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一人じゃない──第141話

「生まれたての透愛は本当に小さくて……私の指をね、きゅっと握ったんです。あなたはあまり泣かなくて、ず~っとニコニコしてて……笑った顔が、本当に可愛くてね」 「今もだろ?」 「こら、茶化さないの。その通りですけど」 「はは」  俺を可愛いと言ってくれるのは、透貴と……あと、姫宮ぐらいだ。 「……二人が亡くなって、真っ当な道に戻って両親に代わってあなたを立派に育ててみせようと、決心しました」  親がいなくとも寂しい思いをしなかったのは、愛情深く育ててくれた透貴のおかげだ。  運動会も、学芸会も、授業参観も、いつもいつも来てくれた。 『おまえのとーちゃん若いな』 『カッコいい』 「にーちゃんだって!」  なんて、友達に驚かれるのが自慢だった。  俺の誕生日だって、毎年手作りのケーキでお祝いしてくれた。  質素なアパートのでの慎ましやかな生活ではあったけれど、俺と透貴の部屋には、思い出がいっぱい詰まっている。 「──でも、私はあなたを守れなかった」  透貴の瞳が、過去の痛みに揺れた。 「……土砂降りの中、探し回りました。あの見えにくくて深い用水路に落ちてなくてよかった。川に、流されていなくてよかった。不審者に攫われていなくてよかった。でも、でもあなたは、もっと酷い目に、あっていた……」  透貴の視線が、ナイトテーブルに移った。ちらりと輝く、俺と姫宮の指環。 「いい子たち、でしたね」 「うん、自慢の親友なんだ。みんな」  あのあと、瀬戸たちが姫宮の指環を探し出し持ってきてくれたのだった。チェーンは見事に粉砕されて粉々になってしまったらしいけれど、本体はつぶれた自販機の下に転がっていたらしい。  しかも驚くべきことに傷一つなかったって。  ついで、瀬戸に勝手に値段を調べられて、「ヤバくね!?」と血相を変えて報告された。  俺も首裏がひゅっとなった。なにしろそれはアルミラ=レテというブランドもの。  しかもたぶん、特注。  最初はホテルみたいな病室にテンション爆上がりしていた瀬戸も、こらこらとそんな瀬戸を落ち着かせていた風間も、ふーんなんて顔をしていた綾瀬も含めて、4人でヤベェヤベェって言い続けた。  そういや、笑いじゃなくて驚愕でバイブレーション化する綾瀬は初めて見たな。  それになんか聞いたことあるな、と思ったら、あれだ。夏祭りの男どもも口にしていたブランド名だったからだ。この指輪のおかげで、ああ見えて金持ちで目利きだったあいつらも一瞬止まったんだっけ。  でも、そりゃ止まるわ。  なにしろ想像していたよりゼロがいっこ多かった。  そこそこの高級車一台、買えんじゃねぇかよ。  起きたらあいつに「バカ」って言ってやろ。俺に、なんてものよこしやがんだって。  あーあ……言いたいことなんて、まだまだ山ほど、つか死ぬほどいっぱいあるのにな。  ここんところずっと、シカト、しまくっちまってたからな。 「透愛と仲良くしてくれてありがとうと、伝えておきましたよ」 「えー、ハズイってぇ」 「何を言うんですか。透愛の大事な人は、私にとっても大事な人なんですよ?」  やんわりと微笑んだ透貴の笑みは、少し寂しそうに見えた。 「……7年前ね、病院に駆け付けた時……ベッドに横たわっていたあなたの姿が、忘れられません」 「うん」 「一晩中、傷だらけになるぐらいαの子どもに……レイプされたと聞いて、嘘じゃないかと思いました。無理矢理、Ω性にされたということも」 「……うん」 「怖いって泣いて、痛いって叫んで、髪をかき毟って、髪を引っこ抜いて……身体中をかき毟って、血が出ても、やめてくれなくて……助けてって私に縋るあなたが、忘れられません」  この7年間、俺を思ってくれていた透貴を、想う。 「医者にも言われました。透愛は、一生このままかもしれないって。αによる性暴力は、Ωの精神を狂わせるから……本能的なものだから仕方がないんだって。そんなことって、ありますか? 毎日毎日、日を追うごとにおかしくなっていくあなたに……私の方が死ぬと思いました」 「──うん」 「どうしてこんな目にあったのが、小さなあなただったんだろうって。私だったらよかったのにって……どうしてって。あなたの精神の強さにかけるしかない自分が、あまりにも無力で」  きっと俺が透貴の立場で、俺が透貴だったら、俺も死ぬと思う。  姫宮を憎む。  心の底から憎む。 「彼を憎みました。今でも、憎んでいます。きっと一生、樹李くんを、憎んでしまいます……」 「わかってる」  でも、俺は透貴じゃないし、透貴も俺じゃない。 「──でも、透愛の大事な人は、私にとっても大事な人です。これも、本当なんです」  それはもう透貴も、わかっているのだろう。 「今回、彼があなたを庇ってくれたことには、心から感謝しています。私の宝物をあの子は守ってくれた。どんな理由であれ、それは事実ですから」  ──透貴にはもっと、自分の人生を大事にして欲しいと思っていた。透貴の擦り減った八重歯を見るたびにそう思う。  7年前の事件にずっと縛られているのは俺ではなく、透貴の方だ。  透貴が、鞄の中から何かを取り出して渡してきた。 「えと、これって」 「通帳です。あなたのために貯めました」  え、と透貴の顔を見る。見てくださいと言われたのでそろそろと確認すると、驚くくらいの額が入っていた。 「なに、これ」 「大学を卒業したらあなたも就職するでしょう?」  ばっと、顔を上げる。透貴の顔はいたって真面目だった。冗談でもない。 「姫宮くんは義隆の跡を継ぐのできっとお金には困らないでしょうが……おんぶにだっこじゃ、あなたも嫌でしょう?」  でもこれじゃあ、俺が透貴におんぶにだっこだ。 「だっ、ダメだ透貴、こんなのもらえねぇよっ」  急いで、透貴に突っ返す。

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