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狼の群れ──第54話

「透愛ちゃん、可愛い彼女いるのに妊娠したらごめんね?」 「や、いや……っ」 「エッチな雌になろうね~」 「お尻おっきいなこの子、安産型だわ」 「元気な子産むんだぞ? 認知はしないけど」 「ひでぇ」 「気に入ったら番にしてやんよ。んじゃ、挿入()れまーす」  ──人権がない。  Ωは確かに差別されている。けれどもここまでのことは、されたことがない。  俺はずっと、運がよかったのだ。  そんなに酷いのか、俺は。こんな奴らに好き勝手されるほど、好き勝手されても法律で守ってもらえないほど、取るに足らない存在なのか?  弱々しい存在なのか? 軽い存在なのか?  「やめて」じゃない。「いや」でもない。やめろや! って喚きたてて蹴っ飛ばしてやりたい。嫌だっつってんだろ! って、腹から声を張り上げて殴り飛ばしてやりたい。  それなのに、裏返った女みたいな声しか出てこない。  哀願しかできない。  さっきまで俺のことだって、「オニイサン」とか「てめえ」とか「この野郎」とか口汚い呼び方だったのに、Ωだとわかった瞬間「この子」扱いだ。  「透愛ちゃん」なんて名前で呼ばれるたびに、忌々しさで臓腑がひっくり返りそうだ。  名前で呼ぶな。  俺の大事な名前をてめえらの汚え口で汚すな、黙れよ。  透貴が、毎日優しく呼んでくれる俺の名前を。  7年前のあの日だけ、姫宮が愛おしげに呼んでくれた、俺の名前を。  そう罵ってやりたいのに、生まれたての小鹿みたいに震えることしかできない。  悔しい。どんなにメンチを切っても悪態をついても、死に物狂いで抵抗しても、「かーわい」の一言で受け流されてしまう自分が。  こいつらにとっては、弱々しい仔犬がへっぴり腰で、キャンキャンと吠えているようにしか見えていないのだろう。  対等じゃない。同じ土俵にすら立たせてもらえない。  俺は、こいつらにとって人じゃない。Ωなのだ。  このままでは橘透愛という「個」を消され、「Ω」という存在にされてしまう。  人の形をした性処理道具に、オナホに、されてしまう。  ちくしょう……ちきしょう──畜生! 「……あれ? ちょい待ち北条」  腰を進めようとしてきた男を、別の男が制止した。 「この子、番持ちじゃね?」 「え、マジ? お、ホントじゃん。歯型あるわ」  無理矢理横を向かされて、襟足を掴まれる。  歯型のあるうなじを、男たちの目の前でしっかりと晒された。 「あーなる、だから使い込まれてたんだ」 「これ、番相手に訴えられる可能性あるんじゃねぇ?」 「大丈夫だろ、みろよこの歯型。小せぇし大したαじゃねえよ」 「つかこれガキの歯型じゃね……?」 「うっわマジじゃん! えっ透愛ちゃんってば! 彼女にふにゃちん突っ込んでへこへこ腰振ってる上にお子ちゃまちんぽまでハメハメされてるんでちゅか~?」 「はは、ヤベーなこいつ、おもろ」 「おい待てよ。なあこれ……なんの指輪だ?」  首の後ろに隠れていたチェーンをぐいっと引っ張られ、金の輪の存在を知られた。  そしてそれを、眉を顰めた男に雑に持ち上げられる。  姫宮からもらった、結婚指輪だ。  俺と姫宮を繋ぐ、唯一のもの。 「は……ぁあ? うそだろ? これバカ高ぇやつじゃん」 「そんなに? ブランドどこ」 「アルミラ。アルミラ=レテ」 「はぁああ!? なんでこんな子がそんなもの……え、こいつもしや金持ち? だったらヤベぇんじゃ……高校聖稜じゃねぇよな」  目の前が赤くなった。  腹の底が、一気に沸騰する。 「──汚ぇ手でそれに触んな、クソ野郎が!」  怒りにあまり、やっと腹から声が出せた。  勢いをつけてぺっと唾を吐き、べちゃりと目の前の男の頬にひっかけてやった。  指輪を落とした男は、頬に付着した唾液をぬらりと拭うと嘲笑をかき消した。 「あーあ、せっかく優しくしてやろうと思ってたのにな……いつまでも調子のってんじゃねぇよこの野郎」  拳を振り上げられる。  今度こそ、死んでも目は閉じない、逸らさない。射殺してやるつもりで睨みつける。  これだけが、今の俺にできる決死の抵抗だった。  俺の矜持、だった。  しかし殴られる寸前で、男の手が止まった。  振りかぶられた男の腕が、後ろから登場した人物にがっちりと掴まれたのだ。 「は? 誰だよおま──」  後ろを振り仰ごうとした男の脇腹が、べこりとへこんだ。  そして、文字通り真横に吹っ飛んだ。あれだけのガタイの男が軽々しく宙を、舞ったのだ。  すさまじい威力の、蹴りだった。 「ねぇ、君たちは何をしてるの?」  いやそれ、蹴ったあとに聞くのかよ。  つか、足が長いとこういう時に得だな。  ──安堵しすぎて、そんな場違いなことを思った。   ──────── セコム、登場。 一人で一個師団に匹敵するレベルの男が。

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