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喧嘩──第126話
ああ、こいつマジで限界ギリギリだったんだなって。
そんなことがわかるような一発だった。
*
右頬に走った強烈なカウンターパンチに、今度は俺の方が盛大に後ろの植木鉢を巻き添えにしてぶっ倒れた。
床に、背中をしこたま強打する。
悲鳴を上げながら、大勢の学生がトレイを持って避難していった。
「い、ってェ……!」
「僕らしくない、だと? ああそうさ、君と出会ってから僕はずっと僕らしくない……君のせいで、僕の人生はめちゃくちゃだ!」
「はぁ!? それはこっちのセリフだろーが! こそこそ人の周り嗅ぎまわって言うだけ言ってトンズラか!? やることがいちいち女々しいんだよこの下まつ毛野郎っ」
「うるさい、クソは君だっ」
「俺のどこがクソだってんだ、お高くとまってんじゃねぇよ!」
「黙れ、この金髪!」
なんだそりゃ。ぎこちないお坊ちゃまの罵声に腹が立って、左頬にもう一発入れれば入れ返された。
クッソ重い、痛ェ。脳震盪起こしそう。ぐぅ、と痛みに呻くほどに後悔した。
──最初っから、こうすりゃよかったなってさ。
姫宮が俺の胸ぐらを掴んで、圧し掛かってきた。
姫宮は本気だ。だから俺も本気になれる。
これで君はか弱いΩだから~とか手加減されてたらブチ切れてた。今もキレてるけど。
あっという間に口内に溜まった血を、姫宮の顔面目掛けてぺっと吐き捨てる。
透貴譲り? の腕っ節舐めんじゃねえ。
「俺にキレんのは別にいい! でも俺たちの喧嘩に関係ねぇ誰かを巻き込むのは違うだろ、女の靴踏みつけやがって! それでも男かよっ」
今も物理的に周囲を巻き込んでしまっているが、それは置いておく。
「──はっ関係ない? どの口がっ、本当におめでたい男だな君は……汚いから踏んだんだよ! それの何が悪い!」
「はァ!? あいつのどこが汚いって──ッ」
「君に近づく生き物は全て汚い!!」
言い返すことも忘れて、唖然としてしまった。
「クソ、全部全部君のせいだっ、信じられない、どうして君のような無神経な馬鹿に……僕は……ッ」
姫宮の顔が、今度こそはっきりと歪んだ。
「どうすれば──どうすれば僕は、君の……ッ!」
わなわなと震えていた姫宮の唇が、静止した。そのまま閉じてしまう。
渦を巻いていたはずの炎が、すっと水に沈みこむように消えていく。
あ、ダメだと瞬時に察し、姫宮の胸ぐらを掴んで揺さぶる。
「怖がるな、言えよ!」
せっかく中心から引きずり出したんだ、下がらせてなるものか。
「おまえは何が怖いんだよ!」
「……怖いのは君だろう!」
「はぁ!?」
「僕を怖がっているのは君だ。君は僕を、憎んでるじゃないか……!」
「おまえなんか怖くねぇよバカ、憎んでもねぇ!」
本音だった。
だって姫宮、ずっと優しかった。
快楽の海に溺れてもがき苦しむ俺に、いつも丁寧に触れてくれた。確かに強引な日もあったけど、本気で拒めば必ず引いてくれた。
番なんだから当たり前だろって言われれば、そうなのかもしれない。
でも、俺はあの日の、恐ろしい姫宮を知っているから。
こいつがどれぐらい自分を抑えて抑えて、抑えて俺に触れてきていたのかってのは、もうわかってる。
俺だっていつのまにか、自分に圧し掛かってくる影の夢を見なくなっていたのも、本当なんだ。
本当なんだよ。
「嘘だ!」
「ウソじゃない! じゃあ俺がおまえを憎めば、おまえは楽になんのか!?」
姫宮が、目を見開いた。
「だったら……だったら死ぬまで憎んでやんねぇよ! だからもう、俺から逃げるなっ」
俺も逃げないから。姫宮の唇が、震える。
「うそ、だ……嘘だ! 僕が嫌いなくせに……!」
「なにガキみてぇな駄々こねてんだ!」
由奈の言った通りだ。これじゃあ姫宮は、自分の気持ちを抑えきれず癇癪を起している子どもそのものだ。
ずっとずっと、そうだったのか。
俺の見えないところで、こいつはいつも。
ひとりで?
「ざけんな、人の気持ちを勝手に決めてんじゃねぇ! 嫌い……嫌い? じゃあ正直に言ってやるよ。耳の穴かっぽじってよく聞けよ!」
いつのまにか外は土砂降りになっていた。
公道に面している窓は全面ガラス張りなので、叩きつけてくる雨粒とどこかに落ちる雷のせいでぶるぶると揺れっぱなしだ。
正直、この激しい雨音が嫌だっけれど、今はなんとも思わない。
アドレナリン、出まくってんのかな。
「おまえといるの……すっげぇ疲れるよ。だっておまえいっつも機嫌悪ィし、なんか怒ってるし、嫌味大王だしっ、おまえと顔合わすと口喧嘩ばっかで全然楽しくねぇし!」
俺は、大雨にも負けないくらいの声量で叫んでいた。
そうでもしないと、この分からず屋には届かないから。
「でも俺はっ、おまえの傍にいて嫌だったことなんて、一度もねぇよ……!」
それでも姫宮は、俺を信じようとしない。
「──君の未来を奪ったのは、僕だろう!」
そうかよ! それが、おまえの後ろめたさだって言うんなら。
俺の目が、ますます据わる。
「……じゃあこうしてやるよ」
姫宮の腹を蹴り上げて、今度は俺が姫宮を床に押し倒す。
「いいか! おまえは回数覚えてねぇっつったけどな……俺はこの通り、しっかり、覚えてんだよっ」
そのまま平手で右に一、二発入れた。
かなりの力だったので姫宮が痛みに呻く。
間髪を入れず、裏拳で左に三発目をお見舞いし、そして最後に拳で四発目をたたき込んだ。
本気で。拳ぶっ壊れるんじゃないかって思うぐらい。
これでようやく、さっきの合わせて。
「全部で七発──7年前のぶんだ、わかったか!」
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少年漫画でよくみかける友情パンチ(?)を書きたくて。
話し合いなんて乱暴な、ここは穏便に暴力で…的な。章の最後はドーンとなります。
殴る権利があるのは俺だけだって、事あるごとに透愛もよく言ってましたもんね。
その通りだと思います。
少なくとも透愛のスタンスはこれです。
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