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痛み──第146話

 2年目。  彼と体を重ねれば重なるほど、橘が遠くなっていった。  最初は、彼の家でヒート期間を過ごした。でもそのうち、僕の家に場所を移行した。  そうして欲しいと気まずそうに言い出したのは、橘の方からだった。 『透貴に、ほら、めーわく、かけるしさ……おまえン家、防音とか効いてるって聞いたから。俺ン家、壁うすいしさー、はは……』  期間中、一度盛大にぶっとぶ彼の理性は、ヒートの終わりと同時にしっかりと戻ってしまう。  橘は、兄に乱れる自分の痴態を見せたくなかったのだろう。 「いいよ、僕は別にどこでも。部屋はすぐにでも用意できる。君の、いいように」 『うん。悪ィ、ごめんな』 「……番相手の意見を尊重するのは当たり前のことだ。これからずっと、お互いの体質と付き合っていくことになるんだから、そんなことでいちいち謝るな」 『おー……さんきゅー』  橘はいつも、僕に謝ってばかりだ。  それなのに僕の方の橘に触れていたいという欲求は、彼と顔を合わせるほど深くなっていった。橘とのセックスは、満たされると同時に虚しさも湧き上がってくるものだった。  彼の方から求めてくれれば、もちろん答えられる。  でも、自分からはどうしてもいけない。  組み敷いてしまったら、きっと橘の気持ちも考えず、際限なく求めてしまうだろうから。  本当は……本当はもっともっと、心のままに橘の身体を貪りたくてたまらない。噛みたい、舐めたい、橘の意識が飛んでも責めてしまいたい。  けれども、欲望のままにがっついて彼を怖がらせたくはない。  もう、怯えられるのはたくさんだ。  だから、常に自分を律するよう心掛けた。橘の前では、極力感情を露わにしないよう心掛けた。  橘に無理はさせないように、橘の身体が落ち着き寝入った後に、彼の顔を見つめ、彼の匂いを嗅ぎながら何度も、自分でした。  橘が疲れ果てていれば、たとえ満足できていなくてもトイレやシャワールームに立てこもり、何度も処理をした。  冷静に、冷静に触れなければ……僕がするべきことは、彼に対する欲求を全てねじ伏せることなのだから。  そう、自分自身に誓ったのだから。  ……そんな僕とは裏腹に、父は時間を見つけては橘の兄に会いに行くようになっていたけれど。  自分の心と向き合う苦しさを噛み締めた、そんな2年目だった。  3年目。  橘が声変わりをした。そこまで低くもないけれど高くもない声。  奥を揺さぶるたびに、耳元で詰まるように低く掠れる喘ぎ声が、さらに色っぽくなって困った。  そして同時期に、橘に初潮が来た。  これで橘は、α男性との子どもを孕むことができる。  嬉しいとか嬉しくないとかは、考えられなかった。いつか彼が子どもを持ちたいと願った時に、その相手が僕であればいいとは、思ったけれど。  子どもは特別好きではない。橘以外は興味がない。  けれども橘と僕の間に生まれた赤ん坊であれば、可愛がることもできると思う。  橘は一般的な女性と比べても特に生理痛が重い方らしく、ヒートと重なった時はとんでもないことになっていた。  それでも、下肢の痛みに悶え苦しみながらも僕を求める姿は淫らで、背徳的で、あまりにも愛おしかった。  橘は「悪かった」とへこんでいたけれど、僕は全く嫌じゃなかった。  血まみれのシーツを洗おうとする家政婦を制して、僕自ら洗濯を申し出たぐらいだ。  小学校の頃のように、橘の血が染みついたシーツを鼻に押し付け、舌でとろけるような独特な触感を味わいながら、僕は自分で自分を何度も慰めた。  橘の股の間から染み出した血で悦べてしまう自分自身の異常さ、異様さに辟易した。  ──骨の髄まで僕は橘が好きなんだと、自身を苦く笑う。  彼が家に置き忘れていった使用済みの下着に顔を突っ込みながら、ベッドで致したことだってある。  はたから見たら奇怪すぎる行動だろう。  でももうどんなに愚かだろうが、どんなに惨めだろうが、彼を想うことに恥も外聞もなかった。

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