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第51話

 久しぶりのアルバイトも無事に終わり、ほっと胸を撫で下ろしつつ、帰り支度をする。  ヒート後もつつがなく仕事を終えることができて、白い目で見られることもなかった。明日からもいつもどおりにこの仕事を続けられそうだ。  でも、ロッカールームの人たちがザワザワしている。何かあったのかと思い、様子を伺うと「西宮室長が公開プロポーズ」という単語が颯の耳に飛び込んできた。  まさか、と思った。  気になって仕方がない。気がついたら颯も、野次馬たちがバタバタとどこかへ走っていくあとを追いかけていた。  従業員通用口からホテル側へと出る。そこで見たのは、天井高のロビーにある、大きな木のオブジェの前、目立つ場所にいる諒大と佐江の姿。  ラグジュアリーホテルの煌びやかなロビーの中央で、まるでドラマのワンシーンかのような美男美女のふたりが、お互いを見つめるように向かい合っている。  諒大と佐江は何か話をしているようだが、颯のいる場所からはその内容は聞こえない。  会話が聞きたくて、颯はさらに近づいていく。  ふたりの周りに人だかりができているのをいいことに、颯はひっそりと近づき野次馬の中ひとりと(まぎ)れ込んだ。  諒大がスーツのポケットから何かを取り出した。  濃紺のベルベット製の小さなケースか出てきた。誰がどう見ても、そこには指輪が収められているだろうと思うケースだ。 (あの指輪のケース、見たことがある……!)  そこでやっと思い出した。今日は巻き戻り前、颯が諒大にプロポーズされた日だ。  巻き戻り前の今日、諒大と三度目のデートをした。  颯のアルバイト終わりに諒大が迎えに来てくれて、「颯さんを連れて行きたい場所があるんです」とホテルのチャペルに連れて行かれた。  ふたりきりのチャペルで、諒大がスーツのポケットから取り出したのがあの濃紺のベルベット製のリングケースだ。  そこでプロポーズされ、婚約指輪をもらった。巻き戻り前の颯はもちろん、諒大のプロポーズに「はい」と頷いてみせた。  あのときの感動は、今でも忘れられない。 「佐江」  諒大は濃紺のリングケースを開けて、佐江に見せる。  その瞬間、周りからわあっと感嘆の声が上がった。  公衆の面前でこんなことをするなんて、まるでフラッシュモブプロポーズみたいだ。 「結婚を前提に、俺と付き合ってください」  諒大は周囲に聞こえるような声量ではっきりと言った。  周りはヒューヒューと(はや)し声をあげ、大盛り上がりだ。「やっぱり西宮室長が好きなのはあの子だったんだ」「まだ付き合ってなかったのっ?」などといろんな声が聞こえる。  運命が変わった。  巻き戻り前は、今日、諒大にプロポーズされたのは颯だった。  でも、今は佐江が諒大にプロポーズされている。  これは、巻き戻った颯が諒大を避け続けてきた結果だ。  諒大の度重なるアピールから逃げて、誤魔化して、ときには諒大を思い切り拒絶した。  それでも追いかけてきてくれた諒大に対して颯が最後に放った言葉は「もう追って来ないで」だ。  ヒートの世話までしてやったのに、あそこまで言われて諒大がまだ颯を好きでいるはずがない。  諒大は、いくら愛情を注いでも応えてくれない薄情な運命の番ではなく、公私ともに自分を支えてくれる献身的な幼馴染のオメガを選んだのだ。 (これが、僕が望んだ結末……)  颯の目から一粒の涙が溢れた。  諒大に捨てられるのが怖くて、颯は最初から逃げた。  自分なんか諒大に相応しくないと、何の努力もせずに諦めた。  ——室長って七瀬さんのこと好き、なんじゃないですかね……?  ふと岸屋の言葉を思い出す。  諒大の颯に対する態度は、本当に運命の番だから本能で惹かれてしまっていただけ? 『早く俺を好きになって』 『このまま時間が止まってしまえばいいのにな』 『絶対に噛まない。だから俺に身体を委ねてください』  諒大の言葉も行動も、佐江が好きだったのに嫌々、颯に惹かれてしまっていたもの?

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