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第15話
「じゃあこんな子どもがひとりで部屋を飛び出してここまで来たって言うんですかっ? まだ十歳ですよっ? ありえないでしょ!」
女性の勢いに押されて颯は反論できずにオロオロするばかり。
「この子を誘拐して身代金を要求しようとしたんですか? それとも誰かに頼まれたのっ? 白状しなさいよ、何が目的? 誰に頼まれたのっ?」
「あ、えっ、その……」
颯の手が震える。怖い。怖くてたまらない。誰かに怒鳴られるのは苦手だ。怒鳴られたり、叱られたりすることに、颯は過剰に怯えてしまう。これは幼少のころからのトラウマが影響していると医者に言われたことがある。
女性のあとから黒いスーツ姿の男がふたりやってきた。どうやら女性の味方のようで、「こいつを捕まえて吐き出させてちょうだい!」と男たちに命じた。
男たちはじりじりと颯に迫ってくる。
颯は衣緒を見る。
衣緒は下を向いたまま、女性のそばにいる。衣緒はこの女性のことを「お母さん」と呼んでいたし、あんなに綺麗な格好をさせてもらえるのだから、きっといい暮らしをしているのだろう。
でも颯の心はざわめいている。
衣緒は、行き場のなかった幼いころの颯に似ている。自分をどこか押し殺して、大人の顔色ばかり伺って、息を潜めているように思えるのだ。
衣緒をこのまま帰してしまってはいけない、と思った。
もちろん証拠はないし、颯の勘違いかもしれない。でも、衣緒の声にならない悲鳴が、颯には聞こえた気がした。
颯は駆け出した。そして衣緒の手を取り再び走り出す。
衣緒は大人の颯と遜色がないくらいに足が速かった。広い、長い廊下を抜けて、颯は衣緒とともにSTAFFONLYと書かれた扉を目指す。
「ふざけるなっ!」
それでも屈強な男ふたりにあっという間に追いつかれて、蹴っ飛ばされる。驚いたのは蹴られたのは颯だけじゃないということだ。衣緒まで蹴っ飛ばされ、ふたりは絨毯敷の床に転ばされた。
颯は咄嗟に衣緒を懐 に庇う。自分は蹴られたって殴られたっていい。でも、衣緒だけは守ってやりたかった。
衣緒の姿が、幼いころの自分と重なる。衣緒は今までに普通の子どもより多く傷ついてきたのではないか。十歳にしてすでに衣緒の心は破裂しそうなくらい、たくさんの痛みを抱えているのではないか。それなのにこれ以上この子を傷つけたくない。
「こら、子どもを離せっ!」
顔を殴られ、背中を蹴られても、颯は衣緒を庇ったまま動かない。衣緒から引き剥がされそうになっても必死で耐える。
颯は戦えない。人を殴ったこともないし、ケンカもしたことがない。
でも、このままでは結局、衣緒を連れてかれてしまう。この状況から抜け出さなければと、颯は蹴飛ばされながら必死で考える。
「お客さまっ! どうなさいましたかっ?」
女性の声がした。その声と同時に、颯への暴力が止んだ。
「わたくしどもに不手際がございましたかっ?」
「そうだよ、お前んとこの従業員頭おかしいんじゃねぇの? こんな奴さっさとクビにしろ」
「お客さまに不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ございませんでした。私、佐江と申します。私が責任を持って対応させていただきますので。それで、どのような不手際を……」
佐江という名前に颯はピクリと反応し、衣緒を抱えたままゆっくりと声の主を見る。
ダークグレーのテーラードジャケットとAラインスカートをきっちり着こなした佐江は、女性と男たちに向かって物腰柔らかに、だが毅然とした態度で対応している。
佐江の姿を見てかっこいいと思った。トラブル現場に物怖じしないで飛び込んでくるところも、きっぱりと謝れるところも、自分の名を名乗って責任を取ると言い切るところも。
こんなオメガもいるんだな、と颯は感心した。
「そいつが俺たちの邪魔をすんだよ! さっさと消えろ、クズが!」
男に罵倒を浴びせられ、颯は震え上がる。人の怒鳴り声に慣れることはない。心無い言葉は、いくらでも颯の心を引き裂いて、傷つける。
「誠に申し訳ございませんでした。きちんと教育いたします。七瀬さん。あなたからお客さまにきちんと事情を説明して」
佐江は颯に立つように促してきた。颯はあちこち痛む身体でよろめきながらも立ち上がる。
「ほら、衣緒っ、お母さんのところにいらっしゃい!」
衣緒の母親が衣緒を呼ぶ。衣緒は立ち上がったが、颯の背後に隠れるようにして、その場から動かない。
(やっぱりこの親子には何かあるんだ)
衣緒をいかせたくない。でも、証拠がない。この第六感のような曖昧な感覚を、どうやったら佐江にうまく伝えられるだろう。なんとかして衣緒を助けてやりたいのに。
「七瀬さん、こんなことをしたのには理由があるんでしょう? 私も一緒に謝りますから、お客さまに説明して謝りましょう」
「あ、の……」
声がかすれる。心臓が破裂しそうだ。それでも言わなくちゃいけない。
「あの……っ!」
声が震える。腹の底から声を出そうと思っているのに、大きな声が出ない。
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