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第37話

 嘘だ。嘘だ。嘘だ。  これは勘違いだと思いたい。  仕事中、なんか身体が熱くて頭がボーッとするなと感じていた。とにかく緊急用に持っていたオメガの抑制剤を飲み込んでその場をしのぐ。だが仕事が終わった途端に安堵したせいか、ロッカールームで着替えている最中に動悸が激しくなって、うずくまってしまった。  ここでじっとしているわけにはいかない。ふらつく身体にムチを打ってでも、今のうちに人のいないところへ行かなければ。 (これ、たぶん、ヒートだ。ヒートが来る……)  出来損ないオメガの颯は、ヒートの周期は不安定、しかも抑制剤もうまく作用しなくてたびたびヒートを起こしている。  薬を飲んでしっかり体調を整えているオメガが多いので、今どき公衆の面前でヒートを起こすオメガは少なくなっている。だから街中でヒートを起こしているオメガに対して、世間は「自己管理がなってない」「マナー違反」という蔑んだ視線を向けてくるのだ。  ヒートではないオメガに性的暴行を加えてはならないが、ヒート中のオメガを襲うのは問題にならない。オメガのフェロモンに巻き込まれただけという理論がまかり通るので、たとえ裁判を起こしても両成敗、むしろ誘ったオメガが不利な判決が下ることが多い。 (どうしよう……早く、どこかに閉じこまらなくちゃ……)  こんな状態で電車には乗れない。ヒートを起こしたオメガ専用タクシーを呼ぶアプリを開いたが、『近くに配車できるタクシーはいません』の残酷な文字。 「七瀬、さん……?」  岸屋がうずくまる颯に不安げな声で話しかけてきた。 「あ、ごめんっ、ちょっと疲れちゃって。なんでもないよっ」  颯は無理して立ち上がり、あははと引きつった笑顔を岸屋に向ける。まさかヒートを起こしそうだなんてバレたら大変だ。 「まさか、ヒート……ですか?」 「えっ!」 (秒でバレてるっ!) 「七瀬さん、早く逃げましょう。俺にできることがあればお手伝いします」  岸屋は小声で囁いたあと、颯の脱いだ服を畳んで支度を手伝ってくれた。 「ごめん……ありがとう、岸屋くん」 「いいえ。さぁ、早くっ。俺が荷物持ちます!」  急いで支度を済ませた颯は、岸屋に助けられながら従業員出入り口を出た。時々ふらついては岸屋に身体を支えられながら、なるべく人気のない通りを選んで歩いていく。 「七瀬さん、とりあえず俺んちに来てください。ちょっと距離ありますけど、ここから歩いて行けます!」 「えっ、悪いよ、そんなこと」 「じゃあ他にどこに行くんですかっ? 七瀬さん、今の自分がどんな状態かわからないんですかっ?」 「状態……?」  岸屋に指摘されて、自分の体調を考えてみる。身体は汗ばむくらいに熱い。そのせいで少し呼吸が乱れて荒くなっている。フラフラはするが、まだなんとか自分の足では歩ける。 「すごい……俺、オメガのヒートって間近で初めて見ました。そんな色っぽい顔して……ベータの俺でもやばい気持ちになるんだから、こんなときにアルファに出会ったら——」 「颯さん」  岸屋の言葉を遮って、ふたりの目の前に現れたのは諒大だ。

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