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落ちた花火──第71話*

 動きを止めた姫宮に、手を解放された。  姫宮が、ざっくりと前髪をかきあげる。 「ねぇ、橘。いい機会だ。この際だから話しておこうか」 「な、にを」 「君以外とのセックスのひとつやふたつ、その気になればいつでもできるんだよ。相手が誰であろうと、体は勝手に反応する。好きでも嫌いでもね。僕が誰かを抱くことも……それこそ、誰かに抱かれることだって、ね」  ひゅわっと、肺が嫌な音を立てて軋んでいく。 「君も今、実証済みだろう? 心と体は全くの別物だって」 「……ぁっ」  ぐるりと腰を回されて、強制的に引きずり出された快感に唸る。  今まさに宣言通りのことを実証されているのだとわかって、唇が戦慄いた。  好意がなくとも、俺のことは簡単に抱けるのだと。 「誰、それ」 「さぁね」 「俺の知ってるやつ?」 「君には死んでも教えたくないな」  ──死んでも、か。まるで体を、冷水に浸されたような感覚だった。 「僕が心から抱きたいと思ってるのはこの世で一人だけだ。他はいらない」  冷たすぎて頭の中がぼうっとする。  そっかァと、かくかくと何度か頷く。あまりの衝撃に、唇の端が引き攣った。 「そっ、か……好きな奴、いたんだな、おまえ」  そりゃあ、誰かとの仲を取り持とうとしてキレられるはずだ。 「好き? そんなの生ぬるいな」  両手で、頬をぐっと押し上げられる。 「近づく奴ら全員、嬲り殺しにしてやりたいよ」  それはまるでうっとりと、夢を見るような声で。 「友人も、知り合いも、家族も、全部ね」  最近流行りの、寒々しい恋愛ドラマみたいなフレーズ。  あんなの、創作の話だとばかり思っていたのに。 「もうそろそろ、限界なんだよ……橘」  ふらりと揺れた姫宮の頭が、首筋に落ちて来た。押し付けられた唇は人肌ぐらいの温度になっていて、ぼうっと木でできた天井を見上げる。  誰なんだろう、あの姫宮にこんなことを言わしめる人間は。 「そっ、か」  きっと素敵な人なんだろうな。αの美女か、それとも大学の誰かか。可愛い女の子かな。 「そうかぁ……」  ──これは言わないつもりだったのに、口から出てしまった。 「おれ、さ。由奈に告られたんだ」 「……へえ、付き合うの?」  肝心な時に姫宮の顔が見れないけれど、彼の声色は変わらない。  きっとそれが答えだ。 「付き合えるわけ、ねーじゃん……おまえと結婚、してんだぞ。ふせーじつだろ、そんなの」 「好きにするといいよ。君だって男だ。ヒートの時さえ誤魔化せれば、君も女性とお付き合いをすることぐらいはできるだろうからな」 「おまえは、それでいいの?」 「決めるのは君だ……僕は好きにする。君も好きにするといい」 (そうだ……そうだよ、俺こいつに、大嫌いって言われたんだ、7年前に) 「まあでも、僕以外の相手と身体の関係を持つのは難しいかもね。そこは諦めてくれ」 「わかってるっつーの、そんなの……想像した時、気持ち悪くなったし」  姫宮以外の誰かと身体を重ねる自分を想像して、吐き気までしたっけな。見ず知らずの女子高生に、逆ナンされた時だ。  もうずいぶんと、昔のことみたいだな。 「ふうん、想像したことあるんだ」 「……うん」  あーあ、あーあ……はぁ、あっぶねぇ。ひやひやしたわ。  だよなァ。姫宮の視線があんまりにも熱いもんだから、勘違いしそうになってたわ。  やっぱり俺たちの関係はただの義務なんだ。  俺はバカだ。姫宮が襲われそうになっていた俺を助けてくれたのは単に体裁が悪いからだ。仮に妊娠でもしちまったら、責任感の強いこいつのことだ、ガキごと俺を背負わざるを得なくなるから。  ずっと好きな人がいることを黙っていたのも、きっと俺に悪いと、思っていたからで。  ふいに零れ落ちそうになる涙を、気持ちだけで押し返す。 「おまえも、さ。好きなその子と……うまくいくと、いいな」 「……君に言われずとも、力づくで奪うよ」  今度こそ、姫宮の返答は潔かった。  代わりに、寒々しい笑みがほろりと零れた。  この外面野郎だなんて、姫宮のことを言えない。  俺だってこの7年間で、こんなにも簡単に、にせもののの笑みを浮かべられるようになってしまったのだから。  子どもン頃はよかったな。純粋な気持ちで毎日笑って、駆け回って、毎秒楽しくて。勉強はキライだったけど、姫宮が遊び仲間に入ってくれていたらきっと、もっと楽しかっただろう。  もしも姫宮と、友達になれていたら。  友達になろうと伸ばした手を、こいつに握り返してもらえていたら。 「そう、だよなァ……運命なんかじゃ、ねぇ、よな」  好いた相手がいる姫宮に、俺を抱かせずに済んだのに。  

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