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第13話 後悔したくない

 颯は朝から大きなため息をつく。  今日は朝から失敗ばかりだ。まずはいつもの電車に乗り遅れて遅刻ギリギリになり、仕事中にネームプレートが外れて洗い場の下水の側溝に落ちた。  そして今度は、側溝の中ネームプレートを探し回った、ちょっと臭うかもしれない汚い体で、佐江に会いに行かなければならない。  諒大に言われたのだ。今日は企画部が企画したホテル主催のイベントが宴会場で行われるから、そこにいる佐江にカードキーを手渡してほしいとのことだった。  そう言われてから、カードキーを返すときにもう一度、諒大に会えると期待していた自分自身に気がついた。  なんて浅ましいのだろう。  そうじゃない、諒大のことは好きにならないんだといつもの呪文を唱えて、気持ちを切り替える。  それにしても佐江はカギを預けても構わないと思うくらいに諒大に信頼されているようだ。さすがは幼馴染。知り合ったばかりの颯とは付き合いの長さが違う。  佐江との約束の時間は十四時三十分。場所は宴会場と厨房を繋ぐ通路だ。その時間になれば颯の仕事が一段落して休憩に入るから、佐江はそれに合わせて来てくれるらしい。  颯の前の人が休憩から帰ってきて、交代で颯が休憩に入ろうと思ったとき、瀬谷が颯に近づいてきた。 「七瀬くん、お願いがあるんだけど」 「はい」 「ちょっとこっち来て」  瀬谷に呼ばれて、颯は食洗機の音があまり聞こえない、静かなところへ連れて行かれる。 「今度ね、宴会調理課のみんなで新人歓迎会をするために集まろうって話になってるんだけどね」  瀬谷の声は最初のころとまったく違う。颯が諒大の知り合いだと知ってから、手のひらを返したような態度で颯に接してくるようになった。ニコニコしすぎてちょっと怖いくらいだ。  どうやら瀬谷は、颯が諒大の知り合いというだけで、『使える奴認定』をしてきたようだ。  諒大が颯を迎えに来た次の日、颯は職場の人たちに質問攻めにされた。  諒大とどんな関係なのか聞かれて、「僕が転んだときに、たまたま近くにいて助けてくれただけです」と答えた。それでも周囲は納得してくれず、事あるごとに諒大の話をされる。諒大がどれだけ注目されているのかを思い知らされる。 「できたらね、七瀬くんにも参加してもらいたいんだけど」 「でも、僕、正社員じゃないですし……」 「いいの、いいの、アルバイトの人も呼ぶことにしたから」  瀬谷は「是非来て」と颯の肩を叩く。 「それでね、七瀬くん、西宮室長を誘うことってできる? 別に室長を狙ってるわけじゃないの。だって室長には幼馴染のオメガがいるって噂だもの。ちょっと室長とお話ししてみたいなって思ってて。ね、お願いっ」  瀬谷からの期待を込めた眼差しを受ける。  そんなことだろうなと思っていた。瀬谷の目的は、諒大を歓迎会の場に呼んで、諒大とお近づきになることなのだろう。颯が来ても来なくても、諒大さえいれば颯に用はないということだ。 「むっ、無理です!」 「そんなこと言わないで、声をかけるだけ、室長に聞くだけでいいから」 「うーっ……」  諒大だって嫌に決まっている。諒大は多忙だろうから、宴会調理課の飲み会にいちいち顔を出している暇なんてないと思う。 「だって室長の連絡先知ってるなんて、すごいことだから! 室長は誰が聞いても教えてくれないって有名なのに」 「そっ、そうなんですか……?」  知らなかった。向こうから積極的に教えてきたから、諒大は社交的なタイプで、友だち千人みたいな感じだと思っていた。 「ね! 聞いてみるだけ! 西宮室長は未来の社長さん。これからどんどん遠くに行っちゃう人なんだから!」 「僕なんかが声をかけてもどうせ断られますよ……」  何度断ってもしつこく諒大を誘うように言われてしまい、「期待しないでくださいね」と仕方なしに瀬谷からの頼みに頷いた。そうしないと、いつまで経っても瀬谷が颯のことを解放してもらえないからだ。  颯は諒大に連絡する気などない。諒大に迷惑はかけたくないから、連絡して断られたことにしてしまおうと考えた。

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