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俺たちの関係──第34話
「とき……でも俺が、入っていいって言ったんだ。だから姫宮は……」
悪くない。その一言は飲み込んだ。
口に出せば、きっと透貴を傷つけると思った。
「──透貴さんに連絡をせずに押しかけてしまい、申し訳ありませんでした」
身を起こした姫宮は淡々と帰り支度を済ませ、最後に深々と一礼して、部屋を出て行った。
しん、と、部屋が静まり返る。
苦しそうに上下する透貴の肩をそっと撫でれば、深く抱きしめられた。咄嗟に受け止めた体は、俺とほぼ変わらない。
もしかしたら背丈なんて、俺の方が数cm高いかもしれない。
昔はあんなに、広い背中だったのに。
あの事件の夜、いつもの公園に俺がいないことを知った透貴は、どれほど青ざめたことだろう。
すぐに警察に通報したものの、俺のスマートフォンは姫宮に電源を落とされていたため、GPSでの追跡も出来なかった。
帰宅途中で行方不明になった子ども。これは事件か、事故か。
兄は土砂降りの中、他の捜索者と共に増水した用水路や川沿いなどを、夜通し探し回ってくれたらしい。不審者に連れ去られたのではと重い空気が濃厚になり始めた朝方、見つかったという連絡を受けて。
病院に駆けつけたら、ボロボロになった俺がいたのだ。
その時の透貴の心情を想像すると、きゅっと心臓が縮む。
夕方になるまで昏々と眠り続け、やっと目が覚めた時、俺はパニックに陥ったらしい。
『落ち着いて透愛! 愛しています! 大丈夫、愛してますからね……っ』
恐怖のあまり、目の前の男が大好きな兄だということを脳が認識しきれなかった。
酷く恐ろしかったことと、泣き喚く俺を、兄が強くかき抱いてくれたこと。
そして繰り返される「愛してる」に、死に物狂いで縋り付いたことだけは、鮮明に覚えている。
『お兄さん、お気持ちはわかります。ですが、まずはこれからどうすべきなのか、お相手のご家族と話し合うことが大切なのではないでしょうか』
医者の言うことは、正論だったのだと、思う。
『透愛君と樹李君はもう、生涯離れることのできない「番」に、なってしまったのですから』
でも透貴は、苦しかったに違いない。
『ごめんなさい、ごめんなさい、透愛……私が、もっとはやくに気付いていれば……ッ』
俺に似た兄の犬歯は、この7年で随分と擦り減った。ストレスのあまり欠けたのだ。
全部全部、俺のせいで。
「透貴、ごめんな。俺、アイツと本当に連絡、取ってないからな」
「……本当、に?」
「うん、ホント。今朝、ちゃんと具合悪いこと言えばよかったな。ごめん、透貴、本当にごめんな……あとでちゃんとスマホ見せるから」
こうすれば、透貴も少しは安心してくれるだろう。
『どうして……どうして、こんなことに……』
血反吐を吐くような透貴の慟哭の向こう側に、誰かが見えた。
慌ただしく視界を横切る医師や看護師たちの後ろの暗がりにぼうっと突っ立っていたのは、幼い姫宮だった。
これはいつの記憶だろう、たぶん病室の中だ。
姫宮は椅子に座るでも、かといって近づいてくるでもなく、ただそこにいた。ひめみや? と掠れた喉で声をかけたら、彼は何かに怯えるように身体を震わせた。
俺はあの時、自分がどこにいるのかさえわからなくて。
姫宮が今にも消えてしまいそうなほどか細くみえて。
『おまえ、だいじょーぶか? 顔、青いぞ』
弱々しく震え続ける姫宮が、誰よりも、何よりも一番、気がかりで。
『なぁ、こっちこいよ。そこ寒ィだろ? ここ、日があたってあったかいんだ』
だから俺は、眠気に負けそうになりながらも、細い針が突き刺さった腕を彼へと伸ばして。
『姫宮……俺さ、おまえと──……』
あのあと、俺は何て言ったんだっけ。
姫宮は、どんな顔をしていたんだっけ。
記憶が霞がかっていてなかなか思い出せない。もしかしたら正常な意識は、そこで途切れてしまっていたのかもしれない。
目を閉じる。
「ごめんな、透貴……愛してるよ」
ほとんど身長の変わらない兄を、裸のまま強く抱きしめる。
透貴のことを心から愛している。それは本当だ。
子どもの頃、透貴と一緒に出かける時は迷子にならないよういつも手を繋いでもらっていた。
そんな兄の手を、俺は今でも手放せないでいる。
けれども頭の片隅では、兄に殴られ赤くなった姫宮の頬ばかりを気にしている俺は。
とんだ親不孝者なのだろう。
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