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7年前──第19話
「悪ィ、みんなちょっと先行ってて! 家にカバン置いてくる」
「えー、おまえん家遠いじゃん」
「とあがいなきゃつまんなーい!」
「すぐ戻るって、怪獣公園しゅーごーだろ?」
友達にまたな! とぶんぶん手を振って、こっそりと学校に戻った。
裏道から外階段を上がり、音を消すために靴を脱ぎ、鍵を開けておいた窓からそろそろと教室に侵入する。
そして、机の奥に突っ込んでいたくしゃくしゃに丸めた紙を開き、大きなため息を吐いた。
《バース診断──判定結果:未分化Ω》
第二性は、10歳前後でなければ正確な診断ができない。だからこそ全国一律で、小学6年生には「バース検査」が実施される。
その結果がこれだ。
はぁ、と二度目のため息。しかし、残念ながら結果は変わらない。
まさか自分が未分化Ωだったとは。
小さい頃に亡くなった両親はどちらもβで、兄も同様だ。友達とふざけてチェックを入れたネットの性別診断でもβである可能性が高いと出ていたのに。
放課後に渡された診断書。βである友達に本当のことなど言えるわけもなく、机の周りにクラスメイトが集まるためランドセルにしまうこともできず、くしゃくしゃに丸めて隠しておいた。
今になって思えば、これを渡してきた担任も何かしらを含んだ目で俺を見ていた気がする。
親御さんと見ろよとは、こういう意味だったのか。
「……びょーいん、いこ」
でも、焦ることはない。16~18歳頃の初ヒート時に薬を投与し、自分の中のΩ性を消してしまえばいいのだ。そうすればそのままβとして成長できる。
やっちゃダメなことは、αと番うこと。
番ってしまうとカラダがΩ性になってしまい、二度とβ性には戻れない。
そう、保健の授業で習った。
とりあえず、いったん家に持ち帰って透貴に相談しよう。明日にでも病院に行って、ヒート時期をコントロールする薬をもらって……うん、落ち着いて行動すれば大丈夫だ。
透貴も絶対、助けてくれる。
そう自分自身に言い聞かせて、ランドセルにそれをしまおうとして。
「あれ? あ、そうだ靴下。持って帰んの忘れてた……でも、こんな濡れてたっけ?」
水遊びで濡れた靴下を、机の中に突っ込んでいたんだった。けれども乾くどころか前よりも湿っている。変だなと思いつつぺろりと広げれば、妙に白っぽく変色していた。
こんな色だったっけ?
しかもところどころに、ゼリー状のものが付着している。
「なんだこれ」
鼻を近づけてくんと嗅いでみる。生臭さに顔をしかめた。
「うぇえ……プールみたいなニオイすんじゃん。なんで?」
とりあえずこのままにはしておけないので持ち帰ろうとして──それは、あまりにも突然訪れた。
「ぐっ……」
ドクンと、激しく軋んだ心臓。
突然、酸素を失った世界に放り込まれたかのように息が吸えなくなった。
「え、え? な……に、くる、し……」
ふらりと揺れた手がランドセルにぶつかり、床に落ちる。目もくらむような激しい眩暈に足元が覚束なくなり、よたよたと後ろのロッカーに凭れ掛かった。
手がガクガク震えて言うことを聞かない。なんだこれは。
「──橘?」
ガラリと、誰かが教室に入ってきた。噴き出た汗がまぶたに垂れて、よく見えない。
ふるりと頭を振って目を細めれば、驚いた顔の人物と目があった。
「ど、どうしたの、具合でも悪いの?」
「め、み……」
今は、気まずさを気にしている余裕すらない。
「わ、かん、ねぇ。なんか、急に……くるしく、なって」
「そうか、とりあえず保健室にいこう」
異常事態であることを彼も察してくれたのだろう。姫宮は彼らしからぬ狽えた様子で、ぱたぱたと駆け寄ってきた。
ぐったりとロッカーに寄りかかる俺の肩を姫宮が掴んだ、その瞬間。
「ひぃっ」
「え?」
「さわ……ぁっ、んぅ」
びくびくと体が跳ねる。姫宮に触れられたところが熱を持ち、痒くてたまらなくなった。しかもそれは、皮膚の下の肉を掻きむしってしまいたくなるほどの疼きだった。
極端に熱いのに同じくらい寒い。
ぞわぞわして、ぐらぐらする。わけがわからなかった。
「たち、ばな?」
「……ッ、ご、め、どいて」
「っ、橘!」
「せ、んせ……よん、で、おねがい、ひめみや……っ」
これ以上ここにいてはいけないと、渾身の力で姫宮を振りほどき、よたよたと教室を出る。それはΩの性を持つものとしての、本能だったのかもしれない。
もつれる脚をなんとか動かす。
頭の中は、沸騰したように茹っていて。
姫宮が、自分を呼び捨てにしていたことにも、気付けなかった。
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