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落ちた花火──第66話
「……確かにだ。彼らに襲われて生まれたての小鹿のようにぶるぶる震えていた君はクソださかったけれども」
「この流れでそれいうか? なんでおまえって一言多いんだろうな。つかおまえがクソとか言うと違和感ありまくりだぞ──うわっ」
最後まで聞けとばかりに背負い直され、腰が浮いてひやっとした。
「おまえな、あぶねぇっての!」
「でも僕は、君を負け犬だとは思わない」
「……え?」
「弱い人間だとは思わない。格好悪いとも、思わない」
「ひめ、みや?」
耳を疑った。今のは、あの姫宮の言葉か?
「君には勇気がある。現に、Ωとしてαに怯えてしまう本能をどうにかしようともがいていた……あれは誰にもできることじゃない。僕が来るまでよく耐えた」
勇気って、おいおいおい。なんだこいつ、どっかに頭打ちつけたのか。
「おまえ……姫宮か? え、本物の? 俺目ぇおかしくなってんのかな……なんで急にそんなキモイこと」
「落としていいか?」
「ごめん違う、うそうそ!」
「僕は別に構わないけど? 頭から叩き落とせば少しは君のズレた眼球も戻るかもしれないしね」
あっうん間違いなく姫宮だわ、この口の悪さと嫌味っぷり。なんだ、ちょっと見直して損した。
目の前の頭が、少しだけ下を向いた。
「……僕は、自分の容量は自分で決めるタイプだ。容量に応じて日々取捨選択している。それができる人間だったはずなんだ。はずなのに……捨て去りたくても、どうしても捨てられないものが、ある」
「すてられない、もの」
「ああ」
「──それ、なに?」
「なんだと思う?」
またそれか。この前からずっと、似たような問いかけをされている気がする。
「なんだと思う、橘」
「……わかんねぇよ」
こいつは俺に、一体何を求めてるんだ。
「だろうな。君のその貧弱な脳みそじゃ」
「殴ンぞ」
「落とすぞ」
姫宮の肩が不自然に揺れた。顔が、見たい。でもここからじゃ見られない。
彼は今、笑ったのだろうか。
「──君は僕と、何もかもが違うな」
「ホントにな」
そこは完全に全面的に同意だ。揺られながらつい頷いてしまう。
「君はそういう人間だ。だから、だから僕は、君の──」
ふつりと、姫宮の言葉が風に攫われたかのように途切れた。
「僕は君の、なんだよ」
しかしそれきり、姫宮は口を閉じてしまった。何度呼びかけても返事は無い。
でも、こんなに長い時間、姫宮と会話らしい会話をしたのはいつぶりだろうか。
いつのまにか、ささくれ立っていた気持ちが落ち着いていた。しかもどういうわけだか、胸の奥のつかえが取れた気がする。
ざくざくと土を踏みしめる音と、リィンリィンと響くコオロギと、けこけこと震える蛙の鳴き声だけが、静けさの中から聞こえてくる。
手を置いた姫宮の肩が、熱い。
背を丸めて、そっと彼に体重を預けてみる。
すると、もっとしっかりと腿を抱えられた。
「橘、首に腕を回せ。危ない。本当に落ちるぞ」
「……ん」
言われた通り、細い首に腕をきゅっと回す。
姫宮の匂いが、濃くなった。
ぺたりと浴衣が貼り付いた背中はじんわり濡れていた。前に腕を回した首も、時折鼻がぶつかる頭皮も、やけに湿っぽい。
髪が分けられた姫宮のうなじからも、雫が染み出していた。
彼は珍しく、汗をかいているらしかった。
ほんのりと冷たいので、少し前に流した汗なのかもしれない。でも。
(……背中、あったかい)
姫宮は、来てくれた。
こんな冷たい汗を掻いてまで。
捺実とのデートを、存分に楽しんでいただろうに。
可愛い女の子と、遊んでいたかっただろうに。
(あったけぇや)
俺のところに、来てくれた。
来てくれた。
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