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落ちた花火──第68話
「君は、どう思ったの」
急に姫宮の機嫌が悪くなった原因がわからず、余計に口が空回った。
「どうって、だから俺も気ィ使って離れたんだよ。だっておまえら、すっげーお似合いだったし」
「ふうん、そう。応援してくれてたんだね僕のことを」
「そ、そりゃまぁ……──痛ッ」
ぎりっと強く爪を立てられて、悲鳴を上げた。
「ああごめん、つい力が入ってしまったね」
大して悪いとも思っていなさそうな声色だった。
「おまえなっ」
「君に応援されたって嬉しくない」
苛立ちにも似た声に、息を呑む。
「不愉快だ。二度とするな」
冷ややかに下から睨みつけられて、しおしおと身体が萎んだ。
「わ、悪かったよ……」
素直に謝る。もしかしたら俺が応援したことで、姫宮の自尊心を傷つけてしまったのかもしれない。ついこの間も似たようなヘマしたしな。
調子に乗ると、ベラベラ余計なことまで喋ってしまうのが自分の悪いクセだというのは自覚していた。
姫宮との会話がまた途絶えてしまった。
黙々と、手当を続けられる時間が過ぎる。
「終わったよ」
「あっ……うん、ありがとな。すげぇ、ぜんぜん痛くねぇや」
しっかりと包帯が巻かれた足をぐるりと回しても、痛みは少ない。
改めて姫宮のつむじを見下ろし、ぼそぼそと謝罪をする。
「あの、さ。さっきは助けてくれて、あんがとな。おまえ来てくれなかったら、マジでヤバかった。それなのに俺おまえに八つ当たりしちまって、ホントに悪かったって思って……って、おいこら! なにやってんだよバカ!」
姫宮の手を掴んで引っ張る。
姫宮が、自分の親指の爪を思い切り噛んでいたからだ。
本当に時々だけれど、姫宮はこうして爪を噛むことがある。人前でしているのを見たことはないが、俺の前ではしょっちゅうだ。
特に会話中に噛むクセがある。
そして、そのたびに「やめろよ」と彼を止めるのは俺の役目だった。
「噛むなよ、爪ひび割れちまうだろ? あーあ、ちょっと傷付いちまったじゃん……せっかくキレイな爪してんのに」
姫宮の指先は、そんじょ其処らの女性よりも美しい爪をしているのだ。
「姫宮?」
姫宮は、俺の手を振りほどこうとはしなかった。そればかりか、ぼうっと俺を見上げている。
「ど、どうした……?」
姫宮の片方の手は、足から離れない。
「きれい」
「え?」
「僕の爪は、キレイ?」
「……そりゃあ、うん、キレイな方なんじゃねーの。つ、つるつるで?」
少なくとも俺のガタガタの爪よりは。
でもどうしてだろう。今の姫宮の顔が、小学生だった頃の彼と重なって見えたのは。
少し舌ったらずなしゃべり方に、聞こえたからだろうか。
目をじっと見つめられながら包帯の巻かれた足の甲を撫でられて、擽ったさにもぞりとする。
このままだと変な気分になりそうだ。
いい加減離してほしい。
「……蛇に噛まれた痕、残ってるね」
「え? うそだろ7年前だぞ!? どこ」
「ここ」
少し下がった視線につられて下を覗き込めば足を解放されて、首の後ろに回ってきた腕にぐいっと引き寄せられた。
「……っ」
重なったのは一瞬だった。
ちゅ、とリップ音を立てながら離れていく唇にぽかんとしていると、今度は踵を持ち上げられ、足の甲の柔らかいところをあぐ、と食まれた。
姫宮の手を離す。が、代わりにひっくり返されてしまっていた。
「ちょ、なに……うわっ」
頭を床に打ち付けずに済んだのは、後頭部に回ってきた手に守られたからだ。
そのまま、そうっと横たえられる。
「……蛇の、噛み痕は」
「さあ、見失ってしまったな」
俺を見下ろしてくる黒には、俺だけが知ってる熱が確かに在った。
欲を孕んだ色彩はあの男たちの目に宿っていた色と同じものだ。けれども恐怖はない。
どうしてだろう。
時々昔のことがフラッシュバックして、姫宮との情事中に頭が真っ白になることもあったというのに。
姫宮が、あの男たちを肉体的にも精神的にもボコボコにしている最中だって、俺は微塵も怖くなかった。
あの男共も姫宮も同じαなのに、あいつらと姫宮では何が違うんだろう。
慣れだろうか。
すでに身体の関係があるからだろうか。
番、だからだろうか。
「どこで、スイッチ入ったんだよ」
「祭りの会場で、君の足に触れた時から」
「人前じゃん、変態かよ……ん」
するすると不埒な手のひらが衿の中に忍び込んできた。浴衣がはらりと乱れる。
「あ……ん」
胸先を掠めた指に、甘やかな痺れが鼻から声となって抜けた。くたりと力が抜けきった身体を了承と受け取ったのか、端正な顔は当然のごとく近づいてくる。
なので、ぐいっと強めに押し返した。
俺が拒めば姫宮は必ず止まるが、吊り上がった形のいい眉は、「何故」と問うていた。
それはこっちのセリフだ。
「……ヤんねーよ」
「なぜ」
言いやがった。
「さっきから、慰めのつもりかよ……いらねぇってそんなの」
「慰めじゃない」
「じゃあなんで。ヒートじゃねぇのに。身体も、もう落ち着いてるし……」
恐怖が去った今、発情に似たあの甘い香りも出ていない。
「それに、汚ねぇじゃん……」
「──汚い?」
「その、いろいろ……さ、触られたからさ。それに、ゴムとか持ってないし……」
「僕は持ってる」
「……なんであんだよ」
救急セットといい、用意のいい男である。
「ないわけがないだろう。君がいつ発情してもいいようにきちんと用意している」
「そーかよ……」
なんだかんだ言って、こいつは俺の身体のことをいつも最優先に考えてくれるのだ。
だから、たまに勘違いしそうになる。
姫宮から与えられる熱は、嘘なんかじゃなくて本物なんじゃないかって。
「まだ、理由がいる?」
「あ、当たり前だろ……俺らはそんなんじゃ、ねぇんだから」
横を向いたままぼそぼそと吐き捨てる。
「そうだね。じゃあ理由を作ろうか」
手のひらに手を重ねられて、そのまま花開くようにゆっくりと開かれた。
「今日はとても、あついから」
りィんと鳴いた虫の声と共に、涼やかな夏の風が堂に吹き込んできた。夏も本番が近づいて来てはいるが、今日は涼しくて比較的過ごしやすい日だった。
「僕は今、ものすごく汗を掻いている。わかるだろう? あつくてあつくてたまらないんだ」
姫宮の手のひらは、じっとりと濡れていた。
もしかしたら、いやたぶん、俺も。
「あついよ橘。君は……?」
ゆっくりと顔を近づけてくるくせに、あつくないと言ったら、こいつはあっさりと身を引くのだろう。
そんな風にさ。
ここまできて、あくまで俺に全てを委ねようとするおまえのその姿勢がさ。
「──あちィよ」
どれほど惨い行為か、こいつには一生、わかんないんだろうな。
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次回からR18シーンに入ります。
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