佐江を想っていて、二股をかけている、もしくはこれからかけるところとは信じられない。
そして諒大は三ヶ月後、颯ではなく佐江を選ぶのだ。
「諒大さんと結ばれたかったな……」
あ! いけない! とすぐに思い直す。なんて恐ろしいことを口にしているんだ自分はと、考えを振り払うように首を横に振る。
諒大を好きになったら、絶対に後悔する。婚約破棄されて、あんなに悲しいと思ったじゃないか。あのときの絶望的な気持ちを忘れたわけじゃない。
(あれ……?)
床にカードが落ちている。拾い上げてみると何かのカードキーのように見える。
「これ、大事なものなんじゃ……」
諒大が誤って落としてしまったのだろう。最後、あっという間にいなくなってしまったからそのときにスーツのポケットから落ちたのかもしれない。
(どうしよう……)
颯はカードキーとスマホの画面を眺めたっきり、指が止まってしまった。
諒大に落とし物がここにあることを連絡したい。
でも、連絡先は教えないと決めていたのに。
(どうしたらいいんだろう……)
とりあえずシャワーを浴びよう、とりあえず寝る準備をしよう、と答えを先延ばしにして、しばらくの間、颯の頭から諒大の落とし物のことが離れなかった。
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