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落ちた花火──第62話

 *  喧噪からかなり離れたところまで来ても、どちらも口を開かなかった。  その重苦しい沈黙が崩れたのは、境内を通り過ぎた長い階段を降りている途中だ。  まだ花火が始まる前だ、帰ろうとしている人は一人もいない。 「馬鹿だな君は。いつもいつも後先考えず行動するから損をするんだ。まさか危険に突っ込んでいった理由が見ず知らずの子どもを庇うためだったなんて、聞いて呆れるな。気を付けろと言った舌の根も乾かぬうちによくもまぁ」  しかも、第一声がそれとか。 「……ぐちぐちうっせーな、無事だったんだからいいだろ」  今は、助けてくれてありがとうと感謝するべきなのに、どうしても反抗的な言葉ばかりが口をついてしまう。  石段の踊り場で一旦立ち止まり、姫宮の肩から腕を外す。  ほぼ片足立ちの状態が続いていたので、右足を地面についた途端ガクンと崩れ落ちそうになったが、腰を支えられて事なきを得た。 「何をしてるんだ」 「いいから離せよ」 「転ぶぞ」 「ひとりで歩けるって……悪かったよ、悪態ついて。助けてもらったことはマジで感謝してる。肩も貸してくれてありがとな、迷惑かけた──じゃあ」  姫宮の顔も見ずに早口で言い切ったのには、わけがある。  そのまま腰に回ってきた手を引きはがそうとしたのだが。 「駄目だ」  力を込めて引き寄せられ、姫宮との距離がぐっと近くなる。  それでも押し返したりと、暫く取っ組み合いのような押し問答が続いた。 「いいから離せって、ひとりで帰れるってば」 「虚勢を張るな。この状態で一人で帰らせるわけがないだろう……こんなに震えているのに」 「……」 「またαの男に襲われたらどうするんだ、君ひとりじゃどうにもならないだろう。大人しく僕に抱えられてろよ」  姫宮の一言は、まごうことなき事実だった。  けれども俺の中でくすぶっていた痛みが爆発するには、十分すぎる起爆剤だった。 「──ッ、だから嫌なんだよ!!」  せっかく、せっかくなんとか一人で消化しようと思ってたのに。  先ほど笑顔に切り替えたはずの感情が、目の淵から雫となって溢れ出そうだ。 「笑えよっ……腰抜かしてまともに立ち上がれもしなかった腑抜け野郎だって……びびって、ろくに声も出せなかった負け犬だって、笑えよ!」  こんなにも、俺の本能はいまだに恐怖に呑まれたままだ。  おにいちゃんみたいにカッコよくなる。悠真の言葉にどれほど胸が熱くなり、同時に冷たくなったか。  そうだ、俺は羨んだのだ。  手を繋いで、仲良く歩いていく少年少女の背中に抱いた感情。あれは確かに、「羨望」だった。  男であるはずなのに、男になれないこの身。  もしも姫宮が助けに来てくれなければ、俺はあの男たちに犯されていただろう。  たとえ番以外の相手に抱かれることで身体が苦痛に苛まれていたとしても、いつしか思考ごと快楽に焼き尽くされ、悦んで足を開いて貫かれる喜びに喘いでいたに違いない。  Ωとはそういう生き物だ。  俺は、そういう生き物だ。 「ろくな抵抗も、できなかった! いやだしか、いえなかった。力いっぱい抵抗、できたはずなのに……おれ、おれは、なんにも、できなかった……!」  悠真や由奈や捺実よりも、俺は背が高いのに。  姫宮ほどじゃないけれど、体格だってもう立派な青年のはずなのに。  相手がαだってだけで腰が引けて、異性や子どもすらも守れない。  本当は、本当は逃げ出したかったんだ。悠真も由奈も置いて、一目散に。  だから、襲われたのが俺でよかったなんて自分で自分を納得させていたのだ。  そうじゃないと、隠し続けた俺の感情が浮き彫りになってしまうから。  怖かった──怖かった。  泣きだしたいほどこわかったんだよ、ちくしょう。  こんなみっともない感情、死んでも認めたくなかったのに。 「どうせ俺はΩだよ! 弱い、Ω野郎だ……ちきしょう……ッ、ちきしょう、ちきしょう、ちきしょう!!」  足がこうなので、地団太を踏めない代わりに地面に向かって吠え続ける。  由奈に守ってくれてありがとうと言われて、恥ずかしかった。悔しかった。情けなかった。  どんなに外見をそれっぽくしたって、誰かの支えがなければ一人で立ち上がれもしない。こうやって一人で歩くことさえ、ままならない。  決死の覚悟で立ち向かっても相手にされない。  最後だってあいつら、俺のこと見向きもしなかった。  あいつらが怯えたのは姫宮に対してだけだ。  俺がどれだけ必死になって抵抗していたかなんて、あのαたちは知らない。  知ろうともしない。  犯せなかったって、それだけだ。  姫宮先輩怖かったな、怪我したとこ痛ぇな、もう悪いことできねぇなしょうがない、真面目に受験勉強頑張るかって、それだけだ。  今日思い立って、偶然にも襲おうとしたΩのことなんて数日で忘れてしまうに違いない。  その程度の存在なのだ、俺は。  そんな惨めな人間なのだと、項垂れる。

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