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限界──第90話
夜なのに、じめじめと蒸し暑い。
閑散とした裏路地を抜けて、重い足取りでとぼとぼと歩く。
いつのまにか、星の明かりはびかびかと煌くネオンに変わっていた。気付けば、背の高いビルがぎゅうぎゅうにくっつき合うクラブ街にいた。
上から下までびっちりと埋められた小さな看板が、明るい。
普段ならあまり近寄らない空間である。大学生らしき集団もちらほら見える。サークルか何かだろうか。
路上で盛り上がっている若い男の一人が、「インカレさいこ~!」と騒いでいる。
遠い、世界だった。
「あの、お兄さんちょっといいですか?」
黒いスーツを着た若い青年に声をかけられ、足を止める。
「めちゃイケメンすね。体験入店とかどーかな? TV映れるんで」
筋肉質なホストらしき青年に名刺を渡されそうになって、「あー、すんません」とへらりと笑って断ろうと思ったのだが。
「橘……おまえ、橘か?」
ん? と数秒考えこんでしまったのは、記憶と違って随分と精悍な顔つきになっていたからだ。まじまじ見て、「あー!」と声を上げて指をさす。
「もしかして太田か? 太田、春政?」
「そうそう、その太田! よく覚えてたな!」
丁度この前、話題に上がったばかりだ──さっき、俺を置いてけぼりにしていった男と。
「なんだよすっげー久しぶりじゃん! 小学校ぶり? 元気だったか?」
「元気だよ! うわびびったぁ、声かけたのが橘とか」
「それはこっちのセリフだろ! なにおまえ、ホストしてんの?」
「あー、まぁ、はぁい、片足突っ込みました」
健康的な肌色が眩しい。
筋肉もガッチリついていて、スッキリした刈り上げがいかにも体育会系という感じだ。
でも、耳や舌についているピアスのゴツさも相まって強面だが、豪快に笑う感じは変わってなくて嬉しくなる。
身長も、校庭にあった初代校長の銅像は超えているだろう。当たり前か。
「うはは、でも似合ってるぜその服」
「どーもな、おまえもいいじゃんその髪型」
太田がちょんと髪を指さしてきたので、だろ? と口を開けて笑い返す。
「飲み会の帰り?」
「あーうん、まぁそんなとこ」
「にしては酒臭くねぇな」
「俺酒飲めねぇんだわ」
「えっなんで」
露骨に驚かれたので、「病弱なんで」と曖昧に笑う。
「以外だな、毎晩飲み歩いてそうなのに……あ、そっか。なんかでかい病気したんだっけ、悪い」
頬を掻く太田に、へらりと笑って濁す。
「いやいいよ! もうだいぶ元気だしな、普通に生活できてるし」
7年前の事件は、表向き、俺が帰宅途中に気を失い一晩中草むらに倒れていたということになっている。激しい雨が降っていたので低体温症に陥り、生死の境をさ迷ったとかなんとか。
二か月近く学校を休んでいたので、信ぴょう性があった。
「じゃぁホストは無理か」
「あはは、だなぁ。あと大学生なんで」
「あ~それ聞いた時ウソだろって思ったわ、おまえ算数3点だったじゃん」
「は? おまえなんか13点だったろ。どんぐりの背比べってやつ」
「うっわ、なんか大学生っぽいことゆう~」
なんて、ふざけながら小突き合う。5年生の時も同じクラスで、学校に通えなくなるまでは放課後よく公園に集まってバカみたいに騒いでいた仲だ。
全く会えなかった期間がまるでウソみたいに、気さくに会話が出来る。
ぴかぴかと煌くネオンの下で、思い出話に花が咲いた。
「あのさ、そういやおまえの大学って姫宮も通ってるよな? 姫宮樹李」
思いもがけず出て来た名前に、一瞬反応が遅れてしまった。
「あーうん……いる、な」
「やっぱなぁ。びびったんだよ~、あの姫宮がなんで? って。結構噂にもなってさ。話したりすんの?」
「いや全然。構内広いし、つるんでる面子も違ぇからさ」
慣れてしまったウソを口にすれば、太田がえ、と意外そうな顔をした。
「マジかよ。ほらあの頃はさ、可愛い系の姫宮かカッコいい系の橘かってクラス二分してたじゃん」
「そ、うなのか……?」
「そーだよ、女子がよくおまえら二人人気投票してたんだぞ?」
「マジかよ……」
驚いた。
姫宮も似たようなことを言っていたけれど、まさかそんな感じだったとは知らなかった。
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