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夏祭り──第41話
俺もはっと顔を上げて、さっと腕を組んで袖で黒い帯を隠す。しかし、いやそんなことする必要ねぇなと腕を外すを繰り返せば、綾瀬に不審な目で見られた。
「なにやってんの」
「いや、その……」
「こんばんは、来栖さん」
「こんばんわ! ごめんね、なんか無理に誘っちゃって」
「ううん、ものすごく楽しみにしてたんだ」
最初から、奴は人好きのする笑みを浮かべていた。
「初めまして、姫宮樹李です。突然見知らぬ人間がお邪魔しちゃってごめんね?」
ぴーひょろと、少し間抜けな祭り囃子が響く中、姫宮の声はよく通った。
姫宮と面識のなかった面々は、実際本物が現れると和気あいあいと挨拶を返していった。
「おー、マジで来たっ」
「やだ、知らない人いないよぉ」
「天然? まぁ風間さんには及ばないけど」
「なんで綾瀬が対抗してんのよ」
自己紹介がてらの全員のツッコミに、姫宮がそんなことないよと慎ましやかに笑った。
「よ、この前すれ違ったよな。瀬戸ってんだけど」
「ああ、うん瀬戸くん。わかるよ……橘くんと一緒にいたよね」
自分の名前が出てきて、胸が弾む。
「そうそう。でも意外だなぁ、姫宮っていっつも忙しそうだし家もなんかすげーし、こういう庶民のお遊びみたいなの興味ないかと思ってたわ~」
さらっとド失礼なことを言う瀬戸に、姫宮はふふっと目尻を下げて微笑んだ。
「興味がないわけじゃなかったんだ。でも実は、こういうところに来るの初めてで」
「えーっ、そんな人間いる?」
「あはは、ここにいるよ。昔から勉強とか習い事とかで忙しくて……」
「すげ~な、生粋のお坊ちゃまじゃん」
「だから今日は、みんなと屋台をまわれるのすごく楽しみにしてたんだ。仲間に入れてくれてありがとう。夏祭りの楽しみ方とかたくさん教えてほしいな。どうぞよろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げた男は、相変わらず人の心を掴むのが上手かった。
(なにが楽しみにしてただよ。俺らのこと散財してバカ騒ぎをする連中とか罵ってたくせに)
「なんだいい奴じゃん、よろしくなー! にしても姫宮、浴衣かっけーなぁ!」
「ね、雅って感じだよね。キレイ」
「目の保養~」
「はは、ありがとう。父のお下がりなんだけどこれにして正解だったよ。みんなも素敵だね」
「あれ、父ってもしかして……姫宮義隆か?」
「アホ、もしかしなくとも姫宮義隆だろ」
「すごーい、あたしテレビで見たことあるよっ」
「この前特集やってたよね!」
「おまえの家でかすぎて目ぇ疑ったわ」
凄腕イケメン社長として、姫宮の父親はあらゆる界隈に引っ張りだこだった。この前はバラエティ番組かなんかで豪邸の特集までされていた。
俺が年に数回使う敷地内の別練は、もちろん放映されなかったけど。
あそこは本邸以上に防犯カメラも防音もしっかり完備されている。
俺のことが、世間にバレないように。
昔から公の場に姿を現す機会の多い人だ、俺たちの関係は秘密事項だ。
姫宮義隆の一人息子がなんの後ろ盾もないΩと結婚だなんて、事実が知れたら姫宮家の恥だろう。
「──こんばんは、橘くん」
「えっ……お、おう」
「大丈夫? ぼうっとして。気分でも悪いのかな」
いつのまにか姫宮が目の前に来ていて、顔を覗き込まれた。ドアップになった顔を見ていられなくて、美しく弧を描く赤い唇辺りでうろうろと視線が彷徨う。
やっとの思いで、視線を逸らせた。
「なんでもねぇよ……だから、人前では話しかけてくんなってば」
最後の一言は、姫宮だけに聞こえるようにこそこそと。でも、思いのほか冷たい声になってしまった。
頑なに視線を逸らし続けていると、姫宮は女子に呼ばれて行ってしまった。
じっと、姫宮の揺れる髪だけを見送る。
「なに睨んでんの」
「──えっ」
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