134 / 227

一人じゃない──第134話

「駄目だ、頭動かすな!」  咄嗟に姫宮の頭を抱え込もうとしたら止められた。 「でも、血が! ひめ、ひめみや、姫宮……ッ」 「落ち着くんだ、おまえも怪我してるんだぞっ、無理に動いちゃ駄目だ!」 「う……」  風間に言われて初めて、額がズキズキと痛んでいることに気付いた。 「うわ、血ィ!」 「風間さん、これタオル!」  ひっくり返った椅子を飛び越えた綾瀬が、痛む額に白いタオルを押し付けてくれた。どうやら額がぱっくり切れているらしい。  道理で視界が濁っているはずだ。  周囲の人たちが、姫宮の頭にタオルを押し付けるが、血は絶えず溢れ続けた。  白いタオルには、すぐに赤が沁み込んでいく。  止まらない。  嵐の中、隣接する大学病院から医療関係者が駆けつけてくれるまで、俺は成す術もなく姫宮に縋り付いていた。  *  突っ込んできたのは、トラックではなくタンクローリー。  持病の発作で事故を起こした運転手は、エアバッグが作動し大事には至らなかったらしい。  真っ赤なタンクローリーはカフェテラスから、食堂を斜めに横切って追突した。10秒にも満たない、事故だった。  そして大きな事故だったというのに、死亡者はゼロ。俺と姫宮が食堂のド真ん中で派手な殴り合い始めたため、多くの学生が端に避けていたことも幸いしたようだ。  怪我人もほとんどが擦り傷や打ち身、酷くて骨にヒビが入る程度で済んでいた。  一人を、除いて。 「橘、ちょっと休めって、な? おまえも怪我してんだから」  長椅子に腰かけたまま、ふるりと首を振る。  いまだに激しい雷が、ぴかりと白いロビーを照らした。  隣接する大学病院のロビーなので、手当を終えた数十人の学生がここで待機していた。俺も、車体が吹っ飛ばしたガラスで右目の上がぱっくり裂けていたが、ちゃっちゃと傷を縫われガーゼを貼られた。  そこまで深い怪我ではなかったので、血はすぐに止まった。  でも、そんなのはどうだっていい。  姫宮。  今、姫宮は処置を受けている。  もしかしたら手術に、なるかもって。 「あんたのせいで、姫宮くんが!」 「はぁ? 橘のせいじゃないだろ!」 「だって、こいつを庇ったせいで姫宮くん怪我したんだよっ」 「橘を庇ったのは姫宮の意思じゃん。別に他人のおまえらに関係なくね」 「なっ、橘だって他人でしょ!?」 「そうだよ。そもそも橘くんが姫宮くんに急に殴りかからなかったら、こんなことには──」  頭の上が騒がしい。誰かが何かを喚いている。女子が、全員ボロボロ涙を流している。みんな姫宮が心配なのだろう。俺もそうだ。  でも、涙が出てこない。実感が無いわけじゃないのに、どうしてだろう。  姫宮、意識なかった。呼びかけても反応なかった。血がいっぱい出てた。  唇を、ぬぐう。血の気の失った指に乾いた血がこびりついた。  これは姫宮に殴られてできた傷じゃない。  キスされながら後ろに倒れたので、勢いのあまり姫宮の歯が当たって、唇が切れたのだ。  姫宮。  なんで庇った。なんであの状態で、俺にキスした。  俺がタンクローリーにぐちゃぐちゃにされることなく軽傷で済んだのは、姫宮があの体勢から俺を抱きかかえてくれたからだ。  その代わり姫宮は自分の頭を庇えず、ひっくり返ったオブジェの植木鉢に頭を打ち付けて怪我を負った。  姫宮と殴り合っている時、俺が巻き添えにして倒してしまったやつだ。  こいつらの言う通りだ。  姫宮に何かあったら、俺のせいだ。 「姫宮さんのご家族の方はいらっしゃいませんか、ご家族の方ー!」  重い頭を持ち上げれば、医療服を着ている男性が声を張り上げていた。透貴と義隆の二人に連絡を入れたが、二人とも揃って県外だ。  それに、この激しい天気。ここに到着するまでまだ時間がかかる。  ふらりと、立ち上がる。 「お、おい、橘?」  困惑気な瀬戸の声に答えることなく、男性の傍へ向かおうとすると、斜め下からぐいっと腕を引っ張られた。  虚ろに見下ろせば、女に腕を掴まれていた。 「あのね、お話し聞いてた? ご家族の方って言ってたでしょう?」  この敵意剥き出しの顔、誰だっけ。 「橘くん、混乱してるのね? 姫宮くんとどういう関係かは知らないけど、ご家族の方じゃ、ないでしょう? あんまりそういうことしてると、姫宮くんの本当のご家族にも迷惑がかかっちゃうと思うな」  あまりにもどうでもよすぎて、振り払おうとする。  しかしカチンと来たのか、また腕を掴まれて何やら小言を言われた。 「出しゃばりたくなる気持ちはわかるけど、今は大人しく座ってた方がいいんじゃないかなぁ!」  煩い。うるさい。五月蠅い。誰だよおまえ。怒鳴りつけてやりたいけれど、縫合時の麻酔と痛み止めのせいで頭がぼうっとする。  ──姫宮。  心臓が潰れそうに痛い。  呼吸を繰り返し、あいつの名前を喉の奥で呼ぶだけで精一杯だった。 「あの、姫宮さんのご家族の方でしょうか……?」  何やらもめている俺たちに気付いた男性が、近づいてきた。

ともだちにシェアしよう!