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キレイな人──第161話

 君の口から久しぶりに聞いた一言に。  胸に巣食っていた仄暗い感情が、光そのものへと変わっていく。  *  やわらかな髪をふわつかせ、こてんと首を傾ける橘は神々しいまでに美しかった。彼の金色が、銀の月明かりに照らしだされて、さらに黄金色に艶光っていて眩しい。  どうしてこんなにも、目が離せないのだろう。  彼は僕と同じ、ただの18歳の青年のはずなのに。  7年前は確かに、君は僕を見上げていた。手のひらを広げて、腕を差し出してくれた君は王子様のようだった。そしてかつての僕は、お姫様みたいだと言われていた。  今は逆だ。  他者にどれだけ「王子様」だと持てはやされようが、どうだっていい。  僕はただ恭しく橘の前に傅き、じっと彼を見上げながら、包帯を巻かれた足の甲を撫でた。  こうして人前で触れていた時から、既に僕の心は、身体は、橘を求めていた。  下肢が、果てしなく疼く。 「……蛇に噛まれた痕、残ってるね」 『え? うそだろ7年前だぞ!? どこ』 「ここ」  疑うことなく下を覗き込んでくる彼の単純さに呆れつつも、その首の後ろに手を回して引き寄せる。橘は簡単に、僕の方へと倒れ込んできた。  間髪を入れず、下から押し上げるように唇を重ねる。  ぱしぱしと瞬きを繰り返し震える睫毛に、怯えはない。  ただただ、彼は驚いていた。 『ちょ、なに……うわっ』  橘の踵を勢いよく持ち上げ、柔らかいところ……今しがた強く爪を立ててしまった箇所に、あぐっと歯を立てる。  そしてそのまま、橘を木床に横たえた。  もちろん後頭部を板に打ち付けないように、そっと。  目に見えて呆けていた橘は、徐々に僕の意図を把握し、じわじわと頬を赤らめていった。  今の僕には、それも熟れた苺の色にしか見えなくて。 『……蛇の、噛み痕は』 「さあ、見失ってしまったな」 『どこで、スイッチ入ったんだよ』 「祭りの会場で、君の足に触れた時から」 『人前じゃん、変態かよ……ん』  不埒な手は、無意識のうちに乱れた橘の浴衣に伸びた。この時点で僕はもう止まれそうになかった。  橘からのまともな抵抗がないのをいいことに、くりくりと胸を弄る。  橘がんん、とむず痒そうにのけ反り、喉仏を僕にさらけ出してきた。  そこのでっぱりに、噛みつきたい。今この場で、この瞬間の全てで、彼が欲しい。 『……ヤんねーよ』 「なぜ」 「さっきから、慰めのつもりかよ……いらねぇってそんなの」 「慰めじゃない」 『じゃあなんで。ヒートじゃねぇのに。身体も、もう落ち着いてるし……それに、汚ねぇじゃん……』 「──汚い?」 『その、いろいろ……さ、触られたからさ』  愚かでバカなことをほざく男に、目を細める。汚いわけがあるか。君がキレイでたまらないからこそ、僕はこうして手を伸ばさずにはいられないのに。  ぼそぼそと、橘はなおも拒否の言葉を繰り返そうとしているが、どういうわけだかいつもと雰囲気が違う気がする。  ふわふわしているというか、言葉の節々で、僕に「どうしよう」と伺ってくるというか。  本当は受け入れる気があるのに、素直になれないというか──なんて、ただの勘違いだろう。  けれどもこの雰囲気は妙に、勘違いしそうになるな。  もしかして、もしかして彼も今、僕を求めてくれているんじゃないかって。  そのきっかけを、彼も探ろうとしているんじゃないかって。  そんなわけがないのに。これは僕のただの願望であるということも、知っている。 「まだ、理由がいる?」 『あ、当たり前だろ……俺らはそんなんじゃ、ねぇんだから』 「そうだね。じゃあ理由を作ろうか」  しっかりと繋いだ橘の手を、ゆっくりと開かせる。  花の中から、橘が現れたように見えた。 「今日はとても、あついから」  今日は涼しくて、比較的過ごしやすい日だった。けれどもどんな理由でも作るつもりだった。君に、触れることができるのなら。  どんな手を使ってでも言いくるめる。  橘は、のってくれるだろうか。  少しは、少しは僕に……目を、向けてくれるだろうか。  今だけは僕だけを、見てくれるだろうか。 「僕は今、ものすごく汗を掻いている。わかるだろう? あつくてあつくてたまらないんだ」  橘の手が冷たいのは、僕の手がおそろしく汗ばんでいるからかな。 「あついよ橘。君は……?」  しばらく見つめ合ったあと──あちィよ、と、橘が囁いた。  それはΩとして、番の熱に当てられたからなのか。それとも、襲われた気分の悪さを上書きしてしまいたかったのか。  はたまた……橘のことだ。君に欲情して舌と涎を垂らす憐れな獣の姿に、同情したか。  そうっと顔を傾け、橘に近づく。  人をどこまでも惑わせる赤い彼の唇が、僕の角度に合わせて、徐々に開かれていった。  塞ぐ前に、本格的に覆いかぶさる。  橘の湿った手が、浴衣の隙間から首筋を通り抜け、するすると背中に回ってきた。熱い手だ。ぺろりと、橘の白い八重歯を舐めても、嫌がられることはなかった。  むしろ、もっとと口を開いてくれた。いやに積極的。やはり今日の橘は、奇妙だ。  上唇の裏をそろりと舐めて促せば、橘が舌をはふ、と吐息ごと舌を差し出してくる。  そのまま一度、口の外で薄い舌肉を重ね、絡める。 『……め、みや……』  べっこう飴みたいにとろんと濡れた、茶色い目。  僕をどこまでも誘惑し続けるその掠れきった色っぽい声を、吐息ごと塞いでやる。 『ン、ん……』  きゅうと、差し込まれた舌に酔うように、橘が目をつぶった。後頭部をしっかりと支えて、角度を変えて、もう一度深く重ねる。少し性急なキスだった。  それでも橘は、自分から二人分の唾液をこくりと、飲んだ。  そして、四肢を投げ出した。  僕に、捧げるつもり、みたいに。  ──ねぇ、橘。君、わかってる?  君はお人よしすぎて、こうして我が儘な僕を受け入れようとしてくれるけれど。  君の、その海みたいな広い心が。  せせらぎのようにサラサラと流れていく、その水のような優しさが。  僕にとって、どれほど残酷な行為になり得るか。  君には一生、わからないんだろうね。  ─────────  次回からはR18シーンです。  透愛編を姫宮視点でなぞる形になっていますが、透愛視点では省いた前戯シーンも追加しますので、楽しんで頂けたら嬉しいです。

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