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喧嘩──第115話
*
カバンに顔にぎゅうっと押し付けたまま、由奈はひくひくと嗚咽を零していた。
じろじろと前を通り過ぎる学生に視線を向けられているのはわかっていたが、涙が止まらない。
これが失恋の痛みか。
ならば、しばらくは味わいたくない。
「……由奈、頑張ったね」
優しく背中を撫でられた。声の主はわかっているので顔は上げない。上げられる顔じゃない。ただでさえ朝からジメッとしていて室内でも暑いのに、とめどなく溢れる雫のせいでメイクはドロドロだ。
「ありがと、捺実……」
「見てたよ。大丈夫、ちゃんと気丈に振舞えてた」
「ほん、と?」
「うん」
優しい声に、鼻水まで出てきた。正直言うと、透愛の背中を押した時にはもう酷いことになっていた。透愛が振り向かないでくれてよかった。本当に、よかった。
やっぱり好きな人の前では、最後まで可愛い顔をしていたい。
これ以上透愛に、気を遣わせたくないし。
「ごめんね、来てくれてあり、ありがとう。一人じゃ、たっ、耐えられそうになくて……っ」
「いいって。私ももっと早くに話しておけばよかったわ。ごめん……どう伝えればいいかわかんなくて」
「ううん、いいよ。私だって捺実の立場だったら、困るもん」
親友の手を握れば、ぎゅっと握り返された。
「頑張ったね、本当に」
よしよしと頭を撫でられる。
本当に好きだった。初恋だった。毎晩毎晩、透愛のことを考えていた。LIMEの返信がきたらすぐにスマホに噛り付いて、でも秒で返しちゃうとウザがられちゃうかなって、数分待ってから返したりした。
シャワーを浴びながら、「今日、透愛の前で変なこと言わなかったかな」なんて一人で反省会をした。
頭を洗っている最中でも、ぴこんとスマホが鳴ったらすぐにお湯を止めて、確認した。
今でも透愛が好きだ。初恋は実らないというけれど、こんな形で終わりを迎えることになるとは思わなかった。
でも、何も知らないよりはよかったのかもしれない。
「……苦しい?」
「くる、しい」
色々な感情がぐちゃぐちゃになっていて、まだ整理がつかない。でも、一つだけ確かなことがある。
「わた、わたし、ね」
「うん」
──初めて好きになったのが、透愛でよかった。
捺実から渡されたハンカチに目頭を押し付けながら、口ごもる。
「……強いね、由奈は」
しゃくりあげながら親友を見る。「あ、酷い顔」なんて頬を突かれて笑われた。
捺実のこういうところに、いつも救われていた。
「ハンカチ、ごめんね」
「いいよいいよ、マスカラでもファンデでもチークでもなんでも擦り付けな」
「うん……」
「でも涙袋は死守してね、女の命だから」
「はは、そだね……」
「でもさぁ、今だから言えるけど、いくら悩んでも橘は無理だったよ。だってあれ、馬に蹴られて八つ裂きにされて殺されるよ?」
「馬どころじゃ、なくない?」
「お、じゃあなに?」
「蛇かな?」
「へび!」
「なんかネチネチしてたもん。丸呑みされるかと思った……それか女豹」
女豹! なんて手を叩く捺実につられて、「瞳孔開いてて怖かったよ」なんて、些細な悪口を続けてみる。
恐ろしい顔で酷いことを散々言われたんだから、これぐらいの仕返しは許されるだろう。
お気に入りのパンプスだって踏み潰されてしまったし。
透愛が怒ってくれていた。それだけが、救いだった。
「今日二人で宅飲みしよっ、茉莉花から教えてもらったんだけど、昨日の飲み会もすごかったんだって~」
「ふ、ふふ、そうなの?」
「そうそう、姫宮がバーン! ってテーブル叩いてさ」
身振り手振り、大げさに振舞ってくれる捺実にようやく笑みが戻ってきた。
遠くで雷が鳴る。
そういえば、今日の昼にかけて、局地的な雨が降ると天気予報では言っていた。
ぐちゃぐちゃ乱れた心を綺麗に洗い流してほしいと、由奈は空を見上げる。
きっと大丈夫。女子は、逞しいのだから。
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BL小説にあるまじき、受けに横恋慕する由奈のことを長々と描写してしまいました。
すみません、由奈が本当にお気に入りのキャラだったので。
本当に由奈は素敵な子です。
きっと、いい人が見つかると思います。
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