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第33話 ヒートになりたくない
新人歓迎会の次の日、颯は遅番だったため、出勤前に本社ビル一階のエントランスで諒大が現れるのを待っていた。
手には紙袋に入れたクリーニング済みの諒大のジャケットがある。これを諒大に返したくて、『いつか都合のいいときに会えませんか』と諒大に今朝連絡したら、即座に『今日会いたい』と返事が返ってきたのだ。
今は十二時過ぎで、ちょうどお昼休みなのだろう。本社ビルのエレベーターホールから、スーツをばっちり着こなした人たちがゾロゾロ出てきて、忙しなく歩いていく。
量産型のTシャツにチノパン、何年も着続けている黒のシャツジャケットの格好の颯は、ちょっとだけ浮いている。被害妄想かもしれないが、周囲が『あいつ誰?』的な視線を向けてきている気がしてならない。
遠くにあるエレベーターホールのあたりがざわついた。颯が視線を向けると、社員たちが次々と「室長、お疲れ様ですっ」と頭を下げている。
その人だかりを抜けて、急ぎ足で諒大が一直線にこちらに向かってくる。
「昨日は、迷惑をかけて本当にすみませんでしたっ!」
諒大が直角九十度の姿勢で、広いエントランスに響くんじゃないかと思うくらい、大きな声で謝ってきた。
それに驚いたのは颯だけじゃない。周りにいた社員たちも、次期社長の諒大がこんなにも低姿勢で謝る姿にザワザワしている。しかも諒大が謝っている相手は、みすぼらしい見た目の颯だ。
「りょ、諒大さんてば! そんなに謝らないでっ」
「いいえ、昨日の俺がしたことは最低だ。俺が酔い潰れてどうする! しかも颯さんの手をわずらわせてしまいました。本当に、本っ当ーっに! 申し訳ありませんでした!」
諒大が大袈裟に謝るから、その場にいた社員が何事かと遠巻きにこちらの様子を伺っている。
「だ、だめっ。諒大さ……室長っ! これ以上謝らないでくださいっ。昨日のこと、僕はまったく気にしていません。だから、は、恥ずかしいからやめて……っ!」
颯が諒大の頭を必死で上げさせると、諒大は「俺を許してくれるんですか?」とキラキラと期待に満ちたワンコみたいな目で、颯を見つめてくる。
「許します、というより室長は謝るようなことはしていませんよ? こちらこそ、体調があまり良くなかったのに、課の飲み会にわざわざ参加してくれてありがとうございました」
颯もペコリと諒大に頭を下げる。
「ありがとうございます、颯さん。今朝、目が覚めたとき、これであなたとの関係が終わったと思いました。颯さんに『ボディガードにもならない情けない男は嫌いだ』と言われて会ってもらえなくなるんじゃないかって不安だったから、今日メールをもらって本当に嬉しかったです」
弱々しく微笑む諒大が、いじらしいと思う。諒大の、アルファなのに謙虚なところに、颯は好感を持っている。
「あ、あのこれっ、お借りしてたジャケット、ありがとうございました……」
「わざわざクリーニングまで? こんなに気を遣う必要なんてないのに、すみません。そうだ、颯さん、お昼食べました?」
「ま、だですけど……」
「やった! じゃあ、クリーニングのお礼にお昼ご飯、ご馳走させてくださいっ」
「えっ、申し訳ないですっ」
「このビルの一階のカフェ、食事もおいしいですよ?」
諒大が指差すのは、すぐそこにあるカフェだ。オシャレな雰囲気で、ランチメニューもおいしそうだが、当然店の中にはカナハリゾートの社員らしき人ばかりが座っている。そんなところに諒大とふたりでいたらめちゃくちゃ注目されるに違いない。
(でも、お腹空いたな……)
お昼は、コンビニおにぎりをひとつだけ買って食べようと思っていた。以前は二個買っていたが、最近値上げでいろいろ高くなったからひとつに減らすことにしている。
でも諒大に奢ってもらえたら、おいしいランチメニューを食べて、お腹いっぱいになれることだろう。
「人目が気になるなら室長室に来ますか? このカフェのメニューは、テイクアウトもできます」
「えっ! カ、カフェがいいです!」
室長室なんかに連れて行かれたら、それこそ目立ってしまう。颯はふるふると頭を横に振った。
「わかりました。行きましょう、颯さん。お仕事の時間まで、俺に付き合ってください」
諒大ににっこりと微笑まれ、まるでプリンセスかのように腰を抱かれてエスコートされ、ドキドキが止まらない。
(みんなが見てるのに!)
諒大は人たらしなのだろうか。こんなみすぼらしいオメガにまで優しくするから、周りが驚いている。
でも颯は下を向き、諒大に気づかれないように、こそっと笑顔になる。本音は諒大にランチに誘われて嬉しく思っている。
ジャケットを返してはい終わりじゃなくて、少しだけ諒大と話がしたいと願っていたから。
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