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喧嘩──第125話

 誓った、のに。  *  橘は徐々に徐々に回復し、何があったかを思い出していった。  兄と医者から説明を受け、パニックに陥ることもなく、発情したこと、僕に襲われたこと、僕と番関係になったこと、そしてΩ性になったことを理解し、騒ぎ立てることもなく受け入れた。  予想外に、淡々としていた。  あの夕暮れの病室で、僕に手を伸ばしてくれたことはすっかり忘れているみたいだったけれども。  関係が始まるにあたって、改めて双方の親を交えて顔合わせをした。  父は橘の兄に攫われたあと、顔を腫らして帰ってきた。橘の兄もそれなりに傷を負っていたので、一方的にやられたわけではなく両成敗というところだったのかもしれない。  しかしα性の男と対等にやりあえるβ性の男、という存在がそもそもおかしいのだ。  父は終始、橘や僕ではなく、橘の兄を気にしているようだった。  最初、橘は「これからよろしくな」と、それだけを言った。  そこに、僕に対する好意はない。 「ごめんな、こんなことになってさ……俺がヒートになんてなんなきゃな……マジで悪ィ。もらい事故じゃんな、おまえ」 「いや。僕が、教室にいた……行ったからだ」  こうなるよう仕向けたのは僕なのに、それが言えない。  お互いに下を向いていて、気まずい沈黙が続いた。 「なぁ、俺と、番解消しないでくれるか?」 「は?」 「いやぁー……はは、なんか俺さァ、おまえと……その、そういうコトできなくなったら、アタマおかしくなって死んじゃうんだってさー……」 「透愛」  気遣う兄に心配をかけないようにか、頬を掻いてにへっと笑った橘のそれは、以前とはまったく異なるものだった。  乾ききった笑みにしか、見えなかった。 「そういうふうに、お医者さんに言われてさ。だからごめん……俺のこと」  捨てないでいてくれると、助かる。静かにそう締めくくられた。 「そんなことはしない。僕が君を……」  守るから。その続きは言えなかった……どの口が。 「僕が君をそういう身体にしてしまったんだから、責任はとるよ、絶対に。だからそういった心配はしなくていい」  責任なんて口から出まかせだ。橘を苦しめておいて、こんな彼らしくない表情をさせておいて、僕は心の奥底では、彼と番になれた喜びを噛み締めていたのだから──やっぱり紛うことなき獣だ、僕は。 「僕は、君と生涯を添い遂げる覚悟がある……だから、君も」 「そっ……か! そかそか、うん、よかった。じゃあえーっと……まぁとりあえずよろしく、な……姫宮」 「……ああ、よろしく。橘」  彼が、僕の名前を呼ぶことは終ぞなかった。  お互いに目線を下げたままの、歯切れの悪い挨拶。  こうして、粛々と、僕と橘の関係は始まった。  *  それからしばらくして、橘は退院した。  一度、小学校に登校してきて友達たちに囲まれて、「きとくだったってマジ!?」「手術したって聞いたけど!?」「違うよてーたいおんしょーだよ!」「生きてた!」とわっと群がられていたし、橘も「ちょっとな~」なんてからっと笑っていた。  しかし、4限目の体育の授業で過呼吸を起こし、再び病院に運ばれた。  倒れる直前、彼の視線の先は用具室に向いていた。  僕はバスケットボールを手に持ったままで。  首を押えて蹲る橘に近づくことさえ、できなかった。  それっきり。  それっきり、だった。  僕は橘がいない灰色の卒業式を迎えて、中学に進学した。  *  僕は誓ったんだ。  もう二度と、橘を傷つけないって。  自分の感情を殺して、橘が僕に望んでいるであろう「姫宮 樹李」を作り上げていこうって。  橘にこれ以上憎まれてしまうのも、嫌われてしまうのも耐え難かったから。  年に数回、身体を繋げる関係。  ただ傍に、いられるだけでよかった。  ずっと、焦がれて焦がれて、焦がれ続けた。  橘のことだけを見てきた。  でも。  7年経っても橘は、僕を見てくれない。  橘の中に、僕はいない。  これから先も、ずっと──死ぬまで。  限界、だった。

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