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第14話

 約束の時間から少し遅れてしまい、仕事の休憩の時間になった。  急いで颯は通路に向かうが、そこに佐江の姿はなかった。 (僕が遅れちゃったからかな……)  スマホの時計を見ると十四時四十分とある。約束の時間に颯が来なかったから、忙しい佐江は宴会場に戻ってしまったのかもしれない。  颯の格好は薄汚れたコックコートだ。アルバイトの颯に当てがわれたコックコートは誰かの使い古しで、洗い場にいるぶんには構わないが、宴会場に出ていくには憚れる格好だ。  ここでずっと待っていても埒があかない。コソッと覗いてみるだけだと、颯は宴会場への扉を開く。  宴会場に人気はない。ただし会場は煌びやかに同じトーンでコーディネートされている。 「うわぁ……」  シャンパンゴールドを基調とした色合いの会場には、白い花々が壇上や各テーブルにふんだんに飾られている。落ち着いたダークブルーのテーブルクロスの上に、よく磨かれた絢爛な食器とグラスが光を反射してキラキラと光っている。これはウェディングパーティーのための設えのようだ。  そうだ。今日はホテル主催のブライダルフェアが行われている。ここは、そのために式場コーディネートの例として飾られた部屋なのだろう。 「すごく綺麗だなぁ……」  結婚式なんて颯には夢のまた夢。人と話をするのもやっとなのに、こんな自分と人生を共にしたいと思う稀有な人はいないだろう。  ここには颯の他には誰もいない、と思っていた。でもよく見たら、部屋の隅に男の子がひとりしゃがみ込んでいる。  十歳くらいの男の子だろうか。襟付きの白いシャツにきちんとしたズボンをはいて、よそ行きの格好をしている。もしかしたら親戚の結婚式に親とともに参列していて、迷子になったのかもしれない。  男の子を見て、ハッと颯は巻き戻り前のことを思い出した。  この子には、巻き戻り前にも会ったことがある。  シチュエーションは少し異なる。巻き戻り前はホテルの廊下で出会った。男の子は、母親らしき女性に腕を掴まれて無理矢理歩かされていた。  その姿に違和感を覚えたが、あのときの自分は話しかける勇気もなくて、結局何もしなかった。  そんなことがあったあと、どうして何もしなかったのだろうと後になって後悔したが、その後、すれ違っただけの男の子には一度も会わなかった。  男の子がすがるような目でこちらを見ていた一瞬の表情を、今でも覚えている。  あのときの後悔を、二度としたくない。  せっかく巻き戻れたのだ。今度こそ後悔のないよう人生を過ごしたい。  颯はおもむろに男の子に近づいていく。 「君、どうしたの? もしかしてお父さんとお母さんとはぐれちゃった……?」  颯が声をかけても男の子は怯えている様子だ。一瞬だけ確認するようにチラッと颯を見たが、すぐにまたうつむいてしまった。 (昔の僕を見てるみたいだ……)  颯は大人に話しかけられると、怖くて恥ずかしくてなんの反応もできなかった。でも心の中は『どうしよう、何か喋らないと!』でいっぱいで、自分的には大パニックになっている。  あのときの自分がどうしてほしかったのかと考える。  この男の子も颯と同じく、颯に話しかけられて心の中が大パニックを起こしているに違いない。返事をするまでに人の何倍も時間がかかるから、「早くしなさい!」「人の話聞いてるの⁉︎」と怒鳴らずにゆっくり待っていてほしかった。  颯は何も言わずに男の子の隣にしゃがみ込む。  じっと静かに返事を待った。すると男の子はゆっくり口を開く。 「お、うちに帰りたい……」 「おうちに帰りたい?」  どういうことだろうと颯は逡巡する。披露宴会場にいるのが疲れてしまった、ということなのだろうか。 「立てる? とりあえずここを出て、お父さんとお母さんのところに行こうか」  颯が促すと、男の子はゆっくりと立ち上がり、颯の腕に縋るようにしがみついてきた。  その様子もかつての自分と重なる。悪いことをして、施設のお仕置き部屋に閉じ込められるとき、あの永遠に続くような暗闇の中に連れて行かれるのが怖くて、誰でもいいから縋りつきたくて仕方がなかった。  男の子を連れて会場を出たとき、血相を変えてこちらに向かってくる中年の女性がいた。  その女性の姿を見た途端、男の子の身体がガタガタと震え始めた。その様子に、颯は違和感を覚える。 「ちょっと! 衣緒(いお)になんてことするの! 触らないで!」  女性はものすごい剣幕で颯に迫り、颯を汚いものを見るかのような目で見る。 「お母さん……」  母親と思われる女性に腕を掴まれて、引き戻されても、衣緒は抵抗はしない。暗い顔でうつむいたままだ。 「ホテルの従業員が子どもを誘拐するなんて、どうかしてるわよ! 訴えてやる!」 「えっ……! あの、僕、そんなことしてない……」

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