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第84話

 諒大は自身のSNSで婚約を発表した。相手は財閥ではなく一般人。男オメガで年齢は三十歳。カナハリゾートのアルバイト社員だとまで公表した。  同時に諒大の父親・将大も息子の婚約を内外に発表した。一ヶ月ほど前に諒大の紹介で婚約者に会ったこと、その婚約者は西宮の家に相応しい人だったと、畏れ多くも、颯のことを認めるような言葉が添えてあった。  それからSNS上で、婚約相手の特定が行われた。身内では颯だとバレバレなのに、ネットの世界では、あることないこと書かれるためかまったく無関係の人の名前があがったり、一般人というのはカモフラージュだと書かれたりしていた。  颯がいつもの汚れたコックコートに身を包み、洗い場に行くと、宴会調理課の人たちが颯の周りに集まってきた。 「これっ! 七瀬さんでしょっ?」  瀬谷がスマホで諒大のSNSのページを颯に突きつけてきた。 「番ってる!」 「そのうなじ、西宮室長に噛まれたのっ!?」  目ざとくベーカリー担当の女の子たちに突っ込まれる。  ヒート明けにうなじに噛み痕なんて、絶対に突っ込まれると思っていた。首元を隠すためにタートルネックを着てきたのに、コックコートに着替えたために、噛み痕が見えてしまったのだ。  アルファの噛み痕が目立たなくなるまで数ヶ月かかる。それまで絆創膏を貼って隠そうかとも考えたが、やめた。颯にはやましいことは何もないから。 「はい……いろいろありまして……」  颯が頷くと「キャーッ!」と歓喜の悲鳴があがった。 「どうやったらあんなすごいアルファと番えるの!? しかも婚約って、室長はひとりっ子だから西宮家の財産が全部手に入るってこと……?」 「室長と結婚したらどうなるのっ?」  瀬谷たちに聞かれて気がついた。諒大のことがただ好きだから結婚することにしたが、あんなすごい立場の人と結婚したらどうなるのだろう。 「わからないです。今のところは諒大さんのご両親に会ったのも一度だけですし、あとは諒大さんとふたりで暮らしてるだけだから……」 「室長と同棲してるの!?」 「あっ! ……はい。僕が右手を怪我してから、なんとなく、流れで……」  しまったと、言ってしまってから後悔する。諒大のマンションにいることをわざわざ言う必要なんてなかったのに。 「羨ましいなぁ。仕事しなくても毎日贅沢して遊んで暮らせるなんて」 「ほんと、ほんと。私もセレブな暮らし、してみたい」 「ぼ、僕はお金と結婚するんじゃなくて、諒大さんと結婚するんですけど……」  颯は小さな声で反論する。諒大がいくら財産を持っていようが颯には関係ない。御曹司でも、そうでなくても、諒大だから好きになったのに。 「七瀬さん、気をつけたほうがいいですよ」  ふっと会話に加わってきたのは岸屋だ。 「室長、二ヶ月くらい前にプロポーズして振られてるんですよ? そのあとこんな短期間に別のオメガと婚約なんてちょっと信用できないな……」 「う、うーん……」  そうだった。諒大は佐江に振られた男だと周囲には思われていたのだ。あれを演技だなんて知らない人たちからすれば、諒大は振られたあと僅か二ヶ月で、さっさと次のオメガにプロポーズする、節操なしのアルファだと思われているに違いない。  でも、諒大が今日、このタイミングで婚約を発表したのはきっと颯のためだ。  颯のうなじにある噛み痕の存在はすぐに見つかる。そうなると、颯はそれを人に説明しなければならなくなる。  そのときに颯が困らないようにと、諒大は先手を打ったのだろう。 「七瀬さん、婚約破棄されるかも……」 「えっ?」 「『プロポーズをなかったことにしてください』とか、室長、言いそうじゃないですか? あの御曹司、振られて寂しかったから七瀬さんにちょっかい出したんじゃないだろうな。やっぱりやめますとか、やりそうだな……庶民を下に見やがって!」 「ま、まさか」  岸屋が当たらずとも遠からずなことを言うので、ドキッとした。  意味合いは違えど、たしかに諒大は巻き戻り前、そのようなことを颯に言った。 「そうなったら俺に話してくださいね! 室長をとっちめてやりますから!」 「あ、はは……気持ちだけ、ありがとう……」  諒大はひどい言われようだ。  でも、諒大が愛情深いことを颯は知っているし、諒大のことは信じている。  諒大は節操なしアルファ。颯は御曹司に嫁ぐお金目当てのオメガ。これからも周囲にいろんなことを言われるだろうが、何があっても諒大と一緒にいる。  この先もずっと颯の気持ちは揺らがない。

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