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喧嘩──第127話

  「これで、腹割って話せるよな。全部チャラだ──そうだよ、俺は確かに奪われたよおまえに! でも、でもっ、奪われたことで俺は変わったのか!?」  姫宮の喉が、喘ぐように震えた。 「答えろよ、俺の本質は、変わったのかよっ」 「……変わって、ない」  姫宮が、ゆるゆると首を振る。 「変わってない……君は、あの頃から何一つ、変わらない。だから僕は、君の」  でもどうして、なんで、そこで止まるんだ。 「──言えよ! なにやられっぱなしになってんだよっ、おまえはそんな弱っちい奴じゃねーだろ! 俺の知ってる姫宮はなぁ、強引で傲慢でっ、態度がでかくて、自分勝手で自己中で、どうしようもなく性格の悪い、冷たい男だッ! 違うのかよ、そうだろ! なにしおらしいフリしてんだよっ、ぶってんじゃねぇ! こんなんじゃ全然、喧嘩できねぇじゃんかぁ……っ」  胸倉を揺さぶってやろうと思ったけれど、力を込められなくなった。殴り過ぎた。  弱々しく、姫宮の顔の横に拳を叩きつける。何度も……何度も。 「おまえは……何が、限界なんだよ……なぁ」  俺に死んでしまえと、切に願ってしまうほどに。  もうずっと、お互いにお互いがらしくなかった。でもそれは今日で終わりにしたい。  どうしておまえは、俺のことを孕ませたいって思ったんだ。  過去に戻っても、同じことをするって、俺のことを追いかけるって。  俺をあの部屋へ引きずり込むって、二度と開かないように鍵をかけるって。  目をつぶす喉を潰す両足を折るって何度だって俺を探して犯しにいくって。  そう、言ってたのに。なんで肝心なことは何も、言ってくれないんだ。 『いくらでも抱かれてあげるよ、これも番の義務だからね。それで君の気が済むのなら。今すぐホテルにもでしけこもうか?』  バカ野郎と、首を振る。  俺はおまえを抱きたいんじゃない。  俺はおまえに──おまえに、昔みたいな激しさで、抱かれたいのに……! 「言えよ、姫宮。おまえの本当を言え──……樹李!」  俺はおまえの、嵐に触れたいんだ。   「……だからなんで、こういう時ばっかり、名前で呼ぶのかな……」  それは、飲み会の席で聞いた時と同じくらい消え入りそうな声だった。 「ずっと、呼んでくれなかったくせに」 「……おまえだって、俺の名前呼ばねえじゃねえか……」 「君が、忘れてるから」 「なにを、だよ」 「……昔の君は、そんな笑い方しなかった」 「そーかよ……そうだろうな」  ぽつぽつと俺は力なく笑って、項垂れた。  今日は交通量が多いはずなのに、ガラス窓の向こうを横切る車の走行音は急激な雷雨にかき消されている。俺たちの言い合いも、屋根を叩き潰しにかかる濁流のせいで、今はところどころがブツ切りだろう。  聞こえてるやついるのかな、近くにいれば聞こえるか。  でももう、場所なんて気にしていられない。  由奈の言った通りだ。  こんな人前じゃダメだってわかっていても、想いが溢れて、止まらないのだ。 「……昔の君の声、仔犬みたいだった」 「は?」 「髪は、少し茶色っぽくて、毛先が跳ねてた。目も、僕とは違ってブラウン系で……黒いランドセルは、少し剥げてて、頬は、お餅みたいに柔らかそうで」 「お、い」 「臍は、ちっちゃくて、唇はサクランボみたいに赤くて、腕は細くて、日に焼けて……スニーカーは蛍光色で、目に、痛くて」 「ひめみや?」 「君の八重歯は、可愛くて」  今度は俺が瞠目する番だった。  可愛いだって? そんなの7年ぶりに言われた。 「君はキレイで、まぶしかった」  キレイも、だ。  姫宮は、力なく目を閉じた。 「──まぶしいままで、閉じ込められたらよかったのに……」  観念、したかのように。 「蝉の声が嫌いなんだ……君を壊した日を思い出す。君の苦い涙を、思い出す……」  姫宮が、すうと息を吸って、目を開けた。 「僕は……あの日教室にいた。君が戻ってきたのに気づいて、教室から出て、中の様子を伺った。君が、逃げて……僕は君の私物を拾って、窓を閉めて、ズレた机と椅子を元の位置に戻して、教室を出た」  それは記憶の水面を、音もなくすべるような掠れ声で。 「何度か大人とすれ違った。だから、姿を見られないように隠れて、息を殺しながら君を、追いかけた。君が脱ぎ捨てた緑色のスニーカーを見付けて、それも隠した。君の真似をして、君のスマホから透貴さんに連絡を入れた……そうして君が学校にいることがバレないように、偽装工作をした」

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