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限界──第89話
「そんなに、俺が、嫌いかよ……」
顔に爪を立てて項垂れる。
「俺はおまえの、友達にすらなれねぇのかよ……」
本当は嬉しかったのだ。αの男たちから助けてくれた時、「僕の大事な友達」と言ってもらえたことが。
7年前に手酷く弾かれた、「友達になりたい」と伸ばした手。
その手にようやく触れてもらえた気がして。それなのに。
「本当に君は愚直で鈍いね。君と友達になんか死んでもなるものか……だって君は、僕のものじゃないだろう?」
やはり、今でも弾かれてしまった。もう乾いた笑みすら零れない。
「当たりまえ、じゃねぇか……俺は、誰のもンでもねぇよ」
「だろうね。知ってるよそんなこと」
冷笑ごと、吐き捨てられた。
「君が憎いよ。心の底から。君のことを捨ててしまえたら、どれほどいいか……そうしたら僕は、昔の僕に戻れるのにね……君のせいで。君が、いるから」
もう首は絞められていないというのに、息が吸えない。
「君なんか、一生僕に苦しめばいい」
酸素不足で頭がぼうっとしていた。頭が、回らない。今、目の前の男に何を言われているのかも曖昧で。
「それができないのなら──いっそ死んでしまえ」
それでも姫宮の声は、俺の耳によく響くのだ。
決定打、だった。
夏祭りの夜から胸に突き刺さっていた槍がついに貫通して、木枯らしのような風が、ぽっかりと開いた穴に吹きすさぶ。
わかっていた。もともと姫宮には嫌われていた。だからずっと不安だった。
おまえは、勝手に発情しておまえをこんな道に引きずり込んだ俺を、憎んでるんじゃないかって。
わかってた。でも今の一言は結構、キタ。
「は……はは……」
笑えた。笑えてよかった。
なんだ、「僕は君の」に続く答えは考えずとも目の前にあったんだ。
僕は、君のことを憎んでいる。これが正解か。いや、それとも「君のことを捨てたい」だろうか。
捨てたくても捨てられないとか、言ってたしな。
まあでも、どっちでもいいか。どちらにせよマイナスの感情であることは確かなのだから。
これが、姫宮の本音だ。
なんだ、こんなの喧嘩をするまでもなかったじゃないか。
死を望むほどに憎まれていたとは、知らなかったけど。
「まちがい、かよ……俺たちの関係は」
知りたく、なかったなぁ。
「なんだよ……おれをこんな体にしたのはおまえのくせに……あん時おまえが、理性総動員させて、自分を抑えてたら、こんなことにはっ……!」
でも、今ここで抱え込んでいた本音を吐露してしまうほど。
姫宮は本当の本当に、限界だったのだと思う。
「そうすればおまえはっ、おまえだって……今頃っ」
──俺なんかに縛られずに、自由に生きていけたのに!
「無理だよ。何度過去に戻ったとしても、僕は同じことをするよ」
瞬きをする。
「大人だって呼んでやらない。職員室にも駆けこまない。わき目もふらずにただ君を追いかける」
顔から手を離す。
「何度だって、何度だって。どんな邪魔が入ろうが、誰に憎まれようが、たとえ君が地の果てにでも逃げ込もうが、その口を塞いで手足を縛ってあの部屋に引きずり込む」
顔を上げる。珍しくシワついている姫宮の服が見えた。
「そして二度と扉が開かないように鍵をかけて、君の身体に僕という存在を叩きこむ」
ゆるゆると頭上を仰ぎ見る。
「何度だって君を探して、犯しにいくよ……」
それは真綿で包むような、柔らかい声だった。
姫宮は、真っすぐに俺を見ていた。
視線は1秒足りとも逸らされない。
「ああ、でも次は目を潰すかもしれないな。僕以外をその目に映さないように。喉も潰せば僕以外と会話もできなくなるね。それとも両足を折ってしまおうか。そうしたら君はどこにも逃げられない。僕の傍にずっといる」
「……な、に」
「君は笑わなくなったね、あの日から。でも、それでも……」
水気が足りないのか、姫宮の声がかすかに掠れる。
「君を、あの夏に閉じ込められたらよかったのに……」
息が、止まるかと思った。さっきとは別の意味で。
静かに腰を落とした姫宮に、ひくりと肩が上下する。伸びてくる腕に、動けない。長い指で額に張り付いていた前髪を梳かれ、手のひらでそっと頬を、空気を含むように包み込まれた。
その瞬間、ぞくりと得体の知れない熱が込み上げてきて。
「……ッ」
反射的に、姫宮の手を払いのけてしまった。
「ぁ……」
爪が姫宮の頬を掠め、引っ掻き傷を残してしまった。薄く伸びた赤い線からぷくりと血が盛り上がり、垂れる。
その赤を呆然と見つめ、緩慢な動作で、次に姫宮を見る。
「──僕が怖い?」
姫宮の揺れる瞳から、今度は俺が、目が離せない。
「それも、知ってるよ」
自嘲気味に吐き捨てる姫宮なんて、初めて見た。
俺が何も言えないでいると姫宮は立ち上がり、人通りの多いアーケードの方に消えてしまった。
俺は路地裏にへたり込んだまま。
ネオンの明かりに消えてしまった黒い髪の残像を、ぼうっと眺めていた。
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章の途中ではありますが、前編はこれにて終了です。
「君を、あの夏に閉じ込められたらよかったのに……」このセリフを姫宮に言わせたいがために、書いたお話でした。
布石をちりばめる話が続いてしまいましたが、ここまで読んでくださり有難うございました。
どうぞ最後までお付き合いいただけますと幸いです。
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