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第52話
(違う、かもしれない……)
最初こそ、運命の番として惹かれ合ったのかもしれない。でも、それはただのきっかけに過ぎなくて、颯は運命なんて関係なしに諒大に惹かれたと思う。
諒大だってそうだったのではないか。本当に、心から颯のことを想ってくれていたのではないだろうか。
諒大が颯のヒートに当てられてラット状態になったとき、諒大は颯を襲わなかった。
諒大は相当苦しかったはずだ。それでもうなじを噛まなかったのは、颯を思い遣ってくれたからだ。あの精神力と強い気持ちは生半可なものじゃない。あんなことができる人が、運命の番なんかに流されるものなのだろうか。
(どうして僕は、諒大さんとの未来を考えなかったんだろう)
巻き戻った颯には、未来を変えることができた。
自分が変われば、衣緒を道を誤った母親から守ってあげることができた。
颯から自ら手を伸ばせば、諒大はいつだって気持ちを返してくれた。「行っちゃやだ」と言えば、諒大は目の前に現れてくれたし、ヒートの身体を強姦されそうになって諒大が助けに来てくれたときも、颯が諒大の胸に飛び込めば、諒大はその温かい手で颯の身体を包み込んでくれた。
せっかく巻き戻ることができたのに、どうして今度こそは婚約破棄されないぞと、諒大に愛されるための努力をしなかったのだろう。
(僕を不幸にしてるのは僕だったんだ)
オメガだから、身寄りがないから、愛されたことがないから無理だと自分で自分という人間を枠にあてはめ、決めつけていた。
なんの能力もないんだから、どうせ夢は叶わない、どうせ誰からも好かれないと、何かを始める前から自分の運命を不幸に導いていたのは颯自身だ。
せっかく時を巻き戻っても、自分自身が変わらなければ、不幸なままだ。
手に入る前から諦めて、目の前のことから逃げて、努力もしない。そんな自分自身を改めなければ幸せになれるはずがない。
巻き戻り前、諒大と過ごした時間は何にも代えられない、かけがえのない三ヶ月だった。
再び諒大に婚約破棄されるとしても、精一杯努力をして、諒大の隣にいられる自分になろうとすべきだったのではないか。
(僕、失敗しちゃった……)
諒大を失ってから、やっと気がついた。
片想いなんかじゃいられない。颯の人生には諒大が必要だった。
環境や性格のせいにして、諒大の幸せのためだと言い聞かせて、優しい諒大を冷たく突き放して何がよかった?
運命を諦めないで、自分から引き寄せて自らの手で掴まなければいけなかったのに。
(もう一度、巻き戻りたい……)
諒大と出会ったあの日に巻き戻ることができたなら。
もう一度やり直すことができたなら、今度こそ諒大を愛したい。諒大とふたりで幸せになる未来を目指して、諒大の隣に並べるように精一杯努力をしたい。
隣に諒大がいない未来なんて嫌だ。
(諒大さん……!)
颯が人ごみから一歩、大きく前に足を踏み出したときだった。
バッシーン!!
佐江が、諒大の頬に強烈な平手打ちを食らわせた。
天井高のホテルのロビーに、佐江の容赦ない平手打ちの盛大な音が響いた。
佐江が嬉し泣きをして、諒大のプロポーズを受けるシーンを想像していた野次馬たちは、意外な展開に言葉を失った。みんな何が起きたのか、理解ができずにいるようだ。
「お断りします。諒大は恋愛対象じゃないから。あんたと結婚なんてするわけないでしょ」
佐江の言葉に周囲がザワザワし始めた。みんなこれはどういうことなのかと思っているのだろう。まさかホテル御曹司の諒大が振られるとは信じられない。
「そっか……。ごめん、佐江」
うなだれた諒大は、リングケースを右手に握りしめ、佐江に叩かれた頬を左手で押さえている。かなり派手な音がしたから、本気で痛かったのではないだろうか。
「謝んないでよ……」
さっきまでキラキラと輝いているように見えた諒大と佐江のあいだに険悪な雰囲気が漂う。
「こんな人前で恥ずかしい。私、もう行くね!」
佐江は野次馬の隙間を抜け、ハイヒールを鳴らしてホテルの正面入り口から出て行った。
「皆さん、お騒がせいたしました。みっともないところをお見せして、すみません……」
諒大は、集まった野次馬たちに全方位お辞儀をしてみせる。
佐江に振られて惨めな姿を披露してしまったのに、何度も何度も頭を下げる諒大の姿はとても痛々しい。
「室長ドンマイ!」
「室長、元気出せー!」
「オメガは他にもいますよー!」
誰かが諒大を励ますような言葉を投げかける。それに対して「ありがとうございます」と力無く、でも誠実に応える諒大。
(あっ……)
勇み足で人混みから一歩前に飛び出していた颯は、諒大と目が合った。
諒大は颯の存在に驚いたのか、一瞬ハッとした顔をしたが、すぐに視線をそらし、「失礼します」とその場を離れていった。
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