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一人じゃない──第138話

『透愛。ちゃんと周りを見て?』  由奈のあの一言が、今になってじんわりと心に染みこんできた。彼女の言った通りだった。みんな何一つ変わらない。  俺は一体、何に怯えていたんだろう。  ずっとずっと、世界でひとりぼっちだなんて感傷に浸って、自分で自分の首を絞めていただけだ。  人のことばっかり気にしてるって言われたけど、全然違ぇわ。俺、自分のことしか見えてなさすぎじゃん。  ぐいっと、涙を腕で拭う。 「うっわ、おまえ鼻水出すぎだろ、汚ぁ!」  ずずっと鼻水をすすれば瀬戸に突っ込まれ、「ほら、これで拭けよ」と風間からは花柄のハンカチを渡された。  いや風間さん、そこは普通ティッシュじゃね? 「ああ、ごめん。お母さんので柔軟剤使ってるから余計鼻水出ちゃうかもな……ティッシュティッシュ」  全く別方向の心配をし始めた風間が、慌ててティッシュを取り出し始めた。でももう、俺は鼻を思い切り押し付けてぶびーっと鼻をかんでしまっていた。 「おお、音がすごいな! いいぞ、いっぱい出たな。こういうのは出せ出せ。膿だ膿。柔軟剤の効果かな」  それでも風間は怒らない、心配してくれる。優しい……ちゃんと洗って返そう。 「……あいつタフそうじゃん」  綾瀬が、スマホをポケットにしまった。彼の言う「あいつ」とは、姫宮のことだろう。 「大丈夫だろ。殺しても死なないって。てか、おまえ置いて死ななそう」 「あ、それわかるなぁ」 「てかさーっ、墓場から這い出てきそうじゃね?」 「やめろそれ死んでるわ」  不思議だ。ひょうひょうとした綾瀬にそう言われて、それをみんなに肯定されると、なんだか大丈夫な気がしてきた。 「異世界転生の線も無きにしも非ず」 「うーん、姫宮だったら、魔王とかに転生してそうだよなぁ」 「魔王って……いや、ぽいわ……な、橘!」  好き勝手言う奴らに、ぐいっと両肩に腕を置かれて顔を覗き込まれる。  右から、左から、そして前から。   「……魔王は、ねぇべ」 「いやあるだろ、姫宮サマだぞ姫宮サマ」  しみじみ頷く三人に、ついにふへ、と笑みが溢れた。 「わり……みんな、ありがとな。おまえらのこと、俺大好きだわ」  3人の俺を見る眼差しは、等しく優しかった。  αでも、βでも、Ωでもない。  橘透愛という、ただの『俺』を見てくれている目だった。 「俺も好きだぞ、橘のこと。あ、これからは姫宮って呼んだ方がいいのかぁ?」 「うっわヤダ、俺一生橘って呼ぶ! べっつにさ、おまえが俺らのこと大好きってのは、生まれた時から知ってるっつーの!」 「まだ知り合ってなくね。幻覚? 病院行く?」 「気持ちの話だわ」 「そうだぞ、病院はここだ」  ああだこうだ言い始める彼らに囲まれながら、また、柔軟剤の匂いが強いハンカチで鼻をかんだ。  べちょっと溢れて、鼻水がやっぱり止まらない。  涙が、バカみたいに出てくる出てくる。  でも俺はこの日初めて。  やっとまともに、肺いっぱいまで空気を吸うことができた。    病院玄関の外で、ぽつりと、最後の雫がアスファルトに落ちる。  誰かが入ってくるたびに、定期的に開いて風が吹き込んでくる玄関から、雨上がりの匂いが運ばれてくる。  救急車の音も聞こえる。  生きようとする力の音の逞しさ。  夏の緑の匂いが、命の匂いがここにはある。  ──雨が上がるよ、姫宮。  ─────────────────────  透愛が一人じゃないってようやく自覚できました。  よかったです、本当に。友情は永遠です。  透愛目線のお話、もう少し続きます。  次の更新も宜しくお願いいたします。

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