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第67話 未来を変えるために

 諒大と付き合うことになって、二週間後。諒大に「一緒に実家に来てほしい」と頼まれ、颯は了承した。  午後六時に猪戸が颯のアパートまで迎えに来た。諒大の車ではない。ギラギラした黒のロールスロイス・ファントムが迎えに来たので、颯は驚いた。 「颯さん、そんなに緊張しないで大丈夫ですよ。もっとゆったり座ってください」 「あはは……すみません、こういうの慣れなくて」  ロールスロイスの後部座席に乗り、猪戸に送られるのだが、ふわふわすぎる座席も、広々とした足元も落ち着かない。つい背筋は伸びてしまうし、足もぴっちり揃えたくなる。 「室長と社長の予定が合うのが、このタイミングしかありませんでした。おふたりとも大変忙しく、これでも予定を変更しての面会なのです」 「なんか、ごめんなさい……」  カナハリゾートの社長は多忙に決まっている。それでも会いたいと言って一週間後に会えるのは、息子の諒大の頼みだからなのだろう。  颯は一張羅のスーツを着ている。諒大は「恋人として紹介するだけです」と言うが、それでも普段着で行く気になれなかった。  巻き戻り前、婚約するまで両親に颯のことを話さなかった諒大は、巻き戻り後、過去の反省から、早くから恋人として颯を両親に紹介したいらしい。 「いいえ。社長は喜んでいらっしゃいましたよ。室長が恋人を紹介するのは初めてだと仰って」 「え……! 初めてっ?」  諒大ならいくらでも恋人を作ることはできただろうに、今まで誰とも付き合ってこなかったのだろうか。 「室長は、表向きは愛想が良くて社交的ですが、自分の懐には一切、人を寄せつけないところがあります。恋人なんてその最たるものですからね。あの人には一生無理だろう、さっさと社長の選ばれた相手と政略結婚でもすればいいのにと思ってましたが、まさかこんなことになるとは思いませんでした」  はっきりとした猪戸の物言いに驚くが、キツいことをいう割には猪戸の声は明るい。主従関係ではあるけれど、諒大とはなんでも言い合える親友のような仲なのかもしれない。 「山のような縁談をすべて断り続けて、初めて室長ご自身で連れてこられたのが、颯さん、あなたです」 「そっか……そうなんですね。エヘヘ、初めて、かぁ……」  颯がニマニマしていると、猪戸がバックミラーを使ってまで颯の様子を確認してきた。 「とても嬉しそうですね」 「はい。だって諒大さんが、僕のこと本気で考えてくれてたんだなって嬉しくなります。誰にでもああいうことするわけじゃないんだなって、あの、特別感? 諒大さんに『颯さんだけです』とか言われると嬉しくって」  舞い上がってついのろけてしまってから、しまったと気がついた。猪戸の返答がなかったからだ。 「ごっ、ごめんなさい、どうでもいいこと言ってっ。このことは諒大さんには言わないで……調子に乗ってるって嫌われちゃうかも……」  必死で取り繕ったのに、猪戸は無反応だ。猪戸は運転席、颯は後部座席にいるから猪戸の表情はまるでわからない。 「あ! そうだ、猪戸さん恋人いないのに、のろけ話とか嫌ですよね……配慮が足りずにごめんなさい……」  恋人がいない人に対して、恋人自慢をしてはいけない。そうコミュニケーションのハウツー本に書いてあったのに、また失敗してしまった。 「し、猪戸さん……?」  ここまで返事がないなんて、猪戸に嫌われて無視されてしまったのだろうか。 「颯さん」 「あ! はい! とても聞いてますっ!」  よかった。まだ会話はしてくれるみたいだ。 「颯さんは本当に可愛い御方ですね」 「えっ……」 「室長の話を聞いて、嬉しそうに笑っていると思ったら、急に嫌われるかもと泣きそうな顔になり、次は私に対する謝罪ですか。室長の言う『見ていて飽きない』とはこういうことだったんですね」  諒大がそんなことを猪戸に話しているとは思いもしなかった。たしかに諒大はいつも珍獣を見るかのような目で、颯をじーっと見ていることが多い。 「私に恋人がいないって、室長から聞いたんですか?」 「あ! はい……」  猪戸は恋人がいないアルファだから気をつけるようにと、諒大から言われたのだ。そのときに颯は猪戸に相手がいないことを知ってしまった。 「も、もしかして気にされてましたか……? どうしよう、ごめんなさい……諒大さんじゃなくて僕が悪いんです。そういうプライベートなことは知ってても知らないふりしなきゃダメですよね。あの、わ、忘れてください……」  いつもこうだ。人と話すたびに余計なことを言ってしまって失敗する。自分で自分が嫌になる。 「大丈夫ですよ。気にしていません」 「えっ、よかった!」 「はい。事実ですから。私はひとりが好きな訳ではないのですが、無理に恋人を作ろうとは思いません」 「そ、そうですよね……」  猪戸は十分かっこいい。こんなに魅力的なのだから、自分から恋人を作ろうと思えば、すぐにできることだろう。 「颯さんみたいな人なら、恋人にしたいと思いますけどね」  さり気ない猪戸のひと言に、颯の思考が停止する。

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