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第85話

 アルバイトを終えたあと、颯はカナハリゾートの本社ビルへと向かった。  今から諒大と会う約束をしており、本社ビルの一階のハワイアンカフェで待ち合わせをするということになっていた。  諒大に指輪を買いに行こうと誘われたのだ。婚約指輪と、ついでに結婚指輪も買おうと言われて颯も了承した。  諒大が佐江にプロポーズの演技をしたときに使った指輪は、佐江の私物だそうだ。諒大は、あのとき指輪のケースをパカっと開けるくだりをするつもりはなかったようなのだが、佐江にやったほうがいいと勧められ、やることにしたらしい。  颯はもったいないから高価な指輪はいらないと諒大に伝えた。でも、諒大はどうしても颯に指輪を贈りたいらしい。  婚約したとなると、人に指輪の話をされるから、とびきりの指輪を贈らせてほしいと諒大に頼まれた。想いの強さと指輪の値段は関係ないけれど、最低でも百万円以上の指輪を選ぶようにと言われた。良家に生まれた諒大には立場というものがあるのだろう。それを颯のワガママで邪魔はしたくないから颯は指輪を買ってもらうことにした。 「あ……」  颯がカフェに向かっているとき、見覚えのある綺麗な女性が目に入った。  佐江だ。スタイルのいい佐江はストライプのシャツに膝下丈の紺のスカートを履き、見るからにシゴデキ女の雰囲気を醸し出している。  佐江も颯に気がついた。佐江は綺麗な顔を緩ませて微笑み、颯に近づいてきた。 「お久しぶり。本社に用事ですか?」 「えっ? あっ、あの……本社というか、そ、そこのカフェに行こうと思ってて……」 「カフェ? ああ! そうなんですね。……七瀬さん、時間ある? 少し話しません? 飲み物、奢りますから」 「あっ、はい。諒大さんが来るまでなら……」 「やっぱり諒大と待ち合わせかぁ。いいですよ。じゃあ諒大が来るまで! 行きましょっ」  颯は頷き、佐江に従う。  実は颯も佐江のことは気になっていた。諒大は、佐江とはなんでもないと言い切るが、佐江はどう思っているのか、少しだけ聞いてみたいと思っていたからだ。  佐江とふたりで向かい合ってカフェの隅のほうの席に座る。近くには南国っぽいシダ植物の鉢植えが並んでいた。 「七瀬さん。諒大と婚約、おめでとう」  開口一番、佐江に祝いの言葉を言われて颯はハッとする。  そのあたりは、触れちゃいけない話だと思っていたからだ。 「ありがとうございます……。諒大さんから聞きました。佐江さん、諒大さんを振るふりをしてくれたって」 「あれね。諒大ったら変なんだよね。『ひと目のあるところで俺がプロポーズするから振ってくれ』って。そうしないと私が不幸になるって。今でも意味わかんない」 「そ、そうですよね……」  佐江は巻き戻りの事実は知らない。佐江が諒大に捨てられたと悲しい噂を立てられ会社にいられなくなる未来を知らないのだ。 「バカみたい。王子様みたいな顔してプロポーズしてきてさ、あんなの……間違ってオーケーしちゃいそうになる……」  佐江は視線を落とし、きゅっと唇を噛み締めた。  そんな佐江を見て、颯は確信する。やっぱり佐江は諒大に片想いをしていたんだろうと。  颯はなんと言えばいいのかわからない。ごめんなさいも違うし、申し訳ないから諒大を譲るなんてことをしたら颯が生きていけないし、間違っても「可哀想に」なんて言えない。 「諒大は子どもの頃から運命の番に憧れてたからね。七瀬さんに初めて会ったときのことも私に話してくれた。『初めての人種に出会った』って言ってましたよ」 「は、初めてのジンシュ……」  なんか、もっと素敵な感想はなかったのだろうか。颯は仮にも運命の番なのに。 「私もそう思いました」 「エッ!」  佐江にまで言われて軽くショックを受ける。颯としては、ごく普通の貧乏人だと思っていたのに。 「大人しそうに見えるんですけど、男らしいところもあって。いつでも誰にでも一生懸命なのは可愛らしいなって思いました」  佐江に褒められて、なんだかこそばゆい気持ちになる。人に褒められることに颯は慣れていない。 「佐江さんこそ、男らしいです」  颯は真っ直ぐに佐江を見る。 「だって僕と佐江さんだったら、どう見ても佐江さんのほうが素敵な人です。美人だし、仕事もできて、明るくて、ハキハキしてて。僕からしたらなんて言うんだろう……か、輝いて見えます」  佐江にとって颯は、運命の番を理由に諒大をかっさらったオメガだ。その颯に対して、恨みつらみをぶつけることなく認めてくれる、その佐江の心の強さに惚れ惚れする。 「やだなぁ、褒め合いですか」  ケラケラと佐江は笑う。その様子は、どっかの誰かに少しだけ似ているなと思った。 「はぁーあ! 私にも運命の番、現れないかなぁ……。オメガの夢だよね、ある日突然、素敵なアルファが迎えに来てくれるの。『こんなところにいたんですか』って」  ため息混じりに佐江が言ったすぐあとだ。 「こんなところにいたんですか」  ふたりのいたテーブルに、黒スーツの男が近づいてきて声をかけてきた。

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