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一人じゃない──第134話
「駄目だ、頭動かすな!」
咄嗟に姫宮の頭を抱え込もうとしたら止められた。
「でも、血が! ひめ、ひめみや、姫宮……ッ」
「落ち着くんだ、おまえも怪我してるんだぞっ、無理に動いちゃ駄目だ!」
「う……」
風間に言われて初めて、額がズキズキと痛んでいることに気付いた。
「うわ、血ィ!」
「風間さん、これタオル!」
ひっくり返った椅子を飛び越えた綾瀬が、痛む額に白いタオルを押し付けてくれた。どうやら額がぱっくり切れているらしい。
道理で視界が濁っているはずだ。
周囲の人たちが、姫宮の頭にタオルを押し付けるが、血は絶えず溢れ続けた。
白いタオルには、すぐに赤が沁み込んでいく。
止まらない。
嵐の中、隣接する大学病院から医療関係者が駆けつけてくれるまで、俺は成す術もなく姫宮に縋り付いていた。
*
突っ込んできたのは、トラックではなくタンクローリー。
持病の発作で事故を起こした運転手は、エアバッグが作動し大事には至らなかったらしい。
真っ赤なタンクローリーはカフェテラスから、食堂を斜めに横切って追突した。10秒にも満たない、事故だった。
そして大きな事故だったというのに、死亡者はゼロ。俺と姫宮が食堂のド真ん中で派手な殴り合い始めたため、多くの学生が端に避けていたことも幸いしたようだ。
怪我人もほとんどが擦り傷や打ち身、酷くて骨にヒビが入る程度で済んでいた。
一人を、除いて。
「橘、ちょっと休めって、な? おまえも怪我してんだから」
長椅子に腰かけたまま、ふるりと首を振る。
いまだに激しい雷が、ぴかりと白いロビーを照らした。
隣接する大学病院のロビーなので、手当を終えた数十人の学生がここで待機していた。俺も、車体が吹っ飛ばしたガラスで右目の上がぱっくり裂けていたが、ちゃっちゃと傷を縫われガーゼを貼られた。
そこまで深い怪我ではなかったので、血はすぐに止まった。
でも、そんなのはどうだっていい。
姫宮。
今、姫宮は処置を受けている。
もしかしたら手術に、なるかもって。
「あんたのせいで、姫宮くんが!」
「はぁ? 橘のせいじゃないだろ!」
「だって、こいつを庇ったせいで姫宮くん怪我したんだよっ」
「橘を庇ったのは姫宮の意思じゃん。別に他人のおまえらに関係なくね」
「なっ、橘だって他人でしょ!?」
「そうだよ。そもそも橘くんが姫宮くんに急に殴りかからなかったら、こんなことには──」
頭の上が騒がしい。誰かが何かを喚いている。女子が、全員ボロボロ涙を流している。みんな姫宮が心配なのだろう。俺もそうだ。
でも、涙が出てこない。実感が無いわけじゃないのに、どうしてだろう。
姫宮、意識なかった。呼びかけても反応なかった。血がいっぱい出てた。
唇を、ぬぐう。血の気の失った指に乾いた血がこびりついた。
これは姫宮に殴られてできた傷じゃない。
キスされながら後ろに倒れたので、勢いのあまり姫宮の歯が当たって、唇が切れたのだ。
姫宮。
なんで庇った。なんであの状態で、俺にキスした。
俺がタンクローリーにぐちゃぐちゃにされることなく軽傷で済んだのは、姫宮があの体勢から俺を抱きかかえてくれたからだ。
その代わり姫宮は自分の頭を庇えず、ひっくり返ったオブジェの植木鉢に頭を打ち付けて怪我を負った。
姫宮と殴り合っている時、俺が巻き添えにして倒してしまったやつだ。
こいつらの言う通りだ。
姫宮に何かあったら、俺のせいだ。
「姫宮さんのご家族の方はいらっしゃいませんか、ご家族の方ー!」
重い頭を持ち上げれば、医療服を着ている男性が声を張り上げていた。透貴と義隆の二人に連絡を入れたが、二人とも揃って県外だ。
それに、この激しい天気。ここに到着するまでまだ時間がかかる。
ふらりと、立ち上がる。
「お、おい、橘?」
困惑気な瀬戸の声に答えることなく、男性の傍へ向かおうとすると、斜め下からぐいっと腕を引っ張られた。
虚ろに見下ろせば、女に腕を掴まれていた。
「あのね、お話し聞いてた? ご家族の方って言ってたでしょう?」
この敵意剥き出しの顔、誰だっけ。
「橘くん、混乱してるのね? 姫宮くんとどういう関係かは知らないけど、ご家族の方じゃ、ないでしょう? あんまりそういうことしてると、姫宮くんの本当のご家族にも迷惑がかかっちゃうと思うな」
あまりにもどうでもよすぎて、振り払おうとする。
しかしカチンと来たのか、また腕を掴まれて何やら小言を言われた。
「出しゃばりたくなる気持ちはわかるけど、今は大人しく座ってた方がいいんじゃないかなぁ!」
煩い。うるさい。五月蠅い。誰だよおまえ。怒鳴りつけてやりたいけれど、縫合時の麻酔と痛み止めのせいで頭がぼうっとする。
──姫宮。
心臓が潰れそうに痛い。
呼吸を繰り返し、あいつの名前を喉の奥で呼ぶだけで精一杯だった。
「あの、姫宮さんのご家族の方でしょうか……?」
何やらもめている俺たちに気付いた男性が、近づいてきた。
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