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第77話
颯も病院で手当を受けた。
擦り傷の他、右手の中指骨折、薬指もヒビが入っていると言われて固定された。
その他は至って問題なし。時を巻き戻ってはいないし、記憶もそのままだ。
諒大の身体はCTなどの検査に連れて行かれたっきりだ。颯は夜の病院の救急外来待合室から少し離れた長ベンチに座り、ただ諒大を待つ。
『おやすみなさい、颯さん。愛してます。大好き』
スマホを耳に近づけて、何度も何度もボイスメッセージを再生させている。
以前はこれだけで心が満足していたのに、今はダメだ。諒大と話がしたくてたまらない。
——時を巻き戻って、颯さんと出会って、本当に楽しい三ヶ月間でした。
(なにあれ、まるで三ヶ月で終わりみたいな言い方……)
誕生日デートの夜、諒大の言っていた言葉が気にかかる。諒大はこのことをわかっていたから、デートを前日にしたのではないか。
——さよなら、颯さん。またいつか会いましょう。
(またいつかって、いつのことなの……。まさか二年九ヶ月後?)
巻き戻れる保証もないのに、そんなに長いあいだ待てるはずがない。
諒大はそれを経験したのだろうが、いざ自分が待つとなったら途方もない長い時間だと思い知る。
「西宮さんのご家族の方ですよね?」
ナース服姿の女性に話しかけられて、颯は「ハイッ!」と立ち上がる。
「病棟まで一緒にいらしてください」
「はいっ! 諒大さんはっ? どうなりましたっ!?」
颯が看護師に身を乗り出すようにして質問したとき、諒大の眠る移動ベッドがガラガラと運ばれてきた。
「諒大さんっ、諒大さんっ!」
諒大に呼びかけても、諒大は目を閉じたまま、状態はわからない。
そのまま看護師と一緒に、個室の病室へと移っていった。
看護師が出ていき、個室で諒大とふたりきりになった。
しんと静まり返る病室。諒大は相変わらず目を覚まさない。
点滴も酸素マスクもない。こうして見ているだけだと諒大はただ眠っているだけみたいに錯覚するほどだ。
「諒大さん……!」
眠った顔を見ているだけで涙が溢れ出してくる。
諒大にかけられた白い布団の下に手を潜り込ませて諒大の手に触れる。諒大の手は温かい。諒大は生きているのに。
「僕、諒大さんがいないと生きていけない……」
すん、すんと鼻をすすりながら涙を流す。
「お願いだから元気になって。なんでもいいから話してください。ひとりで喋ってるだけじゃつまらないです……」
颯が懇願しても諒大からの反応はない。いつもなら笑顔で「颯さんの頼みならなんでも聞きます」と応えてくれるのに。
「うっ……うぅ……っ……」
嗚咽でうまく話せない。
ここからどれだけのあいだ諒大と会話ができなくなる? 会えばいつも優しく抱きしめてくれた手はいつ動くようになる? つまらない冗談も言ってくれない。キスもしてくれない。このままの状態で二年九ヶ月も待てだなんて残酷すぎる。
「よく、おとぎ話で、キスしたら目が覚めるとかあるよね……」
王子様のキスでお姫様が目覚めるとか、その逆とか。そんな話を見たことがある。
「でも、あれはただのお話だもんね……。感染症予防のためにもやめておこう」
キスなんかで病気が治ったら医者はいらない。現代医学において弱った病人にキスするなんて症状を悪化させるだけの行為だ。
「はぁ……」
ため息をついて、ふと諒大の枕元にあるスチール製のキャビネットを見たときに違和感を覚える。
そこには入院同意書が置いてあるのだが、そこに西宮諒大と手書きのサインが添えられているのだ。
(これ、誰がいつ書いたんだろう……)
諒大の両親は今、病院に向かっているはずだ。颯は諒大の家族ではないから同意書にサインすることはできないし、書いていない。
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