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第53話 巻き戻りのオメガ
衝撃的すぎた。
諒大が佐江にプロポーズをしたことも、そのあと佐江に振られたことも、あのときの瞬間が目に焼きついて忘れられない。
佐江は、諒大のことを好きだと思っていた。嫌いなら、幼馴染とはいえ職場まで一緒の場所を選ぶことなどないだろうから。
それに佐江は諒大のマンションを訪れたとき「いつものキスして」発言までしていたのに。
(諒大さんが、振られた……)
信じられないが、あれだけの人たちが見ていたのだから間違いない。諒大は佐江に交際を迫り、見事に振られたのだ。
(僕は諒大さんが好き。諒大さんは佐江さんが好き、佐江さんは別の人が好き……)
頭の中に一方通行の関係性が浮かんでは、どうしたらいいのかと考える。考えても考えても想いは一方通行のままで、颯は自分が何をすればいいのかわからない。こんな結末になるとは思いもしなかったから、考えが及ばない。
颯は、カナハホテル近くの海沿いのショッピングモールに向かっていた。いつか諒大とふたりで夜の風に吹かれながら歩いた、長い長いオープンデッキを歩いている。
やがて階段が見えてきた。あの階段が、巻き戻り前も、巻き戻り後も、諒大と初めて出会った場所だ。
(結構、高さがあったんだ……)
オープンデッキは、ショッピングモール三階部分にある。階段は砂浜まで降りられるようになっているので、ここから転げ落ちるとビルの三階の高さから地上まで落ちていくことになる。
「わっ!」
強い風が吹き、颯は思わず階段の手すりを握った。
長い階段だと思うが、普段なら怖いとは思わない。でも今はここから転げ落ちることを考えているから、どうしても恐怖心に襲われる。
(ここから落ちれば、巻き戻れるかもしれない)
一度成功したからと言って、もう一度巻き戻れるとは限らない。
そうとわかっているのに、気がついたらここまで来てしまった。
もし再び巻き戻ることができたなら。
今度こそは諒大のことを全力で好きになる。この手で、自ら幸せを掴んでみせる。
(行け! 勇気を出して飛び込め、早くっ!)
一生懸命、自分を奮い立たせる。足をそろそろと前に出して、片方だけは宙に浮かせることに成功した。
でもそれ以上は無理だ。身体がどうしても動かない。
(やっぱ無理っ! だって大怪我しちゃうかもしれないし……)
巻き戻る保証もないのに、こんな怖いところから飛び込むことなんてできない。
諒大とやり直したい気持ちはもちろんある。でも、さすがに飛び込む勇気が持てない。
「颯さん。まさか時を巻き戻ろうとしているんですか?」
「そんなわけ……えっ?」
颯が振り返ると、諒大が立っている。ここに諒大がいることにも驚いたし、なによりも諒大のさっきの発言はどういうことだと颯は思考を巡らせる。
「とりあえずその場を離れてください。颯さんに何かあったら俺は生きていけません」
諒大は颯の腕を掴んで階段から離れた場所へと引っ張っていく。
「ねぇ、諒大さんっ、さっきの……時を巻き戻るって、どういうこと……?」
颯は時を巻き戻っていることは、誰にも話していない。そのことを匂わせるようなことも言ったことはないし、諒大は知り得ないはずだ。
諒大は立ち止まり、掴んでいた颯の腕を離してこちらを振り返った。
諒大は意味深な笑みを浮かべる。
「ここまで言ったら、やっと俺と話をする気になりました? 巻き戻りのオメガさん」
諒大の何もかもを見透かしたような顔。間違いなく、諒大は何かを知っている。
「ど、うしてそれを……?」
「お話ししますよ。その代わり、俺とふたりきりになってもらいます。誰にも聞かれたくない話なので。俺はこう見えて警戒心は人一倍強いんです。それでもいいですか?」
諒大に言われて颯は頷く。諒大がなぜ巻き戻りのことを知っていたのか気になるし、颯は気づいたからだ。諒大がいないと生きていけないということに。
巻き戻らなくても諒大は目の前にいる。
颯が生きているのは今だ。
今、ここに生きて、自らの両足で立っている。
幸い颯の足は健康で、自分が望めばどこにでも行ける。
今度はこの足で、颯が諒大を追いかける番だ。たとえ諒大に突き放されたって、この手でしがみついてみせる。
「諒大さん。話して。僕も、諒大さんに話したいことがある。諒大さんに伝えたいことがあるんだ」
颯が諒大を見上げると、強い風が吹いた。颯の黒色の髪は大きく揺らぎ、目の前を覆うが、そんなことには颯は構わない。ただ真っ直ぐに諒大を見つめていた。
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