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透愛と樹李──第187話

 ごめんなさい……と、姫宮は消え入りそうな声で続けた。ベッドに横になっている姫宮が、ベッドに横たわる俺に近づくこともできず、ただ立ち尽くし俯いていた小学6年生の頃の姫宮と、重なった。  ……バカだなァ。 「やぁっと、言いやがって……」  やっと、認めやがって。 「やっと、謝りやがって……」  俺が今どれほどの喜びを噛み締めているかなんて、やっぱりこいつには一生わかるまい。  あの時と、それぞれが立つ場所は真逆だけれど。 「じゃあ俺たち、両想いってやつだったんだな」  苦しんでいた過去の俺が、ようやく報われた気がした。 「俺も、おまえが好きだったから……恨みはしたけど、おまえを憎まなかったよ」  姫宮の顔面には、この期に及んでまだここは夢か現かみたいな表情は残ってはいるが、眩しそうに、その眦は細められている。 「ええ、と……」 「なんだよ」 「これは、幻覚、だろうか。それとも僕はまだ、幻聴を……」 「誰が幻覚だ、蹴んぞ」 「──僕はこのまま死ぬのか?」 「死なねえよバカ」  本気でそう思ってそうな顔の男に、目を伏せる。 「……死ぬな、バカ。これからはずっと一緒だよって言ってくれたじゃん。あれ、うそかよ……」  姫宮の目が、これまでとは比べ物にならないほどまん丸くなった。  ──僕の可愛い透愛。これからはずっと一緒だよ。  その顔を見て確信した。蒸し暑い用具室でのあの残酷なセリフを、姫宮もきっと覚えている。残酷だったよ、おまえ。一緒だとか言っておいて、俺のことずっとほったらかしにするんだもん。 「言ったろ? おまえの傍にいんの、嫌じゃないって。それにさ、おまえが死んだら誰が俺のこと抱くんだよ」 「え……」 「俺、おまえを抱くんじゃなくて、抱かれてぇんだけど?」  姫宮の唇が開いて、閉じた。 「それともなにか? 俺が他の男に跨ってアンアン腰振ってもいいってのかよ」 「──ダメだ、君は僕のだ!」  一瞬で、姫宮が般若のような形相になる。 「じゃあおまえも俺のな?」  そう言うとすぐに怒りを沈め、「あ……」としおらしく眉を下げた。俺の顔色をうかがうその表情は、なんというか、主人に叱られるのが怖くて機嫌を伺う仔犬みたいだった──仔、でもないし、犬みたいな可愛いもんじゃねぇけど。  この男は、狂犬だ。 「……ったくぅ、その有様で何が僕のものにならなくていい、君のものになりたいだよ。もし俺がおまえ以外の誰かを好きになったら、今度はそいつに当たり散らすんじゃねぇの? あの女~、あの男~! とか喚いてさァ」 「そんなことはし」 「しない?」 「し…………ない、よう、善処する」 「善処って!」  しかも善処する、に行きつくまで3.5秒かかった。  うん、これはヤるな。伊達に7年こいつと付き合っていない。   「たち、ばな」 「ん?」 「君は、本物だろうか」 「いい加減俺もキレるぞ?」 「違うんだ……僕の都合のいい妄想じゃないかどうか、確かめたくて」  姫宮がそろそろと、点滴の針が突き刺さった腕を伸ばしてきた。何を求められているのかはすぐにわかった。  けれども偽物とか言われたのが癪で、些細な意地悪をしてやる。 「どうすっかなぁ、名前で呼んでくれたら考えてやるよ」  なにしろ。 「俺ずっと、おまえに、名前で呼ばれたかったからさ……」  姫宮の顔が、泣きそうに歪んだ。 「──透愛」  それは迫りくるタンクローリーを前に、俺を抱き上げた姫宮が発したそれと全く同じ響きだった。   「透愛、こっちにきて……お願いだ。僕はまだ、動けないから」  そんな、宝物を口の中で転がすように、名前を呼ばれちゃあな。  姫宮のベッドまでは、大股で四歩。  すぐに、辿り着くことができた。

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