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第8話

母親を求めて泣いている迷子に先輩が駆け寄っていくのを、ぼうっと見送る。 視線の先で先輩は精一杯柔らかい態度で話しかけている。 普段は無口なくせに。 普段は不愛想なくせに。 なんか嫌だ。そう思って先輩の背中側に近寄って声をかけようとした瞬間。 「っし、こっちこい。」 「…え。」 先輩が迷子を抱き上げるその動きが、スローモーションに見える。 子どもは、苦手だ。 僕にはないものばかりを持っているから。 僕が欲しいものを無償で与えられるから。 視界がセピア色に浸食されていく。 端の方から段々と染まっていくのに抵抗できないでいると、声が聞こえた。 「安達、ティッシュ持ってる?」 「え、ええっと、はい!どうぞ。」 先輩の声に慌てて一枚取り出し手渡す。 一瞬触れた指先に心が浮上するけれど、子どもが先輩の首に腕を回すのが見えて、心臓に釘が刺さった。 「俺は温人(はると)。お前のなまえは?」 「たけし!」 「おー、たけしな。」 子ども相手だからか珍しく名前で呼び合う先輩が、名乗れたことを誉めるようにガシガシと頭を撫でている。 ………撫でている。 母親を探しに行くために歩きだした先輩。 その半歩後ろを無心で追っていると、迷子が右肩越しにひょっこり顔を出した。 「オレたけし。お兄ちゃんなまえは!?」 「…………えっ、あ、」 「なまえ、おしえて!」 あんなに泣いていたのにもうすっかり涙が引っ込んだようで、キラキラと楽し気にこっちを見てくる。 決して嫌いなわけではない。 けれどあの透き通った水のような存在に近づくと汚してしまう気がするから、なるべく離れていたい。 子どもは、苦手なんだ。 「このお兄ちゃんはあだっ、じゃなくて(るい)だ。な。」 「っ!」 先輩が確認するかのようにこちらを見る。 数時間ぶりに僕を見てくれた気がして、やっと世界に色彩が戻ってきた。 名前、覚えてくれてたんだ。 付き合い始めてもずっと安達って呼ばれてたから、忘れてるのかと思ってた。 はじめて、名前で呼ばれた。 緩やかに締め付けられる胸に追い打ちをかけるように、二人は会話を続けていく。 「るい?はるとのおとうと?友だち?」 「んーーーーーー、家族だな。」 「かぞく…。おとうとじゃないのに?」 「それくらい大事にしてる奴ってことだよ。」 何が起きているんだろう。 恥ずかしくて、嬉しくて、只々立ち尽くしてしていると、先を歩いていた二人が振り返る。 「るーいー!」 「るい。置いてくぞ。」 「っ今行きます!!」 今度は、先輩の横に並ぶことができた。

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