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痛み──第153話

『透愛ーっ』  肝心なところで邪魔が入った。クソ、と舌打ちをしかける。彼女に僕と触れ合っている姿を見られるのが嫌なのだろう、橘にがばっと腕で突き飛ばされた。  目を細め、すんなりと離れてやる。 『あれ、姫宮くんも……どうして二人が一緒に?』 「こんにちは、来栖さん。さっきそこですれ違って、少しお話してたんだ」 『えっ大丈夫? 姫宮くん、透愛に変なことされてない?』 『おい待て、どーいう意味だよそれは』 『そーいう意味。透愛がいっつもごめんね? 姫宮くん』 「あはは、どうして来栖さんが謝るの?」  この女……まだ知り合って半年も経ってないくせに何様のつもりだ。今はまだ、橘のなんでもないくせに。  彼の番で結婚相手で夫の僕と違って。 『……あ、とあっ』 『え?』 『あの、そろそろ、離して欲しいんだケド……』 『ッぁ、ご、ごめん!』 「……本当に橘くんって、来栖さんと仲が良いんだね」  デレデレと鼻の下を伸ばず橘も見ていられない。  その最悪な横っ面を張り飛ばしたくなる。  この女もこの女だ。ちょっと橘に手を握られたぐらいでこれ見よがしに頬を赤らめて。  調子に乗るなよ? 僕は橘ともっとすごいことをしているんだぞ。おまえなんかじゃ想像もつかないようなことを、いつもいつも、いつもな。  ──でも、そのせいで今回は彼の手首に痣をつけてしまった。  冷静にと自分を律していても、堪え切れずかっとなってしまうことが、最近は増えた……今のように。  彼の白い肌についた、薄い僕の指の痕が目に痛くて下を向く。  あれほど、傷一つつけまいと彼に誓ったのに。  これは、自分の弱さだ。 『もー透愛ってば、なんでそういう言い方しかできないの? ごめんね、姫宮くん』  ……こっちはこんなにも悩んでいるというのに、もう橘の彼女気取りか。「透愛」って、橘のキレイな名前を呼んで汚すその忌々しい口を切り取って豚の餌にでもしてやりたい。 「ふふ、照れなくていいのに。本当に仲良しだなぁ。土曜日2人でデート?」 『ち、違うよ。ほら、嫩山神社で夏祭りがあるじゃない?』  姫宮くんも来る? と冗談で言われたことはわかっていた。けれども乗らないわけがない。 「うん、僕も行こうかな」  橘なんて特に、目を丸くしていた。 『じゃあ後で待ち合わせ時間とか送るね。ちょっとみんなに伝えてくるから、透愛も早く来てよ!』 「元気な子だね、来栖さんって」  甲高い声がうるさい。隣に立つだけで耳が割れそうだ。  二度と橘の前で息を吸ってくれるな、臭いんだよ。  そんなことを思いながら僕が手を振り返しているこの瞬間、駐車場からハンドル操作を誤ったどっかの教授の車にでも跳ね飛ばされてしまえ。  それなら僕が手を下す必要がなくなって、一石二鳥だ。 『ど、どういう風の吹き回しだよ。そういうのいっつも断ってんじゃん……?』 「……なに、行っちゃ悪いの? ああ、僕がいると色々とお邪魔かな。可愛い女の子たちと遊ぶチャンスだものね」  そんなにあの女と二人で出かけたかったのか……まさか、そこまで進展していたとは。大学以外では二人きりで出かけている姿をまだ見たことはなかったから油断したな。  もっともっと、橘を監視しないと。   「僕はつまらないと思うけど」 『……じゃあ来なきゃいーじゃん。なんで』 「うるさい、僕に聞くな」  察しの悪い橘に吐き捨てる。 「……君は、なんでだと思うの」  こっちはあんな女の手料理で君の血肉が作られる日があると思うだけで、腸が煮えくり返りそうだっていうのに。 「なんでだと思う、なんで僕が行くと思う」 『……いや、知らないけど』 「そう、相変わらず頭の中お花畑だね。うらやましいよその能天気っぷりが」  橘は、突然僕に責められてただただ困ったような顔をしている──ああ、本当にこの男はもう。  察しの悪い人間は基本的に僕にとっての無だ。先を見越して話せないから会話が続かずイライラするし、要件が伝わらなくて何度も噛み砕いて説明せざるを得なくて口が痛くなるし、そもそもそんな存在に自分の貴重な時間を割くことさえ勿体ないと思う。  そう、嫌いだ。嫌いなはずなのに。  橘のことは好き……好きだ。  好きだよ橘。 『おまえ、もしかして……好きなのか?』  数秒。声が出なくなった。  

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