169 / 227
キレイな人──第169話*
奥歯が、歯茎ごと震えた。
──僕は今、おぞましいことを想像していたのではないか? いつかもう一度見たかった君の笑顔を、淡々と磨り潰す算段を立てていたのではないか?
7年前、君に狙いを定め、用具室に追い込み君を狩った。
今度はその狩場を、海外やら地下室やら、別の場所に移そうとしていた。
たった数秒で目まぐるしく回転した思考回路に、頬が引き攣りかける。
僕は醜い。
橘に関してだけいつも醜態を晒してしまう。
僕は怖い。
じぶんがこわい。
君のためならおぞましい悪鬼にも悪魔にもなれてしまうであろう自分が、こわい。
こわくてたまらない。
『あっ……う、ぁ、待っ、て、いきなりっ』
行き場のない感情に任せて橘のあちこちを抉る。それでも橘の柔い壁はすっかり僕のカタチに開ききっているので、どこまでも貪欲に僕に噛みついてきた。
こんな乱れた体になっているくせに、君は僕を否定するのか──クソ、吐き気までしてきた。
わかってるよ、彼をもう一度壊すなんて道選びたくない。
超えてはいけない一線を僕はもう越えたくない。
でも、防波堤は7年間潮風に晒されて、錆びてボロボロなんだ。
あと数回の追い風で、きっと決壊してしまう。
一歩前に進むだけで、嵐が渦巻く僕の海が、君を飲み込んでしまう。
「僕らの関係は、過ちで……間違いだ」
肯定の声を聞きたくなくて、橘の腰を掴んで激しく揺さぶった。
視界が揺れる。橘も揺れる。橘が、過ぎる快楽に身もだえする。僕に組み敷かれて、首を振って痴呆のように喘ぐ。
髪と腕を振り乱してよがるこの哀れな姿を、あの女に見せてやりたい。
そうしたら、彼女も諦めてくれるかな。
君のことを、僕に譲ってくれるかな。
君の中はこんなにもあたたかくて、僕を優しく包み込んでくれているというのに。
誰よりも近くにいるはずの君が、こんなにも遠い。
「僕は──間違ったんだ。戻りたいよ、あの頃に」
花火の破裂音に合わせて、下から橘を突き上げ続ける。
息がし辛いのか、橘がかぱりと口をあけた。彼の口の端から涎が流れて、シーツの代わりすらもはや成していないシワだらけの浴衣に、沁み込んだ。
『バチ、あたん……な、俺ら……こんなばしょ、で……』
は……と目の前の男を乾いた笑みで嘲る。何をいまさら。
「罰ならもう当たってるだろ」
橘の首の後ろの、うなじの辺りに手を差し込み、襟足ごと強く掴んでやった。
「こんなものが、あるから」
君は僕のモノになってくれないんだ。
橘が髪を引っ張られる痛みに呻く。これ以上力をこめたら髪が抜けてしまうが、激情に呑まれている今の僕じゃ、手は離せない。
離す道を、選べない。
最後に、腰がぐんと浮き上がるほどに激しいそれを、叩きつける。
橘は、僕よりも数秒早く気をやった。
『ぁ、ぁああ──、は……ッ』
ぶるんっと弾けた橘の陰茎。
白濁をぶちまける橘を冷めた目で見降ろしながら、僕も避妊具の中に吐き出す。
うねる橘の子宮が収縮し、子宮の孔までもがぎゅうぎゅうに僕を締め付けてきた。ほらな、と思う。愛がなくても、セックスはできるんだよ。
『……ん、く、ぅ……ッ』
力が抜けた。橘の首筋に顔を埋め、荒い息を整える。
熱の余韻に乱れた橘の指が背に回され、かりかりと肩を引っ掻いてくる。痛みはない、きっと傷だってついていないのだろう。なにしろ今日の橘の爪は丁寧に削られていた。僕以外の人間のために。
いつものように僕が与える悦楽に夢中になって、力いっぱい爪を立てて痕を刻んでほしかったのに。そんなものすら、君はもうくれないのかよ。
僕は、君からの証が欲しいのに。
頼むから、早く僕を、君の──……。
そんな口にできない想いを全て、この一言に託す。
「──とあ」
僕の短い囁きは、最後の足掻きとばかりに咲きほこった花火によってかき消されてしまった。
灰色の燃え殻となった花びらが、地面にひらひらと落ちていく。
潔く散るべきだと、言われているみたいに。
花火が終わった。
ともだちにシェアしよう!