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キレイな人──第171話

 彼は僕に隠れて父とも密会して、何やらこそこそ相談していた。  *  バレてしまう危険性を冒してまで中には入れなかったが、十中八九、僕との関係について悩んでいるのだろう。  好きな人がいるから僕と離れたい、でもできない。  だから一体どうすればいいのか教えてくれと。  炎天下の中一時間以上店の近くで立ち尽くし、橘が出てくるのを待った。けれども彼は、長らく店に入り浸っていた。あまりにも、長い。  じわじわと、耳に反響する蝉の声が煩い。  黒い自分の髪が光を吸収して熱い。五月蠅い、ウルサイ。  うるさいんだよぜんぶ。  先に、喫茶店から出てきたのは父だった。路地裏の電柱の影にいた僕に、父は迷うことなく靴を鳴らして近づいてくる。  やはり、僕がいたことに気づいていたか。 「透愛くんはもう少し涼んでいくらしいぞ」  父から視線を逸らし、足と腕を組んで俯く。   「まったく、おまえのストーカーっぷりはもはや病気だな」 「父さんには言われたくない」 「私はおまえほどじゃない」 「どの口が。ケツに指を突っ込まれてガタガタ言わされて背中の皮を剥がされて塩塗り込まれて目覚めた挙句、透貴さんのことを追いかけまわしてるくせに」 「往来の場でやめんか。そっちに目覚めたつもりはないぞ、私は」  僕よりも背が高い父は、僕と同じように腕と足を組んで隣に並んできた。 「ねぇ」 「なんだ」 「彼と、何を話したの」 「知りたいか?」 「……」 「とは言われても、透貴さんに嫌われたくないからノーコメントだがな。盗聴器でもしかければいい……まぁ、透貴さんにすぐバレるだろうがな」  この野郎。父とは昔からそりが合わなかったが、ここ数ヵ月、父の捉えどころのなさは露骨になっていっている気がする。  僕は彼の血を色濃く引く人間だから、理由はわかる。 「なんでも自分で決めて突っ走るおまえが、ついに私に助けを求める──か。いいな、樹李。切羽詰まってて。おまえも足掻け」  睨みつければ、くっと口角を吊り上げた父に上から目線で睨み返された。  父も、そろそろ動く必要があると考えているのだろう。僕と同じでもともと堪え性のない男だ。そんな男が7年間も、あの粗暴な元ヤンとオママゴトのような「恋」に甘んじているのだから。  僕が「橘」と煩ければ、父は「透貴さん」と煩い。  全く、親子揃って橘兄弟に振り回されっぱなしだ。 「……今夜は飲み会があるらしいな。おまえのことだ、把握済みなんだろう?」 「橘の腰ぎんちゃく共に誘われたからね。行ってくるさ」 「少しは仮眠を取ったらどうだ? 顔色が酷いぞ」 「それを決めるのは僕だろう。父さんには関係がない、うるさいな」 「なら好きにしろ。で……行くだけでしまいか?」 「──へえ、なにをけしかけようっていうの?」  僕も、くつりと喉だけで嗤う。馬鹿の一つ覚えみたいに、「透貴さんに嫌われてしまう」と困ったように耳の裏を掻くばかりの父にはうんざりだ。  腰抜けめ……僕も人のことは、言えないけれど。   「悪いけど、父さんと透貴さんの問題は二人で解決してくれ。関係を持ちたいのなら、無理矢理押し倒して奪えばいいよ」 「ほう、おまえみたいにか」  父は僕の挑発に乗るどころか、常に痛いところを突いてくる。   「……そうだよ、僕みたいに」 「その結果が今のおまえだとわかっているのなら、同じ轍は踏まんよ」  父が胸ポケットから煙草を取り出し、火をつけた。僕とは違うメーカーだ。 「それに、もう透貴さんに私を殴らせたくはないからな」  奇妙な言い回しに顔を上げる。殴られたくない、ではないのか。 「いいか樹李、傷付いているのはおまえだけじゃない。殴る方も痛いんだ。おまえは自分のことしか考えていなさすぎる。寄り添え」 「……寄り添ったらあの人は僕のものになるのかよ」  自分の影に向かって吐き捨てる。あと何年、僕は耐えればいい。あっちへふらり、こっちへもふらり、僕以外の誰かに恋をし続ける橘が、いつ僕を見てくれるようになるのかを知りたい。今すぐにでも。  未来に起こる全てのことが、今の時点でわかっていればいいのに。   「ならなければ壊すのか? あの時みたいに」 「もう、父さんに迷惑はかけないさ」 「誰も上手くやれとは言っていない。おまえは本当に独善的だなぁ」 「……僕のことはいい。父さんはあの男とよろしくやってて」 「馬鹿め。おまえは18年間私の息子をやっておいて、私をなにもわかっていないな。だからおまえはガキだというんだ。おまえが透愛くんと向き合わなければ私らも何も始まらん」 「なぜ」 「親というのはそういうものだ」  片眉をあげて父を見る。雲を見ていた父が燻らせた煙草の煙が、低い夕暮れに上っていく。  ──そういえば、明日は局地的な雨が降るらしい。 「……これも透貴さんからの、受け売りだがな」  父の横顔が、夕日に染まる。   「感情を吐露できない打開策が、今の逃避か? そのままだと一緒に暮らすようになったとしても何も始まらんぞ。中途半端なままでやり過ごすつもりなら、諦めてさっさと家に帰って寝なさい」  帰って寝なさいなんて、なんとも「親」らしいことを言い捨てて、父は行ってしまった。

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