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第38話

「あれ……なんで諒大さんがここに……?」  颯は、ハァハァと息を切らしながら諒大に問いかける。だって諒大がこんなところにいるはずがない。一瞬、ヒートのせいで起きた幻覚かと思ったくらいだ。 「昼間、颯さんのフェロモンがいつもと違うなと思いました。やっぱりそうだ。ヒートの前触れだったんですね」  諒大は昼間に会ったときに颯に鼻を寄せ、やたらと匂いを感じ取ろうとしていた。あのとき諒大は、颯自身すら気づかないオメガの身体の異変に気がついていたのだ。 「迎えに来てよかった。颯さん、俺が安全なところへお連れします」 「安全な、ところ……?」 「はい。俺のマンションへ。食事も身体を休めるところも、あなたのことは俺が全部面倒をみます。決してひどいことはしないと約束します。どうか俺を頼ってください」  諒大は優しい手を差し出してきた。差し出された手を見た途端、颯は思い出した。 (このシーン、巻き戻り前に見たことがある!)  二度目のデートのあとだ。今と同じようなシチュエーションで諒大が迎えに来てくれたことがあった。  巻き戻り前は、諒大とすでに恋人関係だった。颯は助かったと思いながら、諒大の手を取った。それから諒大と散々交わって、甲斐甲斐しく世話をされ、濃密な時間を諒大と過ごした。  そのとき、アルファの恋人がいるオメガは、なんて幸せなんだと心から思った。  苦しい地獄のようなヒート期間のはずなのに、諒大がそばにいてくれたおかげで何も辛くなかった。  湧きあがる身体の熱は、諒大が何度も抱いて発散させてくれる。それが普段のヒート期間の苦しみが嘘みたいに極上の快感で、気持ちがよくて何度も何度も達した。  食事の世話も、入浴だって諒大がすべて世話をしてくれた。あのとき、どれだけ諒大に感謝をしたことか。  でも、今は諒大に頼ってはいけない。  ヒートのときに抱かれて、間違ってうなじを噛まれたりしたらどうなる?  番になってしまったあと、諒大に捨てられることになるのだ。番に捨てられたオメガの末路は往々にして決まっている。番に愛されたいと心と身体が悲鳴を上げて、他の誰とも性交ができなくなるから、ヒートのたびに地獄の苦しみを味わい、結局は心身共に弱ってのたれ死ぬことになる。  それも嫌だが、一番の心配は諒大だ。  諒大は優しい。  ラットになって誤って颯を番にしてしまったら、諒大は佐江のことを諦めて颯と結婚するなんて言い出すんじゃないだろうか。  事故番結婚なんて呼ばれて、恥ずかしい思いをするのは諒大だ。  お金持ちの社交界でも、事故番の颯なんかが諒大の隣にいたら、諒大は『その辺のオメガにもすぐに手を出す卑しい男』だと勘違いされる。『ヤンチャな下半身のせいで、ブサイクな嫁を連れてる残念な御曹司』だと笑われる。  そんなことは絶対にダメだ。  お互いの明るい未来のために、諒大とは決別しなければならない。  ——さよなら、僕の運命。 「諒大さん、帰って」  颯は首を横に振り、諒大から差し伸べられた手を静かに下げさせる。  諒大の手を押し戻しているあいだも、諒大からの抵抗はなかった。何も言わず、ただ颯のすることを受け入れていた。  颯は岸屋に視線を向ける。 「岸屋くん。僕を岸屋くんちに連れてって……」  颯は岸屋の肩にそっと寄りかかる。 「えっ? それでいいのっ? だって室長……それって、七瀬さんどういう意味……あっ!」  突然ふらついた颯の身体を岸屋が抱き止めてくれた。 「助けて……岸屋くん……」  諒大には頼れない。でも、ひとりでは何もできない。今、頼ることができるのは岸屋だけだ。 「やばいやばいっ。大丈夫、じゃないですよね七瀬さんっ。あ、あの室長、すみません、余裕無いんでお先に失礼しますっ! お疲れ様でした!」  岸屋は「七瀬さん歩けますかっ?」と颯を気遣いながら歩き出した。  岸屋に支えられながら、最後に颯が振り返ったとき、諒大は追ってくることもなく、その場に立ち尽くしていた。  夜の街灯だけでは諒大の表情は見えなかった。諒大が呆れていたのか、悲しいと思っていたのか、安堵していたのか、諒大の気持ちはまったくわからなかった。

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