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一人じゃない──第140話
まず、結論から言うと、姫宮は大丈夫だった。
*
頭皮がぱっくり裂けたので出血はしたが、頭蓋骨は無事。気を失っているのは脳震盪で、内出血もなし。
ただし睡眠不足も続いていたらしく、麻酔の影響で今夜は昏々と眠るだろうと。
「でも、血が、いっぱい出たんです」
と震える声で訴えたのだが。
『ま、頭皮は大量に出血しやすいですからねぇ、ガラスも散乱してたみたいですし。縫っときましたんで大丈夫ですよねぇ』
壮年の医者にさらりと告げられ、へなへなと足から力が抜けた。
義隆は、ほらみたことかとニヒルに笑っていた。
また、この大学病院の理事長が義隆と懇意だったらしく、俺と姫宮の入院部屋はしっかりと用意されていた。姫宮はともかく俺は入院する必要はないのだが、義隆に強引に決められた。
頭を打ったんだから安静に、と。
しかも通されたのは、いわゆるVIPルームというやつで。電動ベッドだし、窓はでかいしリビングや洗面室もシャワー室もあるやらで、モダンなインテリアに満ちた雰囲気は俺の知ってる一般的な病室じゃなかった……もはやホテルだ。金持ちだ。
わかってはいたけれども、やっぱり金持ちだ。
「透愛、少し寝たら?」
「うん……でもここ、なんかすげーから、落ち着かなくてさ」
それに、ほんのりと消毒液の匂いがするベッドは、7年前と違ってとても柔らかい。
ちょっと腰を上げても軋まない。
「確かにそうですね。こんなところ、私も初めて入りましたよ」
「だよな、その……姫宮、は?」
「目は、まだ覚めていません」
「そっか……」
「でも、あと1時間ほどでここに移るそうです」
「うん、よかった……」
「だから少し安心して、眠りなさい」
「……ん」
額に添えられた透貴の手はあたたかくて、とろとろと瞼が重くなる。そういえばガキん頃、風邪を引いた時はいつもこうしてくれたっけ。
でも頭はやけに冴えてしまっていてなかなか寝付けない。
ああ、そういえば徹夜したんだったな。
ここ数日、というか丸一日で起こった出来事をふわふわした脳内でまとめてみる。
義隆に姫宮とのことを相談して、愚痴って。
姫宮が飲み会に来て、言い争いになって、みんなにバレて、あいつからぶつけられた感情にこんがらがって、夜の街徘徊していたら同級生と出会って、なんか目から鱗で。
朝、家に帰ったら透貴とも喧嘩しちまって。
でもそこで、あいつに対する自分の想いに気づくことができて。
由奈の告白をちゃんと断ったというのに、俺の方が勇気づけられて、背中まで押してもらって。
心機一転、ここから全部、一からスタートしてやる! って気持ちで姫宮に全部ぶちまけて大喧嘩して、お互いわぁわぁぎゃぁぎゃぁ騒いでボコボコんなって……それでもやっと、本当の意味であいつと同じ目線に立つことができたと思ったら。
突っ込んできたタンクローリーに跳ねられて、姫宮は昏睡。
俺、負傷。
しかも人前で姫宮との関係、暴露しちまったし。美月って女の子は、なんかふらふらしながら母親に連れられて家へと帰っていった。他の子たちも同様に。
これから噂になるんだろうな。まぁそれは別にいい、覚悟していたことだ。
──ただ、1日で色々起こりすぎじゃね?
漫画じゃねーんだからさ。
事実は小説よりもうんたらって、このことかな。
『事実は小説よりも奇なりだ、橘。そんなこともわからないのか? 君は大学生にもなって、一体どんな勉強を……』
なんて、腕を組んで眉をひそめるあいつの呆れ声が聞こえてきそうだ。くどくどと、お説教もどきが始まる時もあったから。
なんだか10年分が一気に過ぎてしまった気分だった。
今度、お祓いでも行こうかな。
「やっぱり、眠れませんか?」
「うん、ちょっとな……でも大丈夫」
静かに笑う。笑みを作ったつもりはなかったのだが。
「……ごめんなさい」
「え?」
「透愛が苦しい時に、そばにいてられあげられなくて。どうして私はいつも、こうなんでしょうね……」
自嘲気味に笑う透貴を、見る。
「……なぁ、透貴」
「はい?」
「俺な、姫宮と喧嘩したんだ」
「喧嘩、ですか?」
「うん。で、ブン殴られた。本気で」
「え」
「この痣、姫宮の拳の痕。今回の事故とは関係ねーよ」
「え!?」
透貴が目をひん剥いて立ち上がりかけた。
「でもな、俺もタコ殴りにしてやった。しかも7年分な。俺、透貴の弟なんだな……すっげぇ綺麗な一発入ったんだ~見せたかったな……あいつ、ガキみたいにびーびー泣いてたぜ。ボクシングでも始めよっかな」
ふふ、と笑えば、腰を上げた透貴が再び椅子に座り直した。
「……少し、昔の話をしましょうか」
透貴が、窓の外に視線を移した。明るい月の下に、チカチカ輝く星が見える。
「私ね、若い頃ちょっと荒れてたんです」
「……ん、だってな」
「今となっては馬鹿なことをしたなぁと思うんですけど、当時は何もわからなくて。両親にも、迷惑をかけました。正直言うと、彼らにはあまりいい思い出はないですが……あの二人の元に生まれたおかげで、あなたに会えた。そこだけは感謝しています」
両親のことは、何も覚えていない。顔も、声も。物心つく前には逝ってしまった。
あまり、よくない死に方だったと透貴からは聞いたことがある。親類との縁も、親の代から切れている。
色々あったのだろう。透貴が、荒れに荒れていたくらいだし。
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