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第5話

雪兎と出会ったのはΩの精神病棟 番を無理矢理解消されたΩは、精神的な負担と肉体的な負担から病むことが多い そんな病院でも、特に評判の悪い病院だった 普段なら絶対に近付かない場所のはずなのに、なぜかその日はどうしても行かなければという気持ちになった 病院内には呻き声や言葉にならない叫び声、どこを見ているのかボーっと一点を見つめている人ばかりで、そこに居るだけでも頭がおかしくなりそうになる 看護師も愛想が悪く、俺を訝がるように睨んでくる Ωばかりの患者のところに、αである俺が入ってきたのだから仕方がない しかも、身内でもなんでもない、通りすがりの俺が… 何かに導かれるように、足は中庭に真っ直ぐ向かっていく 来たこともないはずの病院なのに… どうしてもそこに行かなければと何故か思ってしまう 本能に従う様に、見ず知らずの場所を静かに歩んでいく 薄暗い建物から出ると、そこは余り広くもない寂れた中庭だった 真ん中には、今は止められ水が循環されているだけの噴水があるだけで他に何もない ただ、流れている水を見ているだけでも余計に寒くなる まだ雪は降っていないものの、こんな寒空の下に何かあるのだろうか…と自分の本能を疑ってしまう 仕方なく中庭を一回りしてみようと歩き出すと、今まで噴水のモニュメントで隠れて見えなかった人影を見つける こんな寒い中庭で上着すら羽織らず、ポツンとひとり、車椅子に座っている彼を見つけた 彼を見た瞬間、全身の血が騒ぎ、本能を掻き立てられる 彼が欲しい。彼を自分だけのモノにしたい。彼が、俺の運命だと。 周りの目など気にせず、今すぐにでも抱きしめて頸に噛み付きたい衝動を必死に堪え、持っていた抑制剤を奥歯で砕いて飲みこむ なんとか正気を保ちながら彼にゆっくりと近づき、車椅子の前に膝をついてしゃがむ 胸元には患者の情報をいち早く確認しやすいように。という名目の名札が付けられていた 『No.0142 雪兎 強制解除、引取り手なし、20歳 次回12月10日~予定』 本来なら秘匿されるはずの個人情報が当然のように書かれている まるで家畜を識別する物のように、ここに来た人が患者を見て何かを確認出来るように 「雪兎と言うのか…」 何も映していない虚な目 先程見たΩの患者たちと同じ、身体も心も壊れてしまった彼に涙が溢れる 「もっと、早く出会えていたら、こんなことにはならなかったのに」 いつからこの場に居たのかもわからない、彼の氷のように冷え切った手を握り、これからは何があっても守ると心に誓った その日から、毎日病院に通った 仕事の合間を見て、ほんの少しの時間だけでも、雪兎に会いたくて 最初は触れてもなんの反応もなかった雪兎 声を掛けても、手を握っても、虚な目はなんの反応も示さなかった 名札に書かれていた発情期の期間は、別の場所に移されるらしく、会えない日が続いた 俺が相手をしてやりたいが、運命の番だと言っても所詮は赤の他人でしかない 雪兎が戻ってくる日を待つしか出来なかった 年末の忙しさのせいで、面会時間が過ぎて会えない日も増えた 会える日は出来る限り話しかけ、手や頬に触れるようにした 頸を覆い隠すように巻かれた包帯が恨めしい 本当なら、俺が、俺だけがそこに(しるし)を刻むはずの場所だったのに… 後悔しても仕方ない気持ちを飲み込み、壊れ物でも扱うように、優しく大切に彼の手を握りしめた 季節も変わり、暖かな春の陽射しが病院内にも差し込む頃、やっと雪兎にも変化が訪れた 「あなた、は…だれ、ですか…?」 今までずっと言葉を発していなかったせいか、声は掠れて小さかったが、雪兎が話しかけてくれた 余りの嬉しさについ涙が溢れそうになる 「俺は宮城 士郎、雪兎さんは俺の運命の番なんだが、わかるかな…」 俺のコトをちゃんと映している目に笑みが溢れる 言ったコトを今はまだ理解出来ていないのか、困ったように俯き「ごめんなさい」と呟く彼に愛しさが募る 「大丈夫、今は体も心もゆっくり回復できれば… 俺は、雪兎さんが笑ってくれるのを待つよ」 季節は巡り、徐々に回復していく姿に安堵する 意識が戻ってからは、触れることすら怯えていた彼 抱き締めることが出来るまで時間は掛かったけれど、少しずつ、触れることを許してくれるようになった 頸の(しるし)も薄くなっており、元番との繋がりも薄まっているのか拒絶反応もなくなってきた 雪兎に出会ってから3度目の春、リハビリの効果もあり、心も体も回復してきた頃、退院の相談を医師から受けた 俺自身はそのまま雪兎と一緒に暮らしたいと考えていたが、所詮は赤の他人 俺の気持ちだけで一緒になるのは出来ないし、引き取ることも出来ない 家族や元番の事もあり、勝手に引き取っていいものかと悩んでいると、入院に関しての契約と雪兎の身辺についての書類を見せられた 雪兎は元番にDVを受けていたらしく、そのαももう別のΩと番になっているので引き取るつもりは一切ないらしい また、ここに入院する際、家族との縁も切られていることから、退院しても路頭に迷うしかない 俺が雪兎を引取らない場合、残る選択はただ一つ ここに残って他の引取り手が現れるのを待つらしい どんな引取り手で、何をされるかもわからない相手だろうと、Ωに拒否権は存在しない ただ、ずっとここには置いて置けない だからこそ、病院からすれば、引き取って貰える相手は誰でも良かった その時になって、ここが世間でなんと言われているのかを思い出した 『捨てられたΩの死処』 治る見込みも、治すことも、治ったところで行く場所すらない 本当の意味で、死ぬ為だけに入れられる施設だと… 「雪兎、俺と一緒に暮らさないか? 今はまだツラいかもしれないが、俺は雪兎を愛している。いつか、番になって欲しいって思っている だから、今は俺と一緒に生きて欲しい」 雪兎の細い手を握り、真剣な眼差しで話した 不安げな顔で俺の話しを聞いている雪兎だったが、しばらく目を臥せて悩んだ後、小さく頷き 「よろしく、お願いします」 雪兎の優しい微笑みに、緊張していた身体がホッと息を吐く 一緒に暮らし始めた時は、色々遠慮しているようで、ずっと部屋の隅で小さくなっていた 呼べばちゃんと来てくれるし、忙しくてなかなか家事までこなせなかった俺の代わりに、家事全般をこなしてくれる 雪兎の作る料理は美味いし、掃除も洗濯も卒なくこなしてくれる 雪兎がこの家と俺との生活に慣れるまで時間はかかったが、今では笑顔も見せてくれるし、触れ合うことも出来る キスを怖がっていたが、それも徐々に慣れていき、今では雪兎自身からしてくれるまでに回復した ただ、まだ番になることを怯えているのを見て、寂しさが募る 発情期(ヒート)になるのを怖がって、抑制剤をこっそり飲んでいるのは知っているが、無理やり止めることも出来ない自分が不甲斐なくて仕方ない 雪兎の怯えようを見て、運命の番でなかったとしても、番になった相手にどれだけ酷いコトをしていたのかと、元番に殺したい程怒りを覚える だが、今、自分の腕の中で安心しきっているΩを見るとその気持ちも失せ、ただただ愛しさだけが募っていった

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